流産 自然排出 小さな出産の日記④
2009年09月09日20:18の日記
子宮口が開いてくる痛さ
やっぱり、手術なんて承諾しなきゃよかった。
次にもし流産したとしたら、ラミナリア挿入にに麻酔を使う病院を探そう。もしくは・・・自然に流れるのを待とう。
そう決意したのが、この時です。
なぜ流産を受け止めきれない気持ちに追い打ちをかけるように、
身体にまで痛い処置をしなければならないのか。
悔しくて涙がとまりませんでした。
長い一晩
痛いのはこの処置だけではなく。
ここから、翌日朝までの・・・悶絶する痛みとの戦い・・・
長い長い一晩だったのを覚えています。
ラミナリアは、挿入後水分を含みゆっくり膨張するようです。
膨張しながら、固く閉じている子宮口を広げていく。
でもその段階で、
今までで一番酷かった生理痛を、
3人分持ってきても足りないような痛さが、訪れます。
それは、時間が経過するごとに増大していきました。
痛みのはじめのうちは、これも出産の一つなのかと
「耐えるべき痛み」と思い、必死で耐えていました。
しかし・・・あまりの痛さに嘔吐!
ナースコールをすると、すぐに座薬を入れてくれました。
・・・が、
「30分ほどで効きだすから」
と言われたその座薬は、一向に効力を現しません。
吐き気が強まる一方で、今度はひどい便意までもよおし、
脂汗だか冷や汗なんだかわからない汗が噴き出します。
いやまてよ、いま下から出してしまったら、
せっかくの座薬様も効かんだろ・・・と必死に我慢するけれど、
1時間で限界。
看護師さんのOKをもらって、トイレへGO。
便意はその一撃で治まったけれど、子宮の痛みは治まらない。
いつかは効いてくるだろう・・・
ひたすら我慢しましたが、
本も読めない、寝ていられない、かと言って起き上がれない、
ベッドを転がって、枕を握り締めて・・・1時間くらい?
それでも痛みは引かず、体力の消耗を感じてきたあたりで、
再びナースコールをしました。
「お待ちくださ~い」
から30分ほど待たされて、看護師さん登場。
(ようやく楽になれるよ・・・早く、何かやってくれ・・・)
と抱いた期待は裏切られ、
「さっきのトイレで流れちゃったかもしれないから、また座薬で様子を見ましょうね」
との、予想もしていなかった返答。
ハァっ!!!??
30分で効くっつったのに、効かなかったけど!?
なんでまた同じ座薬なわけ?
しかし・・・口には出せずに・・・
「これで効かなかったら、また呼んでもいいですか・・・?」
うらめしや・・・みたいな顔してたと思うけど、
次には遠慮なく呼べるように念押しをして、座薬を受け入れました。
魔法のような薬
案の定、30分経っても、一時間経っても、座薬が効く気配はありません。
このとき、夜21時頃。
手術前日の21時以降から、絶飲絶食が言い渡されていたので、
こんなに苦しんでも苦しんでも、水一滴すら飲めない。
(今思うと、24時間も水飲めないってことある?)
死ねと言ってるのか・・・
なんて病院だよ・・・一生恨んでやるから・・・
と、もう限界到達。
ここで初めて、
いや、ふつーにさ、「痛いものを痛い」と訴えて何が悪いんだ?
私は何と戦って我慢してるんだ?
という、あたりまえの疑問が湧いてきて、
何度もナースコールして申し訳ないなという気持ちはどっかに行って、
ナースコールを連打しました。
痛みに耐えるのが美徳みたいなやつってなんなんだろ。
あれがあるから、痛い痛い言うといけないような感じになっちゃうじゃん。
看護師さんは珍しく早く駆けつけてくれたんだけど、
「スミマセン・・・もう、痛くてどうしようもないんです。。。
座薬以外に、もっと強力に効くやつって・・・ないんですかね・・・?」
看護師さんは「おまちくださ~い」と言って、
案の定45分ほど経ってから、ようやく戻ってきました。
私はもう、起き上がれないほど憔悴していて、顔は涙のあとでカピカピ。
「辛いよね。でも手術はあっという間だからね。この痛み止め、結構痛いんだけどすぐ効くからね」
となんか効きそうな注射を出して、励ましてくれました。
「痛い」と言われた肩への注射。(筋肉注射?)
