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卒業に寄せて

卒業、という文字はもっと遠いところにあると思っていた、

気付けば丸3年過ごした団体。先輩方が卒業される度に自分の番が近づいてきて、そのたびに焦りを感じていた。
自分は先輩方のように、後輩に何かを与えられただろうか。

JAPFとの出会いは大学に貼ってあったポスターだった。
「大学」という場に心躍り、ある種の物足りなさを感じつつ大学生活を送っていた当時大学1年生の僕にとって、このポスターはどこか惹かれるところがあった。

初海外、初の大学外のコミュニティで緊張する僕にやさしく接してくれたのは、「引率」の先輩方だった。同じ学生ながらどこか大人びており、頼れる存在に僕はいつしか憧れていた。

観光業界にも興味があった僕は、先輩への憧れやツアーの魅力に感化され、帰国後に学生委員会に入会した。毎週の電話会議に毎月の対面での全体会議。現在ほどオンラインが主流でなかった時代に顔も見えない会議をすること自体初めてだったが、先輩方に恵まれ、意見に刺激され、時に雑談し、気付けば毎週会議の日が楽しみになっていた。説明会、広報、ツアー自体の企画。任せられる裁量も大きく、1年生ながら、手を挙げれば何でもできる環境がありがたかった。

ツアーへの想いが強いあまり、仲間と衝突したことも一度や二度ではなかった。
その当時のメンバーには、今となっては大変申し訳なく思っている。しかしこうして本音をぶつけ合うことができるような心理的安全性の高さがあり、それだけ全員のツアーへの思いが強い団体だった。

この団体の人々は、とにかく行動力と知識欲が並大抵でないと感じる。

名古屋から大阪まで、毎月の会議と「飲み会」だけのために来る人もいれば、東日本大震災の被災地訪問を通して防災や復興、諸問題について考える仲間内での「スタディツアー」を企画しちゃう人。「カンボジア」を舞台にスタディツアーを企画している団体は数あれど、日本でもスタディツアーを作ってしまう団体はほかにないのではないだろうか。実際僕も参加したが、その時のご縁が今も続いている。先日など、その時出会った方に声をかけてもらったことがきっかけで2週間ほどのワーホリに参加したりしていた。ここでも「きっかけ」を僕に与えてくれた。

また、団体外の活動、普段の生活においても、メンバーの個性が爆発していた。日本一周をママチャリで実現しちゃう人や、就職せずにおさんぽを通してまちの魅力を紹介している人、アフリカにトビタつ人など、いい意味での「個性的な人」が多い環境だった。

「普通」が何かわからなくなるような団体だったからこそ、僕もいろいろと挑戦できた。

その結果、東京や九州、東北を訪れた際には、先輩後輩問わず自然とごはんに誘ってしまったし、これからも誘ってしまうだろう。

こんな刺激的な環境で大学生活を送れたことを誇りに思う。

日本全国にできたご縁を大切に。
状況が落ち着いたら日本を飛び回る予定なので、その時はぜひごはん行こうね。