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【ドラクエ10 ギガスラからのギガスラ】><。

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【1】
2012年11月27日

ドラクエ10 フィクサー
第2の代表作
『1億天魔 』

初めて生放送を開始してから
1年4ヵ月

この放送1回でコミュニティ参加メンバーは1000名を超えた

思い出深い日です。

ちなみに
ドラクエ10 フィクサーの代表作は5つ(ごめん増えるかも)

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・ダイス賭博事件(2012-8)
・1億天魔(2012-11)←今回の話
VSゲームマスター(2015-2)
バルディ100億ダイス(2016-9)
・ゴールデンナイト(2017-5)→また今度

1つのゲームで代表作が5コはまぁまぁだな><。

ドラクエ10サービス開始から
わずか3~4ヵ月の初期(Version1)の頃のイベント。
この1億天魔を境に
カジノフィクサー以前以降という節目になった。

この1億天魔は
捉えようによっては
フィクサーという1プレイヤーでの
最後の戦いになった。
(もちろん4人パーティーで倒したが
 もんこちゃん・かっしー・チリ あの時はありがとう)
ドラクエ10生主単独で放送して挑んだ最後の勝負だ。

この1億天魔以降は
強豪プレイヤーたちに勝負の場を企画提供し
BET受付や生放送実況者として
多数の配信者やメンバーたちに集まってもらい
そこを取り仕切る放送へと変わっていった。

いわゆる
カジノフィクサーである。

以上の代表作5つはすべてが
カジノフィクサー絡みである

よってフィクサーの代表作は
カジノフィクサーと言えるでしょう。


【2】
あまり受け入れがたい話ではあるが
約6年やったドラクエ10放送で
僕がなにもないところから純粋に企画し
最も注目を集めたのは
この1億天魔だったと思う。

このイベント以降
何年にもわたり
「フィクサーは天魔の頃が一番おもしろかった」
「ギガスラからのギガスラがこいつの全盛期」
「カジノで他の生主と馴れ合いだしてこいつはつまらなくなった」
「多額の手数料を稼ぎだしてからリスナーに媚びてる」
「あの頃の小池が懐かしい」

こんなご意見やコメントの数は計り知れなかった。

早めにピークを迎えると
その後の人生はキツいというが
フィクサーもきっとそうだったと思う。

しかしながら
単独での放送から
放送主を広く募集し参加してもらった
カジノフィクサーのイベントの数々は
6年間放送を続けるには
なくてはならないコンテンツであったし
やってきてよかったと心から思う。

早く行きたければ
一人で進め
遠くへ行きたければ
みんなで進め

アフリカにこんな言葉があるという。

1人で進んだ先の終着点が1億天魔であり
みんなで進んだ遠い場所に
カジノフィクサーの日々があったと理解している。

その1つの称号として
ゴールデンナイトがいただけたのでしょう。

【3】
ギガスラからのギガスラというタイトルは
当時天魔クァバルナに向けて
戦士フィクサーが放っていた必殺技
正確には
ギガスラッシュからの
ギガスラッシュである。
当時消費MPは15
(Version1.3まで Version1.4以降は消費MP12)

自分のターンが回ってきて天魔クァバルナに
ギガスラッシュのコマンドを選んでから
次のターンにも
ギガスラッシュのコマンドを選んでいただけである。

それを「ギガスラからのギガスラぁあああ」と
ものすごく大きな声で(6月17日に書いた回の部屋で
叫んでいただけである。
(俺の担当のBがいねー というのもあった)

33歳既婚とは思えない奇行。

あまり探したくなかったが
当時の映像があった。


天魔を倒したときの映像
当時の戦士LV上限50HP280
やいばのよろいを身にまとい
時代を感じる。
このときの消費MP15はキツかった。

討伐を達成して最初の一言は
「よっしゃぁああ ゴミども ざまーみやがれぇええ」

今の時代こんなスタイルでやっていたら
当時の50倍くらい非難轟轟だったことだろう。

そして声が若い。
こんなダミ声のオラオラ野郎に
23,562人の来場者があったとは信じられん。
しかし命を燃やしてる感はあるな><。

せっかくアストルティアを
恐怖に陥れていた敵(ごめんストーリー忘れた)を
倒し平和を手にした直後に言い放った
「ゴミども」とは誰だったのか。


【4】
それは当時
1000万ゴールドを銀行に預けると
『 ゴールド神 』(フィクサーが史上最速で獲得)
という称号がもらえた。
そしてさらに大金の1億ゴールドを銀行に預けると
ゴールド神よりも上位の称号がもらえるという
噂話からこの企画は始まった。

私はダイス賭博の生みの親として
10%の手数料を取り続け
2012年9月にはアストルティア最速で
ゴールド神の称号を手にしていた。
「実はフィクサーよりも前に俺はゴールド神だった」
みたいな奴らは乱立したが全部うそだ。

しかし最速ゴールド神の私でも
11月の時点で1億ゴールドは所持していなかった。
Version1のドラクエ10でゲーム通貨であるG(ゴールド)を
稼ぐことは本当に大変だったのである。

