無いけど有った、キセキ♪
秋という季節は、私を否応なしに外へと駆り出しました。
「祭りだ!文化祭だ!行楽だ!」
しかも、連日だったり、朝から1日がかりだったりで。
そんなある日、私は家の鍵を無くしました。
気付いたのは、祭りが終わって2日後です。
どこを探しても見つからず。
無くしたことに気づいた日は、スペアキーを使い鍵を掛けました。
そして、母の運動を兼ねて、久しぶりに神社へお参りに行きました。
手水舎で清めていると、おみくじの箱が目に留まります。
引いてみると「大吉」でした。
神様からのお告げを読んでいると…なんと「失物 出ず」とあります。
その日の夕飯の前に家族に告げました。「だらしない!鍵穴ごと交換するようかな?」と言われるかもと少し怯えながら。
「お母さん、家の鍵無くしちゃった…。でね、今日おみくじ引いて大吉だったのにさ、失物出ずって書いてあったのよ」
思いの外、笑ってくれたので調子に乗って、
「見かけた方は、ぜひお母さんにご一報ください」と言うと、
「車のポケットの所に自分で入れてたじゃん!」と主人の一声!
楽しかった祭りだったけれど…後の祭りとはよく言ったものです。疲れた!バタバタしてた朝の記憶がなく、鍵をしまったことも忘れていました。
無かったけど、有りました!鍵も、笑いも!
「あのおみくじは❔」笑神様が我が家に現れてくれたと確信しました!
無いけど有った、キセキのような思い出がいくつかあります。
小学2年生の頃、日曜日の午前中は書道教室に通っていました。
バスに乗って5分ほどの、4つ先のバス停の側に書道教室があり、いつも200円ほど持って家を出ていました。当時、バス代が往復100円で、残り100円はおやつ代です。
ある時、帰りのバスで50円玉1枚を握りしめて乗り込みました。おやつ代は全て使い果たしていたのです。
イスに座ると50円玉で手遊びがはじまりました。あと2つのバス停という所で、50円玉は手から落ちてしまいます。慌ててイスを降り床を探しました。
「今、落としたんだから、あるはず!」
ローカルバスの日曜のお昼時、乗客は他にたった2.3人ほど私の前方に座っていました。けれど、私の後ろには誰もいません。当然ながら、誰も私がお金を落としたことに気づきませんでした。
もうブザーを押さなければ、というその瞬間、光るお金が見えました!
「有った!」私はブザーを押して出口へと進み、いざお金を入れようとしたら、なんと100円玉だったのです!慌てて両替をして50円を納めました。
驚きました。私の50円玉が、100円玉に替わっていたのです。確かに私は50円を握りしめ、50円玉の穴を指の腹に押し当てて跡を付けて遊んでいたのですから。まさにキセキ!
でも暫くは、「金の斧銀の斧」の童話を思い出し、胸の奥が痛みました。「私が落としたのは50円玉ですから~」
また、小学5年生頃の給食の思い出もあります。
その日、私のクラスだけ4時間目に何かがあって、給食の時間が異常に短くなったのです。私は給食当番でした。なんとなくクラス中がバタバタしていて、いざ席に着こうとすると、誰かが「俺のコッペパンない~」と叫びます。担任の先生はその時、居なかったと思います。そこで何故か私のパンをその子に渡し、私が1人で給食室へ向かいました。
給食室の片隅では、調理員さん達が今まさに食べ始めようとしている所でした。「パン1つ足りません」と言うと、調理員さんたちは慌て始めました。
「あら、無いわ~。どうしよう」と。
実は私はお米派で、無くてもいいや~と思っていました。
間もなく、調理員さんが奥からやってきます。
「これね、残ったパン揚げちゃったのよ~」と渡されたお皿には、コッペパンがおいしそうな「ココアの揚げパン」に変わっていたのです。
揚げパンは、みんな大抵好きなメニューで、パンが苦手な私も大好きでした。だから、教室に戻ったら、みんなからの熱い視線が揚げパンに集中。羨望の眼差しの中、「残り物には福がある」と言わんばかりにたいらげました。無いのに有った、美味しいキセキの思い出です。
そして、最近、このnoteから届くメールからnoteを見た時、ログインされていないことに気が付きました。だから、私が押したスキ♡マークは、非会員からのスキとなっていたこともあったのでしょう。
私の気持ちは伝わら無かった~と、ショックでした。あまりにも疎すぎ!
でも、もう今さらです。私は押したという事実は有ります。
noteの更新も、記事のチェックも、この1か月以上あまりできませんでした。連続投稿されている方は、本当に尊敬します。
書きたい思いは有るのに、時間が無かった…と、ものすごい言い訳です。
「無いものを数えるより、有るもの数えよう」とよく耳にします。
無いことに囚われてしまうと、ネガティブが発動してしまうけれど、
有ることに目を向けると、些細なことでも幸せを感じられます。
だから、何かを無くしたり失ったとしても、大抵は心配に及ばないのです。
必ず周りに目を向ければキセキのようなことが有るはず!
そう信じて、センチメンタルになりがちな秋を楽しんでこうと思います!