変換大失敗
私のだけじゃないと自信を持って言えるのだが、うちの予測変換は少々ポンコツだ。
こんなことを今更書いても誰かの二番煎じかもしれないが、なにせ「噛み合わせ」を「咬み合わせ」と変換するのだ。これはまだいい方。
主に私の指がおかしくなるせいなのだが、「わたし」を「わつぃ」と変換することがある。挙句の果てに「復帰、そして雑記」の記事では「もの」を「のも」と書いていた。どこかの野球選手じゃあるまいし。
ひでお、じゃなかった、「のも」は失敗を忘れないようモニュメントとして残しておいた。
前回「歯的な詩」と題して矯正器具と抜歯について語ったのだが、私は歯より先に失ったものがある。
好奇心だ。
最近感受性が乏しくなってきたのもあって、結構いろいろなものへの興味を失ってしまった。
何としても小学生の頃の好奇心とチャレンジ精神を思い出したい!noteにすがったのもその理由の一つだった。
私は好奇心をひとつの「パワー」だと思っている。
好奇心があれば、どんな物事にも前向きに取り組める。
好奇心を呼び起こす方法はないだろうか。
どこかしらから某有名ネコロボットが出てきて、
『好奇心作成キット~』
と言いながら摩訶不思議な機械で好奇心を呼び起こしてくれないだろうか。
(御冥福をお祈りします。)
あるいは、好奇心がみるみる湧き出る泉があって、それに浸かることで新しいことに挑戦する勇気が湧いてくるとか。
ただ、この泉の水を飲んでしまったが最後、いろいろなことに激しく興味を募らせて、最終的には何もできずに一生を終えてしまう。
泉の中に女神がいるのもいいアイデアだ。例えば平凡な漫画を泉に落とすとドラゴンボールかワンピースかを勧められ、正直に答えると平凡な漫画への好奇心を呼び起こしてくれるのかもしれない。
おそらく、ペテン師を泉に投げ入れると善良な人間か誠実な人間かを勧められ、正直に答えるとペテン師になりたいと思うようになるのであろう。
いや、泉にペテン師を投げ入れる時点で好奇心旺盛ではないか。
つくづくペテン師を泉に投げ入れる精神を持ちたいものである。