レイキはこうして生まれた
レイキは、大正末期に臼井甕男(うすい・みかお)氏によって作られたことを、すでに書いています。
では、どういう経緯で臼井氏がレイキを始めることになったのでしょうか?
死んでみなさい
臼井氏は、様々な仕事をしてこられましたが、その人生の中で、何か行き詰まりのようなものを感じたのでしょう。
それで、悟りを得たいと思うようになり、求道のために禅の師について修行を始められました。
しかし、どれほど修業を重ねても悟りを得ることができません。
臼井氏が求めた悟りは、「安心立命(あんじんりゅうめい)」の境地であったと言われています。
たまりかねた臼井氏は、禅の師に「どうすればいいか?」と尋ねます。
すると禅の師は、こう言いました。
「それなら一度死んでみなさい」
これはもちろん、禅問答と言われるような言い回しで、本当に死ねという意味ではありません。
しかし臼井氏は、死ぬつもりで最後の修行をしようと決意し、京都の鞍馬山(くらまやま)に登るのです。
修行の末に悟りを得る
臼井氏は、鞍馬山に登って断食修行を始めます。
場所はよくわかっていませんが、断食しながら座禅の日々を過ごされたようです。
そして、20数日が経過しました。ものの本によれば、21日目ともされています。
いつものように座禅を組んでいると、突然、頭の中に落雷を受けたような衝撃を感じました。
臼井氏はそのまま、気を失ってしまったのです。
気がつくと、朝になっていました。
その時、臼井氏は自分が悟ったと気づいたそうです。
その悟りは、「神(宇宙)即我、我即神(宇宙)」というものだったとか。
つまり、すべてとの一体感です。
鞍馬山を降りる途中で
臼井氏は喜んで、この悟りが本物かどうか、禅の師に尋ねたいと思い、鞍馬山を降りることにしました。
よほど急いでいたのでしょう。途中で何かに足先をぶつけ、足の親指の爪が剥がれるという大怪我を負います。
あまりの痛さに思わず手を当てたところ、たちどころに痛みが引き、傷が癒えたと言われています。
この「たちどころ」がどれほどの長さなのか、それはわかっていません。
ふもとまで降りた臼井氏は、空腹だったので飯屋に入りました。
そこは、年老いた亭主がやっている飯屋で、孫娘と思われる女の子が、ほほを腫らして泣いていました。
おそらく、虫歯か何かで痛かったのでしょう。
かわいそうにと思った臼井氏が、その女の子のほほをそっと触ると、これもまたたちどころに痛みが消え、腫れが引いたのだそうです。
2度も不思議なことがあったので、臼井氏は何か特別な力を得たように感じました。
臼井靈氣療法学会を設立する
臼井氏は、この不思議な力を家族や親戚を相手に試してみて、これが確実なものであると確信しました。
そして、これを世間に広めることが自分の使命であると確信したのです。
この辺の経緯では、禅の師から「これを広めよ」と言われたという説もあります。
これは確認できませんが、充分に考えられることです。
いずれにせよ臼井氏は、レイキを広めることが自分の使命だと、まさに立命をしたわけです。
そして、鞍馬山の修行を終えてからわずか1ヶ月も経たないうちに、東京で「臼井靈氣療法学会」を立ち上げました。
こうして、「心身改善臼井靈氣療法」が始まったのです。
レイキは意図のないエネルギー
前に、レイキは「意図のないエネルギー」だと言いました。
そのことが、この臼井氏のエピソードによく表れています。
足の爪が剥がれた時、臼井氏は「思わず」手を当てました。
「この怪我を治してやろう」などと思って手を当てたわけではありません。
女の子のほほに手を触れた時も同じです。
その痛みを消してやろうとしたわけではありません。
人間の本能として、無意識に手を当てただけなのです。
ですからレイキをする時、「この病気を治してあげよう」などと念を込めることは、レイキの本来の姿に反しています。
ただボーッとして手を当てていれば、それでいいのです。
その霊氣をどう使うかは、手を当てた対象が勝手に判断してくれます。
相手の自由に任せ、ただ寄り添って手を当てるだけ。
それが、レイキの本来の姿なのです。
また、レイキを始める前に乾浴(けんよく:水を使わない斎戒沐浴)をするとか、オーラの浄化をするなどは必要ありません。
天使とつながる必要性もありません。儀式的なものを含め、一切の準備は不要なのです。
そのことが、臼井氏のレイキ発見のエピソードからわかると思います。