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人生においてぶつかった大きな壁と、その壁をどう乗り越えたか

壁です。
今日は壁とそれを乗り越えた話。

どんな壁だったか?

振り返ると、壁っぽいな〜〜〜という出来事は結構あって、

・芸能界での衰退
・受験勉強
・マジで使えないバイトからの脱出
・起業直後
・プログラマー飛んだ問題
・壊されたNPO
・離婚
・組織改革

出典:私の歴史

ただ、めっちゃきつかったけどめっちゃ成長したな〜〜って心の底から感じるのは、この中でも2つぐらいです。

で、これらはどちらかというと内的要因で、つまり自分が作り上げた壁でした。外的要因で立ちはだかった壁の多くは、とりあえず即なんとかしないといけないので、なんとかしてきてあまり記憶にないのと成長感が薄いなと思います。

この視点で考えると、やはり「起業直後」が一番印象に残っていて、これを乗り越えたから今があるなとめっちゃ思います。

というわけで、その話をします。

起業直後

たぶん2014年ぐらい?18歳の僕。
当時イベント・ケータリングの会社を立ち上げ、初月で360万を売り上げたおかげで調子に乗っていた僕は、Web制作の会社も翌月から始めました。

共同創業だったのですが、スタッフも夏までに4人増やし6人体制。
正直Webのうぇ!の字も知らなかったんですが、増やしたからにはなんとかせねばと思ってガンガン営業をしていました。

地場での対面営業が死ぬほど苦手すぎて、当時流行りだしたCrowdWorksやLancersを使って出てきた案件に片っ端から応募しました。

今では、数千件の案件が常時掲載されてますが、当時はWeb制作だけで絞ると全部で数十件程度。これらを「絶対取るには?」という視点で、各社超細かく企画書を作り込みガンガン営業していました。

結果、あまりにも取れすぎて取れすぎてこれはやべえんじゃないか?ってぐらい取れすぎました。

その結果、どうガントチャートを引いても絶対に間に合わないマンが完成してしまいました。デザイナーもライターもコーダーもプログラマーも全てが足りません。

みんな毎日徹夜でしたがそれでも終わらない。今となっては良い思い出ですが、普通にアホすぎたなと思っています。

残された道は2つしかなく「新しく即戦力を雇う」「謝罪して契約破棄する」のどちらかでした。

ここで、僕が選んだ手段は「ゴレイヌ」でした。
つまり、

「オレが3人分になる…」

でした。
結果、僕がディレクター兼デザイナー兼コーダーになるという道を選びました。

毎日大量の参考書を一発で頭に入れながらそのまま実践に応用して…という生活を無限に続けました。正直いつ寝たか寝てないかすら覚えておらず、マジでずっとずっとずっとずっとずっと仕事をしていました。

この生活を半年ぐらい続けたおかげで今があり、そしてこの生活のおかげで多少なりとも全方面に使える知識がついたなという自負があります。

なぜ、乗り越えられたのか?

たぶん自分ひとりだったらバックレてたな〜〜〜と思うのですが、これはさすがに会社の為、というか信じて付いてきてくれた人たちの為だなと思います。

乗り越えられた理由は本当にこれだけなんですが、ADHDって自分以外のために頑張るときほど、結果が出せる生き物らしいですね。

これからもADHDらしく生きていきます。

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