茨木のり子 「汲む」の言葉にゾクゾクする
模擬面接をしている中で「ストレス解消法はありますか?」と聞くことがあります。「走ります」とか「ラーメン食べます」とか「友達と喋ります」とか、人それぞれの方法があって単純に面白いなと思います。
私にも「気持ちが…なんかあかんな」という時に行うことがいくつかあリまして、昔は『ガラスの仮面』を読めばなんとかなる時代とか、チャイを飲みまくる時代とか色々ありましたけど、ずっと続いているのは海を見に行くことと詩を読むことの2つ。
詩では、茨木のり子の詩集を手に取ることが多いです。「倚りかからず」や「自分の感受性くらい」が一番有名なのかなと思いますけど、しんどい時よく読むのは「汲む」という詩。
大人になるというのは すれっからしになることだと 思い込んでいた少女の頃
から始まる詩。少女は「素敵な女のひと」と会い、その人の言葉によって自分が思っていた「大人になること」は違うんだと気づく。
人に対しても世の中に対しても 人を人とも思わなくなったとき 堕落が始まるのね
「素敵な女のひと」の言葉。それに「私はどきんとし」た。
そして、ここからがさらに惹きつけられる言葉のオンパレード。例えば、
頼りない生牡蠣のような感受性 それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
「頼りない生牡蠣」!これは何度読んでも、ゾクゾクします・・・!
また特に仕事で落ち込んだ時にはここが響きます。
すべてのいい仕事の核には 震える弱いアンテナが隠されている きっと……
はあ〜痺れる・・・!
全部を書くことはできないので、もし気になったという方がいらっしゃれば、ぜひお読みいただければなと思います。詩人が発する言葉の力ってやっぱり尋常じゃないです。
年齢を重ねて、世間的には「いい年」と思われる年代になりました。でも、昔、想像していたような強さは得られていなくて、びくびくしたり、堂々としていなくて、心配性で、いつまでたってもしっかりしない自分に呆れる日もあります。
ただ、そんな日は、せめて、自分を救ってくれる言葉に出会い、それを胸に抱きしめることのできる私を私は褒めたいです。