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鳥かごをつくるミッション

あの人はなぜ、そう考えるのだろうか?理解できないな、というときは
「鳥かごをつくるミッション」について考えてみよう


立派な鳥かごをつくるミッション

現代社会を生きる私たちは、生まれたときから
「立派な鳥かごをつくるミッション」を課されてきた。

家庭でも学校でも、統一された価値観(つまり”立派”だなとみんなが信じる価値基準)のもと鳥かご作りを教わってきた。
「ぼくの夢は、世界一の鳥かごをつくることです」と作文に書けばそれだけでハナマルをもらえた。だからこそ毎日コツコツと素材を集めたり、デザインを練ったりしながら”立派な”鳥かごを完成させるために日々を過ごした。

学校や地域では、時々”すごい鳥かご賞”があって、目指すべき鳥かごはどんなものかの指標を学ぶところとなった。

だけど世の中は案外広くて、これは敵わないなと思うような鳥かごをつくる連中もいて、目を疑うほど素晴らしい鳥かごを見る機会もある。
絶品鳥かごにお邪魔してみると、凝りに凝った内装の素晴らしい一品であった。

素晴らしい鳥かごの内装イメージ


理想の鳥かごに向かって自分もけっこう頑張ったつもりでいたのに、「山田さんちの太郎くんの鳥かごはもっとすごいぞ」とお父さんに言われたりもする。「あなたもいつか”すごい鳥かご賞”を獲ってね」とプレッシャーをかけるお母さんがいたりもする。

「目指せ!”すごい鳥かご賞”、えいえいおー!」なんて掛け声で熱気に満ちた風な団体もいて、なんだか違和感を感じてきたりもする。

そんな時にふと、せっせと組み立ててきた自分の鳥かごをちょっと離れたところから眺める機会があったりして外に出てみる。
するとその鳥かごの外には見たことのない広い世界があるということを知る。

そして外の世界は無限のように広がっていて途方もなく美しく、人間にはコントロールできない気高さを秘めていることに気づき愕然とするのだ。



鳥かごの外の世界


鳥かごは広大な世界の中にぶら下がっているだけだったのか!という発見は誰でもができるものとは限らないようだ。相変わらず鳥かご教育は続くし、鳥かご作りに熱心に取り掛かっていないと叱られたり罰を受けたりすることになる。

変に目立つのも面倒だから、自分の鳥かごの前を人が通るときだけ熱心に鳥かご作りに取り掛かっているふりをする。誰もいない時には鳥かごを放り出し外に出て木の上で過ごすようになる。鳥のさえずりや木々のざわめきを聞き、葉や花の香りをかぐ毎日にはじめて心が満たされるのを感じる。

こっそり鳥かごを放り出して木の上で過ごしていると、自分と同じように鳥かごの外でくつろいでいる人がいることに気づく。その人たちも目立たぬように静かに過ごしているので目配せを交わすだけだが、お互いに奇妙な連帯感を感じているようだ。

だが、すごい鳥かごが人生の命題になっている人は、外の世界を見ることをしない。無限に広がる外の世界があることすら知らないか、気づいていてもあえて見ないようにしている。すごい鳥かごに人生の全てを捧げてきた人にとって、他の世界への扉が開かれる事は恐怖であり、人生の否定以外のなにものでもないのだから。

外の世界?それはもちろんあるかもしれないけど、すごい鳥かごを作れることの方が評価されるべきだね。という人が感じている外の世界はせいぜいこんな感じ。

鳥かごがメインの世界

別にどちらが正しいとかいうわけじゃない。
ただ、見ている世界がこれだけ違ったらお互いに理解しあえないのは当たり前だよね。

さてあなたは、どちら側でしょうか?











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