先生との出会い
今でも尊敬している先生がいます。
凄腕の職人です。
腕はもちろん、意識がすごい。
その方のお陰で、わたしは「革でご飯を食べられるようになろう!」
と決断することができました。
最初に先生にお会いしたのは、趣味として革細工をたのしんでいたころ。
ちょうど初めて半裁を買ったあたりだったかと思います。
色んな革や鞄のお店をめぐるツアー!と題して、
一人で一日中、渋谷を中心にウロウロしたことがありました。
行きたいところと、ネットで検索して行ってみたいと思ったところを行けるだけいこう!と。
覚えている限りその日は
表参道あたりのポーター、表参道ヒルズ内のgenten、
渋谷のヘルツ/オルガン、乗り継いでどっかの土屋鞄(定休日でした)。。
(鮎藤革包堂さんは行きたかったけど閉まっていたんだよなぁ)
その道中、
「お、渋谷近辺にもう一軒ある」とネットでみつけ向かうことにしました。
しかし途中で、移転していることを知りました。
せっかく来たのだから、と、
近くはない移転先に、
しかも知らないお店に、
なぜか行ってみました。
それが革人生のターニングポイントとなりました。
到着すると、そこはただの家。
全然、入りやすくありません。
怖気づきました。普通の家のピンポンを押すの…(>_<)
ピンポンのそばに、
小さく、店名が書かれていました。
ピンポンを押すと、「はい」と当然返事があり、
あれ?自分は次に何を言うんだ?と一瞬パニックになりました。
「お店…ですか?」
そんな感じでこたえたと思います。
扉を開け、招き入れてくれました。
当時の心境
『お店だと思って来たら家にあがっています。どうしたらいい?』
そこは、通りがかりの人が
「お、革屋だ」と入店するようなお店ではないのです。
知っている人のみが訪れる、そんな大人のお店、という感じでした。
たまにこうやってピンポンを押すひともいるそうで、
作品のあるお部屋に入らせてもらいました。
びっくりするくらい素敵な作品が各所に鎮座しており、
もちろん買えないし…
自分がいるのも申し訳ないくらい素敵な雰囲気…
しかし革のにおいがとっても身体にしみるくらい気持ち良い!
緊張する…もう色んな感情でした。
どこの馬の骨かもわからない若人。
しかもお店を知っていたわけでもなく、
たまたまネットを検索して来ただけ。
お金を持っているようにもまるでみえないし、
実際に全然持っていない。
そんな自分のことを適当にあしらうわけでもなく、
お茶もお出しいただき、長い時間を割いて、
いろいろなお話をしてくれたのです。
なぜそこまで素敵な対応と素晴らしいお話をしてくださるの?
本当にすごいです。
腕はもちろん、そういった人間性も含めて、
わたしは先生を尊敬しています。
尊敬しすぎて、会えない、会いたくない、
会わないと決めたぐらいです。
緊張ではじめのほうはほとんど何を話したか覚えていませんが、
前回のブログでお話しした、ここに来るきっかけ
「革や鞄のお店を色々一人で巡ってみるツアー」の説明と、
自己紹介をしました。
わたしが革細工をやっているということで、
色々な話をしてくださいました。
面白かったのが、わたしがその日に行ったお店、
もしくは、行こうと思ったけど
行けなかったお店について、それぞれの分析です。
職人目線から、と思いきや、今思えばビジネス的観点も含めた推察だったなぁと思います。
詳しくは言わないほうがいいと思いますが、
裏話を聞いたような気持ちで面白かったです。
さらに、ご自身のモノづくりに対する姿勢についても
話していただきました。
先生が大事にしていること。
それは「パッション」だそうです。
モノづくりに対するパッション。
それが今でもモノ作りを続ける原動力になっている。
そしてパッションが無ければいい作品は生まれない、と。
芸術家のようなその言葉に感動しました。
また、その想いをもちつつ、仕事として
ご飯を食べていけるということに衝撃を受けました。
革細工は好きですが、仕事にしようなんて思っていませんでした。
当時の生活環境や仕事のこともありましたし、
個人が革を製作して家族を養うなんて実現不可能だと勝手に決めつけていました。
(不勉強だし思い込みですね)
なのでわたしは何気なく言いました
「革でモノを作るのは好きです。仕事にできたらいいんだろうなぁなんて思ったりもしますが…」
すると
「意外と食べていけると思うよ」
というようなことを仰いました。
先生の言葉、そして周囲にある素晴らしい作品の数々。
その瞬間、固定観念は解かれました。
革で生活できるんだ!
腕も上達しながらご飯も食べられるんだ!
今となっては当たり前ですが。
それからもいろいろあって、わたしは地元沖縄で
パッションを大事に、革の仕事をしています。
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