自然農法に魅せられた男|自己紹介
初めまして、自然農法家なる(自称)です。
サムネの写真は10年前にたまたま近所の農道を歩いていたら、綺麗な虹が架かっていたので、カメラでパシャリしたものです💦
現在29歳で、3年前に兼業でやっていた実家の建設業の仕事を辞めて、
本格的に自分が魅せられた「完全無農薬・無肥料」でお米や野菜などを育てる、【自然農法】という栽培方法で、現在地元の愛媛県松山市で農業をしています。(今年で7年目に突入しました🎉)
多分の農業に関してあまり興味がない方だと聞き馴染みがないと思いますが、簡単に説明すると今の日本の農業の完全に真逆をいくスタイルになります。
今の日本の農業は、慣行農法と呼ばれており、JAや農協が推奨した栽培方法に従い、決められた農薬や肥料を使って様々な農作物を育てるというやり方なのですが、僕のやり方は農薬も肥料も一切がっさい使用しない、
土の力で育てる農業なので、今の近代農業の完全に逆をいく先祖返りしたスタイルな訳です。
そんな自然農法というやり方での農業に何故僕が魅せられてしまったのか?
そこの所をもう少し説明したいと思います。
料理の道を本気で志した18歳
僕は元々料理が物凄く好きで、特に食べるのが大好きだったので、高校卒業してすぐに上京し、東京の新宿にある老舗のうどん屋さんに就職しました。
就職した会社には社寮があり、色んな海外の研修生の方たちと共同生活をしながら、昼間はうどんの製麺工場で働き、夜は調理の専門学校に通う日々を過ごしていました。
ですが製麺工場で仕事をしていると、だんだん手がパリパリ荒れるようになりました。
それは製麺所での調理機械や器具、調理場などの清掃や水洗いなどの水仕事で使う洗剤などに自分の手が洗剤負けしてしまったのが原因でした。
手荒れした後も、ゴム手袋などを付けて仕事をしていたのですが、今度は足の裏が物凄く痛くなり、手と同様に足もパリパリになり歩くたびに激痛が走るようになりました。
足が痛くなった原因は、調理場でうどんを作る際には素足での作業となる為、そこの床に清掃の際に使われていた、床用洗剤が恐らく足の裏から染み込んでしまったからだと思います。
洗剤に負けずに全然荒れない方もいらっしゃいますが、僕は結構荒れやすい体質だということが、この仕事をやらして頂いて初めてわかりました。
流石にこの状態では仕事を続けることが無理だと思ったので、当時の工場長に相談して退職することになりました。
そして退職したので、もちろん会社の寮も出ないといけなくなり、ひょんなことから練馬で一人暮らしをすることになりました。
そこで一人暮らしをしながら、昼間は建設現場の荷揚げバイトをして、夜は調理の専門学校に通い、学校が終わったら夜勤の荷揚げバイトに行く日々を過ごしていました。
中々キツかったですが、家賃と生活費+専門学校の学費も自分で払わないといけなかったので、今やれと言われたら100%無理ですが、当時18、19歳でまだまだ体力があったからできた事だなと思います。
調理師の専門学校を卒業し、地元に帰郷
調理の専門学校を卒業し、調理師免許も無事に取得したので、これ以上東京にいる理由も無くなったということもあり、地元の愛媛県に帰ることになりました。
地元に帰るとアルバイトをする日々が始まりました。
料理の世界に飛び込もうと思い上京したのに、その夢も諦める形となってしまい、自分がやりたい事がわからなくなっていました。
そんな悶々とする日々を過ごしていると、岡山にいる母方の祖母から一本の電話がありました。
「元気にしてるのか?」「今何をしている?」といったような僕を心配する電話内容でしたので、今の自分の現状を全て話しました。
話が少し変わりますが、僕の家庭は小学3年生の時に両親が離婚し、母子家庭となり、15歳の時に母親が乳癌で亡くなりました。
そこから父親が面倒をみてくれるようになるのですが、そういった経緯があるので、祖母は僕の事を余計に気にかけてくれていました。
そんな祖母に僕がその時最後に電話で言われたのが「北海道でトマト栽培をしている知り合いの農家さんがいるんだけど、良かったら行ってみたら?」という言葉でした。
あまりに急カーブな内容だったので、一瞬迷いましたが面白そうだなと思ったので、二つ返事で行くと言い、そこから北海道での住み込み生活が始まりました。
北海道の広大な自然で行う、初めての農業
場所は北海道の余市という町で、行った当時はちょうどNHKの朝ドラで、
竹鶴政孝の生涯を描いた「マッサン」が放送されていて、ニッカウイスキーの工場や色々な観光地が近くにあるようなところでした。
住み込みで働かせて頂いたトマト農家さんに最初に食べさせてもらったのは、エゾバフンウニが山盛り乗ったウニ丼でした。
日持ちをさせるために入れるミョウバンなどを添加していないので、とにかくめちゃくちゃ美味くて、そして甘く濃厚で苦味が一切ないという、いまだに忘れられないウニ丼です。
話が逸れてしまいましたが、そのトマト農家さんは江本さんという方で、自家栽培したトマトを加工して、トマトジュースにして販売したりもしていて、テレビのバラエティ番組でも紹介された事もあるぐらい、トマトづくりに熱心に取り組んでいる方でした。
そして江本さんにトマトを栽培しているお家の横にある農園に連れて行ってもらった時に、あまりに広大な北海道の雄大な大地に僕は感動しました。
北海道の農家の方はこんな綺麗な自然豊かな場所で農業をやっているんだと、確かに冬は物凄く寒いかもしれないですが、それでも全然お釣りが返ってくるぐらい素晴らしい景色がそこには広がっていました。
そこで食べさせて貰ったのが、自然農法で育てたアイコという品種のトマトでした。
そのトマトの味にとても感動し、自分もこのトマトを作りたいと思いました。
そして半年間という短い時間でしたが、トマト作りのノウハウをそこで全て教えて貰い、江本さんが自家採取で取っているトマトの種を少し分けてもらい、地元の愛媛県で早速畑を借りて、トマト栽培を始めました。
しかし、北海道と四国の愛媛県では、あまりにも気候と温度違うというのもあり、また元々借して貰った農地に残っている残留農薬と肥料分がかなり残っていたので、初めてのトマト栽培は全然ちゃんとしたトマトができませんでした。
初めて一人で行った農業は、自分の思っていた感じにはならなくて散々な結果となりましたが、ここから僕の農業はスタートしました。
そして今年で自然農法7年目に突入した+最後の20代という節目の年ということもあり、いろんな事に挑戦していこうということで、noteを始めました。
まだまだ青二才のひよっ子ですが、これから自然農法に関することや、今の日本の農業に対して、独断と偏見で意見を述べていってみようと思いますので、良かったら見てみてやってください🙇