しかしある日
「1億ゴールド銀行に預けたら称号があったぞ!」
というプレイヤーが現れた

証拠の画像をネットに上げろ
と煽られるも画像は上がらず
称号名は

「 全てを超えしもの 」

とだけ伝えられた。

当時私には
1億ゴールドを所持している財力はなかったが
1億ゴールドを賭けてもらう集金力はあった。

サービス開始から3~4ヵ月
財産で10万ゴールドもあれば十分遊べる時代
1億ゴールドを銀行に預けられるプレイヤーは
ひとりも存在しなかったのだ。
それこそ100億ダイスではないが
当時の1億Gはバルディとの対決時の
100億Gより価値があったかもしれない。
(2024年の現在の相場感はまったくわからない)

もちろんギャンブルで預かったお金を
フィクサーの銀行に預けて称号を取るなんて行為は
称号集めが大切なオンラインゲームにとって
プレイヤーたちが断じてゆるす行為ではない。

そこで
戦闘下手で有名なフィクサーが
当時不遇であった 戦士 という職業で
(当時は武闘家の爪タイガークロー無双時代
 ひらめきタイガーで「平田」なんて言葉もあった)
当時めちゃめちゃ強かった 
強天魔クァバルナを1発で撃破することができたら
フィクサーの銀行に1億預けていいと
賛同するギャンブラーたちが企画に参加した。

ギャンブル内容は

戦士フィクサーが1発で強天魔クァバルナを倒せるか。

BET受付では90%以上のギャンブラーが
「不可能」と予想500名近くが張ったと記憶している
相撲もロクにできなかった
フィクサーへの評価としては妥当だろう。

私は当時持っていた全財産をもちろん
「フィクサーが1発で撃破」にオールインした。
あのときおそらく全プレイヤーで
1番のゴールド所持であっただろうから
(正確には覚えていないが多分私は3000~4000万BET)
約450名が負ける 約50名が勝利を信じるという割合
そこで締切となり本番へと進んだ。

やったよ><。

下馬評を覆し私は強天魔を撃破した
他の3名が当時のトッププレイヤーであったことが勝因だが
この頃の戦闘は1度体制が崩れたら持ち直すのは難しく
天魔が放つ爆裂拳には痛恨リスクの運要素が大きくあり
純粋にこの真剣勝負はギャンブルの側面を持っていた。

ゴミどもとは
「1億の称号は存在する」と嘘をバラまいていた奴らに
向けて放った言葉だろう
そして私が負ける方に張ったギャンブラーたちにである。
(手数料頂いているお客様に失礼な話である。)


また長い話になってしまった。

まぁ一言でまとめると

あのギガスラが
カジノフィクサー開幕への一筋の光だったわけだな
ギガスラからのギガスラで2回打ったから
手数料は20%になったという始まりの物語でした。


この勝利を記念して
リスナーさんから
これらのイラストをプレゼントしていただいた。
ありがとうございます
大切にしています。

VS 俺の担当のB
モデルはFCドラゴンクエストⅠ
このプレイヤーカードシリーズ50枚以上作った気がする 
モデルはSDガンダム外伝 No.85騎士アムロ

強天魔
最高のボスだったよ。(今は秒殺されるらしい)

1億Gの称号はありませんでした。


【5】
少し話は変わるが
「コミュニティの一生」という
有名なコピペがある。

面白い人が面白いことをする

面白いから凡人が集まってくる

住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める

面白い人が見切りをつけて居なくなる

残った凡人が面白くないことをする

面白くないので皆居なくなる

これを最初に目にしたのは
15年以上前だったか。

現代版 『平家物語』第一巻「祇園精舎」のような趣(おもむき)を感じる  いとをかし

祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、
ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、
偏ひとへに風の前の塵におなじ。


断じて自分が面白い人などと言うつもりはない


私に当てはめたコミュニティの一生は

ドラゴンクエスト10という面白いものがはじまる

面白いからと集まった凡人のひとりがフィクサー

ニコ生にカジノフィクサーという居場所を作り主張

何年もやってるうちにリスナーに飽きられ人気低迷

昔の自分を思い返すとつまらないことをやっていると悩む

コロナ禍でリアルの再編を余儀なくされドラクエ放送を離れる


現在はこんな昔話を書くために
映像や画像を探したり
当時を思い出したり
一緒に遊んでいたひとたちに連絡したり
もうじきこの note を書き始めて1ヵ月になるが
いい時間を過ごせています。

そういえば毎日のように
ドラクエブログを書いていた時期もあったな
打倒 まるすけ とか言って
結局自滅していなくなっちゃったけど まるちゃん。
まぁおれも自滅か。

1ヵ月前から
少しずつ見てくれる方々も増えてきて

最初の投稿は初日でビュー70くらいでした 
見てくださる方々ありがとうございます

おぉ昨日のゲームマスターの回は1日で872もあるのか

これは昔書いていたブログのビューと比較しても
それほど遜色はないのではなかろうか。

昔書いていたブログ(ココガイマーブログ)を開始した
2015年7月当時のビューを調べてみよう。

23日間で1,002,157ビュー
まるちゃんは当時1年で1億ビュー 1億すずめ爆裂拳


猛き者も遂にはほろびぬ、
偏ひとへに風の前の塵におなじ。


ゴミどもだな。おれは。 



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