ツアー参加から半年
JAPFのツアーは自分にとってどんなインスピレーションになったのか。ツアーから帰ってきてすぐに書いた論文には、ツアーを通してカンボジアやベトナムの断片をみた私は「伝えることで知った責任を果たしていく」と書いた。ツアーから約半年、あの経験が自分の生活にどんな風に影響したのか振り返ってみようと思う。
カンボジア、シェムリアップで撮ったゴミ山の写真。私はここを訪れて自分がダイレクトにカンボジアに影響を及ぼしていることを改めて実感した。ゴミ山には観光客が持ち込んだであろうプラスチックが文字通り山のようにあって、自分が今までの滞在で何気なく捨ててしまったプラスチックもここに運ばれてくるのだと思うと、なんとも言えない気持ちになった。
ゴミ山にお金を稼ぐために来ているいわゆるスカベンジャーたちをみたとき、途上国の開発には途方もない時間がかかることを肌で感じた。そして、そもそも現地の人が求めているニーズと自分たちの考えが果たして合っているのか分からなくなった。
日本に帰ってきて、Stateless Network Youth (SNY) という無国籍の人々を支援する団体の活動に携わるようになった。ロヒンギャの人々は長い歴史の中で生きづらさを抱えている。生きづらさという言葉だけで表すのは間違っているかもしれないけれど、それぞれの立場にそれぞれの言い分があって、やはり外側からは何か判断を下すことは難しい。これから勉強しなくてはいけないことが山積みである。
ロヒンギャの人たちが生活しているキャンプのポートレートを見たとき、高校生時代ドイツで難民の人たちとすれ違ったとき、そしてカンボジアのゴミ山のスカンベンジャーと目があったとき、いつもハッとさせられた。その瞬間はいつも自分にも何かできることがあるという気持ちになる。
でもその気持ちになったことだけで何だか満足してしまう。色んなことを知れて、実際に自分の目で見て、肌で感じられることが、JAPFのツアーの魅力だけれど、それで満足してしまってはもったいないと約半年経って改めて感じる。
それでもやっぱり、何度考えてみても、周りの人に自分の経験を共有して、自分が誰かにインスピレーションのバトンを繋ぐことが自分にできる最大限のことなのだと思う。例えそれが自己満足や綺麗事だと思われたとしても、何か行動を起こさないことには何も伝えられない。社会的肩書きから解放された立場から様々な国に想いを馳せることができるのは、学生の今だけなのだと思う。「知った責任」を果たすためには、当事者感覚を忘れずに、自分の中で考えるだけで満足せずにいたい。そして、疑問を持つことを常に忘れず多角的にその違和感の「芽」を育てていきたい。
JAPF学生委員会 桑原