祝! PlayStation 30周年
どうも、俺の前略プロフのことは忘れてくれ〜い(ライス)です。
それは冗談でして肝数値高男です。
ついにやってきましたね、2024年12月3日。この日をずっと待っていましたよ。
12月3日の本日は過去に何があった日なのかと言いますと、今から30年前の1994年12月3日に、初代 PlayStation が発売された日であります。今日でなんと発売から30年ということになります!
この30年間で世界のゲーム業界を大きく変えた「PlayStation」にゲーマー気取りの俺がリスペクトの気持ちを込めて、初代 PlayStation のことをネットを駆使して調べた情報や、PlayStation 世代の会社の上司から聞いた当時の話なんかを織り交ぜながら、今日はプレステネタでテキストを書いてみようと思います。
それにしても発売から30年ですよ。30年ってびっくりするくらいの期間ですよ。ゲーマーの世代によっては、PlayStation は、3D のゲームが描写される最初のハードということもあって、比較的新しいハードに感じるひともいるかも知れないですが、30年経過してしまったので、言ってしまえば立派な「レトロゲーム」であります。今でも Z世代みたいな感じがする宇多田ヒカルさんに近い存在かもしれませんね。この例え多分間違っていると思いますけれども。
発売当時の価格はなんと39800円!当時、家庭用ゲームハードメーカーの王者だった任天堂のハードは25000円で販売していましたので、39800円はかなり強気な価格設定ということになります。30年経過した現在、PlayStation 5 Pro が12万円するということで大騒ぎになっておりましたが、当時から「子供が買うハードではない」という雰囲気は出ていたそうです。
任天堂はハードで利益を出さずに、ソフトを売って利益を出すという方針をとっていたそうですが、PlayStation の販売元のソニー・インタラクティブエンタテインメントではその逆でハードでしっかり利益を出していましたが、ソフトはゲームにもよりますけれどもファミコンのソフトと同じくらいの価格設定にしました。
この頃のスーパーファミコンのソフトはより最先端なものを表現しようと、カセットの中に最先端のチップが入ったことでソフト1本の価格がめっちゃくちゃ高く、なんと1万円超えるソフトもあったそうです。まぁ〜確かに、ハードは1台しか買わないし、複数購入するのはソフトの方ですので、ソフトが高いのはシーキビな話かもしれませんね。
ソフトが安くなった理由はもうお察しかもしれませんが、ソフトの媒体が CD-ROM になったことでコストダウンができたから。当時としてはファミコンのソフトくらいの価格なのに、中身のゲームは当時としては未来的な内容で、プレイヤーとしてはたまらなかったと思います。
ポリゴンで 3D 描写のグラフィックを動かすことを可能に、ゲーム業界を変えただけではなく PlayStation で歴史を変えたものといえば、やはりあのコントローラの形なのではないでしょうか。両方に突起が出ていて、いわゆる「グリップ」があるコントローラを一般化させたのは PlayStation からでしょう。あのコントローラが発表された時は「なんだかチョベリバな形〜!」と、1990年代中盤のギャルは嘆いていたそうですが、発売されてい握ってみるとあれがすごく握りやすくて、長時間プレイしていても疲れないのです。
それまで、すべてのゲームユーザーが使っていたスーパーファミコンなどのコントローラは丸みがあって可愛らしい見た目ではあるのですが、実は長時間握っていると手が疲れてしまうんですよね。例えば2024年現在のハードだと、Nintendo Switch の Joy-Con って長時間使っていると疲れるじゃないですか。でも、プロコンだったら疲れないですよね。
PlayStation のコントローラは、現在のゲームパッド(コントローラ)の基本になった形と言っても過言ではないのでしょうか。
PlayStation の開発の経緯、これはめちゃくちゃ有名な話になるのですが、あえてここに書いておきます。
実は「PlayStation」には「スーパーファミコン」の開発時に大きく絡んでおり、1990年の「スーパーファミコン」発売よりも前、1980年代終盤のまだ開発段階の話になります。
今では考えられないのですが、スーパーファミコンの音源の技術でソニーに事業を依頼していたとのこと。その時にソニーは任天堂に「スーパーファミコンをカセットだけではなくディスクメディア(CD-ROM)でも展開しませんか?」と持ちかけたそうな。
つまりはスーパーファミコンに別売りのディスクドライブを合体させて、そこにディスク媒体のソフトを読み込ませて、ロムカセットではできないような描写のゲームを楽しめるようにするという、多分ですけれども1986年に発売したファミコンの「ディスクシステム」みたいな感じでしょうか?