痛さにう~~~!!!!となったものの、
この腹の痛みに比べたらむしろ「気持ちイイ」部類。
体が急にフワフワしだして、目が回って、布団に倒れこむ。
若干息も苦しい。
おお・・・なんだこの感覚は・・・と意識が朦朧とする中で・・・
痛みが、スッ・・・と消えた。
眠れる・・・眠れるよ・・・あたし・・・
このまま朝まで・・・眠ってしまえば、空腹にも(←結構重要)痛みももう経験せずに退院だよ・・・
注射万歳・・・・・っ!
前の晩からの寝不足と、ラミナリア挿入との戦い。
そして、そこから約9時間の子宮口を開く痛みとの戦い。
もう体力の限界だったので、私は死んだように眠りました。
・・・注射の効果が切れてしまった、深夜2時までは!!!!
痛みの再来
気づくと、嫌な痛さがありました。
じっとしていられない・・・
これ、知ってる。
またこの後もどんどん増して行くであろう、あの痛み・・・
あぁ、来たか・・・
そう、きっと切れたんだね、あの注射の効き目が。
でも大丈夫、あの注射をしてもらった直後、
うとうとしながらさ、
「また痛くなったら注射してもらえますか?」
と聞いておいたんだ。
深夜で看護師さんには申し訳ないけど、その時が来たようですね・・・
でも、ここがやっぱり日本人?
よし、あと一時間頑張ってから呼ぼう。
と、なぜかすぐナースコールをしませんでした。
きっと、
悶絶するくらい痛がらないと、あのお注射はもらえまい!
そんな気持ちがあったんですよね。
思えば、いらぬ頑張り。
痛がる演技でもなんでもして、さっさと呼んでればよかったんですよ。
このあと本当の痛みがやはりやってくるわけですが、
ナースコールのあとに看護師さんが来てくれたのは、
深夜だったためか1時間以上も経過してから。
ようやく来てくれた頃には、
痛みと戦いながら深夜のベッドで声を殺して嗚咽・・・
最悪の夜でした。
曰くつきの医師
次の日の朝、担当のS医師が巡回にきました。
このS医師は、この地域では一番腕がいいと評判らしく、
娘を帝王切開で取り上げてくれた医師でもあります。
しかし、ハッキリいって好きじゃない。
嫌いな部類の医者。
相当な自信がおありなのか、患者に選択させるという気遣いがない。
質問をさせてくれない話し方をするし、
痛がったり怖がったりする私を、いつも笑う。
娘の時は、お産を扱わない個人医院で検診をうけていたため、
34週に転院し、この病院に来ました。
それまでは順調も順調。
胎児の想定体重は3000を超えていて、
もうあとは陣痛を待つだけだ・・・いつ来るのか?どんな痛さなんだ?
会社も産休に入り、いよいよだ~~~!としていたのもつかの間・・・
37週の検診にて、
「お腹の出方、全く下りてきてない胎児、この狭い骨盤。これは、帝王切開になるよ。早いほうがいいね。」
と、突然の帝王切開宣告!
もう「~日はこうで、~日と~日だとこうなんだけど~」と、
手術の日程まで説明し出してる。
私はあまりの衝撃で言葉が出ず、
「あの・・・」と言いかけたところで言葉につまり、涙が溢れてきた。
だって、帝王切開の知識なんて・・・これっぽっちも・・・
「し~ん」とした診察室で10分ほどの時間が流れて、
S医師の口から、
「とりあえずあと1週待ちますか。家族とも話をしなくちゃいけないしね。でも、もし経膣でチャレンジしたとしても、難産になることは間違いないよ。30年以上見て来たからね、お腹の出方でわかるよ」
と断言された。
結局、予定帝王切開で無事に娘は生まれたのだけど、
この37週検診で泣いた事や、手術台で腰椎麻酔をするときに泣いた事を何度も笑いのネタにされたし、
「ね?帝王切開でよかったでしょ?」だの
「キズより妊娠線のほうが目立つよ」だの
軽い発言にもう信用ゼロ。
しかも、数年後に知ったことですが、
同じS医師が担当した、4人のママさんから話を聞く機会があって
衝撃をうけます。
なんとこのママさん4人とも、
私と同じ「児頭骨盤不均衡」の理由で帝王切開だったそうで・・・
もしかしたらこの医師と出会わなければ、
帝王切開をせずに分娩も出来たのでは、と思わずにはいられません。
と、話しが逸れましたが、そんなS医師は相変わらずで、
一晩痛みと戦った私をみて、
「夕べはだいぶ暴れたね~~~、そんな痛がるひとは見たことがないよ~」
と笑いながら言い放って行きました。
暴れたって何なの?
どれだけ馬鹿にしたら気が済むの?
この人とは金輪際関わりたくないと心底思った瞬間でした。