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スモールビジネス(信州サーモンのえさ袋で作ったバックを販売し収益を得るに至るまで)

起業するにあたり収入の柱はいくつかあった方が有利です。
私は看護師として雇用されている時から、全く別の収入を得ていました。

会社にも了承を得て、チャレンジしたのはトートバックの制作販売。
田舎に移住したら、田舎ならではのビジネスを何かやりたいって思ってました。

もともとミシン作業は好きで、洋服やバックなどの小物は作っていました。

移住した長野県飯山市には、地元の野菜やジビエを使ったイタ飯屋さんがあり、こんな美味しいものは都会では食べられないと通っております。

そのイタ飯屋のメニュー帳の表紙に信州サーモンのイラストが描かれていて、「何これ?」とピピっときたのが始まりです。

海なし県のお魚、信州サーモンは、山の清らかな水で育った養殖魚です。
イタ飯屋さんは、近くの養殖場から新鮮な信州サーモンを仕入れていました。その養殖場で廃棄されたエサの袋を使ってメニュー表を手作りしたとのこと。

私は、養殖場からイタ飯屋さんと同じようにエサ袋を分けてもらい、ミシンでトートバックを作ってみました。
これはいける!
売れると思いました。

信州サーモンは長野県水産試験場が約10年かけて開発したものです。
そこで、イタ飯屋さんに聞いて、水産試験場の担当者を紹介してもらい、エサ袋を使ったバックの販売許可をすんなり得ることができました。

次に
使用済みのエサ袋って、臭いんです。
そこで、エサ屋さんを調べて、まずは試作バックのサンプルに手紙を添えて送ってみました。
一目瞭然が早いと思ったんです。

すぐさま社長さんから連絡があり、飯山の手土産を持って、諏訪にある会社を訪ねました。
その時も、いろいろな形のサンプルを持って行って、社員の方々の意見を聞くことができました。

この信州サーモンのイラストは、お魚の特徴をとても良くとらえているのですが、亡くなられた先代の社長さんが書いたものだということでした。
私がバックにしたことをとても喜んで下さり、新品のエサ袋を仕入れることができました。

以来、6年程お取引が続いており、今は私にだけにエサ袋を販売すると約束して頂いてます。

一番最初に持ち込んだのは、信州サーモンの養殖場がある木島平村の道の駅、ファームス木島平でした。
バックとしては、まだまだ未熟で、底はガムテープで処理してあったり、今思えば素人作品でしたが、発想が受けたのか商品として置いて頂けることになりました。

制作当初

サーモンのエサ袋の大きさは、30キログラムの米袋と同じ大きさです。
木島平村の米袋も分けて頂き、米袋トートバックも一緒に作りました。

このサーモンバックを中心に、個人ビジネスとして開業もしたのですが、
売り上げと利益の違いを感覚的に学び、あまりにも利益が少なくてまた閉業。

野沢温泉村や善光寺のお土産屋さんでも置いてもらいましたが、コロナもあって撤退。メルカリでも売ってみましたが、私が一年間の旅に出たこともあり、結局ファームス木島平のみを細々と続けてきました。

同じものを延々と作り続けるのもさすがに飽きるとはいえ、ビジネスです。
製品の品質も向上し、仕入れ材料の値上がりもあり、定価も徐々にあげました。

看護師として保険外看護サービスを起業するにあたり、このサーモンバックの収益は心の余裕にもなっています。

今は、木島平村と飯山、二つの道の駅で、北信州限定として販売中。ネットでは販売せず、手に取って納得して頂いた方のみ購入して頂いています。
収益は月4~5万程です。

帆布を使いミシンで仕上げたエサ袋(米袋)バックはオリジナルです。
これからも一人で作り続けます。

販路を広げれば、もっと売れると思いますが、
私は北信州飯山を訪れた人に喜んでもらいたいと思っています。

私のビジネスのやり方は、まったくの試行錯誤ですが、どなたかの参考になれば幸いです。

サーモンバックを作るに至ったイタ飯屋さん、エサ屋さん、道の駅ファームスの担当者さん、気に入って購入し使って下さるお客様、たくさんの方々にご意見と協力を頂き続けることが出来ました。

感謝しています。

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