しかし当時の任天堂は CD-ROM にはそこまで乗り気ではなく「ソニーの方で勝手にどうぞ。」みたいな反応で、そこからソニー側の開発がスタート。この時に担当した人が、PlayStation の生みの親でお馴染みの久夛良木健さんなのでした。この時の開発コードネームが「プレイステーション」だったというのは、あまりにもロマンがある話でございます。
スーパーファミコン発売の翌年に、ディスクドライブ(プレイステーション)の発売を予定していたが、この時にいろいろなことがありすぎて開発は破棄されてしまうのです。少し長くなるのですが、CD-ROM でのソフト開発に消極的だったはずの任天堂が、1991年にソニーではなくフィリップスという会社と CD-i でのソフトを共同開発することを発表。
いやはや、これはびっくりでございます。だってソニーからしたら婚約者が別の人との結婚を発表したようなのを見せられているみたいなもんじゃないですか。
ソニーはすぐに任天堂にどういうことなのか問い直に行くと「契約は破棄していないので、ソニーさんがスーパーファミコンと互換性のある CD-ROM メディアを作るのはいいんですけれども、うちはフィリップスさんと共同開発をすることにしているんで。」と言われてしまいます。
こんな条件で開発して発売したところで、セールス的に上手くいかないのがミエミエ三重県志摩スペイン村なので、開発が止まってしまいます。
ちなみにこの時の試作品はネットで画像を確認することができます。見たことのないマシンに「SONY」と「PlayStation」の文字があり、ディスクドライブとスーパーファミコンのカセットの差込口が確認されます。接続されたコントローラはスーパーファミコンと形状がまったく同じですが「SONY PlayStation」という文字が描かれております。これが本物なのかどうかまでは流石に関係者ではないのでわかりませんが、ぱっと見コラ画像のようにも見える幻のハードとなっております。興味のある方は是非検索して確認してみてください。
あれやこれやあって任天堂との開発は中止に。開発費などすべて合計して15億円を損失してしまったとのこと。そりゃ会社的には大ダメージでございます。これを受けて1992年のソニーの経営会議に久夛良木さんが経緯説明で参加。
まだゲーム業界に未進出だったソニーだったので多くの役員が大反対しており「やっぱりダメだったか。」と、土下座レベルの雰囲気の中、久夛良木さんが「我々は本当にこのまま引き下がっていいんですか。ソニーは一生、笑いものですよ?」と食ってかかり、試作品はほぼ完成していることも発表すると「そんなこと言うのならばやってみろ!」とキレられる形ではあるが、ソニー独自開発としての許可をもらい、1992年の夏に「PlayStation」の開発が本格的に開始。
もともとは「ソニー・ミュージックエンタテインメント」に設けられた「コンピュータゲーム制作部門」であったが、開発が進むにつれて規模が大きくなり、1993年にはそこから独立して「ソニーコンピュータエンタテイメント」が設立され、ついに1994年年末に「PlayStation」が発売されます。
発売後も、PlayStation は伝説的な結果を残したわけでございますが、この辺の話こそ書きたいのに文字数が既にとんでもないことになっているので、続きはまた明日のテキストにて。
というところまで書いて文字数が3631文字になりましたので今日はこの辺でオヒラキにしたいと思います。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。明日も元気いっぱいにテキストを更新しますのでその時また会いましょう。 ・・・俺が逮捕されていなければ。