仕事を2ヶ月休んだ話。

 社会人2年目の時、仕事を2ヶ月休んだ。そのことがもう過去に変わったと感じてきたので、呟くことにする。


 その時私は仕事でミスが多くて、そのせいで人に謝らなければならないことが多かった。

 この「ミスが多い」というのが、うつ病の症状の一つに挙げられるものだ。既にうつだったからミスが増えたのか、ミスが増えたからうつになったのかは定かでないが、とにかくそれが辛かった。


 周りの人は励ましてくれる。

「仕方ないことだよ」
「誰だってミスくらいするよ」
「完璧な人間なんていないよ」

 頭ではそうだって分かっているのだ。ミスは誰でもすること。完璧な人間なんていないこと。でもね、「私が」ミスをすること、「私が」完璧な人間でないことはあってはならないと当時は考えていた。読者様も「烏滸がましい」と憤慨するだろうか。「なわけないじゃん」と笑うだろうか。 

 完璧主義というのは本気で自分が「完璧」であることを目指してしまう精神状態だ。そんな人間に響く言葉なんてどこを探しても見つかるわけがない。楽になれる言葉を自分からも他人からも掛けられず、自分を責め続けるしかない。「完璧」という言葉が妙に格好いいためにそれを手放したくないというエゴもあった。今もその気が若干残っているけど、だいぶ抜け出てきたと感じている。

 ある時それが顕著になった。仕事でミスが増える→こんなんじゃダメだと自分を責める→自己改善(自己啓発本を読み漁るなど)→上手く行かない→自分を責める……と無限ループに陥った。就業時間が終われば解放されるというわけでもない。24時間365日、「より良い自分」であろうとしていたため、休んでいる感じがしない。

 この頃、無意識に食事を摂っていなかった。昼食を持って行っても食べるのを忘れていた。しかしなぜかお腹が空かない。

 当時の私は人生において、ご飯を食べることが世界で一番好きだった。それなのに食事を忘れてしまうほど、仕事や自分を生きるということに没頭し、そのどれにもボーッとするような無機質な日々を送っていた。

 心というよりも脳が悲鳴を上げていた。絶えず思考しているから当然だ。そのうち、常に「私はダメな人間だ」「こんなこともできないなんてダメだ」と絶えずどこかから声が聴こえるようになった。上手く笑えなくなっているのに気付かない。

 同僚に「元気か」と聞かれるのが嫌だった。「元気ではない」「つらい」「しんどい」と言う事は私には出来なかった。「元気か」と聞かれて「元気です」と答えるのは、嘘をついているみたいで辛かった。本当に辛い日は「普通です」とか「まあまあです」と答えるので精一杯。


 私が仕事を休み始める前の週。木曜日のことを話そう。その日の朝は体を起こすことが難しかった。心ではなぜか仕事に行くことが酷く恐ろしかった。このまま休んでしまいたい。そう思ったが、理性の力でなんとか体を起こし、遅刻することなく出勤した。

 その当時の私はミスをしては怒られ、自分を責めていたが、悪いことばかりでもなく、その日はお仕事を評価されてこれ以上無いお褒めの言葉をいただいた。しかし、そんな素敵な言葉をいただいたのにそれをちっとも嬉しいと思えなかった時、私は初めて「死にたい」と思ってしまった。

 その日の夜、バスに乗って帰る所を歩いて行くことにした。なんだか無性に川が見たくなったからだ。17時半の11月の夜は漆黒の闇のように底黒く、心の奥深くまで行けるような気がした。顔に当たる風が冷たくて痛い。だけどそれが心地良い。いつの間にか自分に辛く当たらないと生きている実感が湧かなくなっていた。

 夜の川を橋の上から眺めると、吸い込まれるように見入ってしまった。だいぶ限界だったのだろう。頭で考えるだけでは収まりきらなくなった思考が口から漏れ出るようになった。

「大丈夫だよ。川に飛び込むなんてしないよ」
「今はただ、川を見ていたい気分なんだ」
「そんな泣きそうな顔しないで。寒そうだからやめとくよ」

 上記の言葉は本当に私の口から漏れ出た言葉たち。橋の上でこんなことをブツブツ呟いている姿はきっとおぞましいものだったろうな。


 翌日は金曜日だったので、仕事を休むことができなかった。あと一日だけ。そう思っていた。この日を境に、次の週から仕事に行けなくなった。


 ターニングポイントは日曜日。久しぶりに友人に会った。私の近況を知らないこの友人には努めて元気に装おう。私は自分の中の「元気」を余すことなく出しているつもりでいた。

 しかし、友人に「元気が無さそうだ」と言われてしまった。メッキが剥がれる感覚がした。

「え、どうしてそう思うの?」
「いつもと様子が違うから」

 私としてはいつもどおり、友人と接しているつもりだった。今でもどう違ったのかはよくわからない。でも確実に様子が変だと嗅ぎ取られてしまった。私は嘘をつくのが苦手だから、演技が下手だったのかもしれない。

 私が苦心して「元気」を見せても見破られてしまう。なら、私はどうやっても「元気」でいられない。友人の指摘に私は「もういいや」と投げ出した。

 一度投げ出してしまったものを取り戻すのは難しい。今まで溜め込んでいたものを溜め込んだままにすることができなくなった。

 取り繕えなくなった私で家族のそばにいることはできない。私は友人と別れた後、堰を切ったように泣いた。

 パートナーに「助けて」とメッセージを送った。待ち合わせて私の自宅に向かい、必要最低限の荷物を持って家を出た。そこから2ヶ月間帰らなかった。


 月曜日。とめどなく溢れる涙のせいで仕事に行けなくなった。号泣しながら上司に電話をかけた。その日はパートナーの家でひたすら泣いて過ごした。ほぼ生理現象のようなもので、汗のように涙を流し、食事をする気にもならず、トイレに行く気にもならなかった。膀胱が限界になった時、仕方なくトイレに行こうとするのだが、立って歩くことができず匍匐前進でトイレに向かったことを憶えている。

 パートナーが仕事から帰ると、炊飯器の米が一粒も減っていないことにショックを受けたという。私が好きなものをと気を利かせてデリバリーピザを頼んでくれた。美味しいはずなのに味がしなくて、胸にピザ生地が詰まっていく感じがした。その不快さのためかうまく飲み込むことができず、「うう、うう……」と呻ってしまった。

 火曜日。今日も上司に泣きながら電話をかけた。そして電話相談を利用しておすすめの心療内科を探した。いつまでも終わりの見えない現状に嫌気が差したため、一刻も早く受診しなければ落ち着かなかった。心療内科や精神科は2ヶ月先まで予約が埋まってしまっていることが多く、唯一当日受付ができる病院を見つけると、すぐさま向かった。

 みんなが仕事を頑張っている時、パーカーにジャージという出で立ちで街を歩く私はただただ虚無であった。

 受付を済ませ、血圧を測っている途中で涙がこぼれ、呻った。看護師さんに「来ただけで偉いよ」と言われた。そんなことはないと否定したが、今の自分ならその意味が少し分かるような気がする。

 泣きながらお医者さんに気持ちを話すと、「不安障害と適応障害、どっちがいいですか?」と聞かれた。職場に業務改善を求めたいなら適応障害の方が良いらしい。仕事に不満があるというより、自分が自分であるということが嫌だと感じていたため、不安障害を選んだ。「2ヶ月休みましょう」と言われた。てっきり1週間くらいで済むと思っていたので目眩がした。なんとなく社会から強制リタイアさせられた気分になった。薬は処方されなかった。その代わり、認知行動療法をしていこうと提案された。

 会計時に診断書を見せられる。当然「不安障害」と書かれているもんだと思っていたが、そこに書かれていた文字は「うつ病」だった。

 うつ病。うっすら私は幼い頃からうつ病に対して友達のような親近感を持って生きてきたが、いざそう診断されるとショックが大きかった。その後のことはあまり覚えていない。

 水曜日。診断書を持って職場に行った。申し訳なさと恐ろしさから入口で泣いた。

 同僚にも会った。「こんな忙しい時にすみません」と謝ると、「みんなベテランだから大丈夫。もっと先輩を頼りなさい」と少し怒られた。

 完璧主義というのは厄介で、仕事を気にせず休めるようになっても、有意義に休まなければならない。1日でも早く「元気」にならなければいけないといろいろなことを試した。「あつ森」を始めたり、パーソナルカラー診断を受けたり、女王蜂のライブに行ったり。

 それらは私を「ただ休んでいる」という罪悪感から解放させてくれたが、それで疲れてしまうことも多々あり、パートナーからは「休むっていいながら休んでないじゃん」とお布団に戻された。

 あとはパートナーのためにお弁当や夕食を作ろうと意気込んでいたのに起きられなかったり気力が出なかったりしてそれが出来なかったときは号泣した。

 休みつつ自分を責める。自分を責めてしまうことを責めるという蟻地獄に嵌ってしまう日々ではあったが、認知行動療法のおかげか「うつ病」であるという自覚のおかげか、少しずつ自分で気付けるようになった。

 正直、自分が「本当にうつ病」かどうかは分からない。そう診断されたというだけで、実際は抑うつ状態くらいの軽度のものかもしれない。しかし、自分は病にかかっているのであってこの状態が自分というのではないと考えると気が楽になった。一時的なものだと捉えることで、この辛さにも耐えられた。


 いよいよ約束の2ヶ月が近づくと、今度は就寝と起床の習慣を安定させることに苦労した。夜はうまく眠れず朝はうまく起きられない。そこで初めて睡眠薬を処方していただき、生活習慣を調えることに努めた。これが結構大変なリハビリだった。


 仕事に復帰した。最初のうちは仕事だからと張り切ってしまいダウンするということを繰り返した。周りの想定は「ゆっくり、自分のペースで」という温かいものだったが、自分は性格上、せめて1日3つは何か出来ないと、と焦っていた。上司に「3つは多いよ」と笑われてからは1つにすることにした。一人になれる場所で発作のように泣き出してはオフィスに戻るというようなゆるゆるな働き方を経て、新年度からはバリバリ働いている。


 そして現在。休む前までは食べることにしか生きがいを見出せていなかった私が寿嶺二を好きになって毎日が楽しくなった。正直業務量は休む前より多い気がするが、推しのおかげと完璧主義からの(少しの)脱却により心は健やかに仕事をすることができている。

 休職を経て自分がどのようにして楽に生きようとしているかはまた別の機会で書くことにしようかな。

 「私のこの呟きが今うつで苦しんでいる人の力になれば」なんて烏滸がましいことは微塵も考えていない。私は自分のために文章を書いているからだ。だから、「お前のそれはうつじゃない」「たった2ヶ月で、抗うつ剤も使わずに治せるほど甘くない」という風に思われても、ただ申し訳ございませんとしか言えない。程度の違いはあれ、自分の辛かったことを文章に起こして昇華させたかっただけなので、出来れば悪く思わないでいただきたい。

 長々とありがとうございました。

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