見出し画像

罪悪感について思う

誕生日を機に毎日継続してnoteを書くと決めたものの、結局継続できず・・・。
書こうという気持ちはあっても何を書いていいかでずいぶん悩みました。
キャンバで写真を編集するのに無駄に時間をかけてしまいます。
「うまく書かなくてはいけない」という思いが自分のこだわりにつながってしまいます。
また、後でやろう・・・と思って結局寝てしまうこともしばしば。
やることを後回しにしてしまうのも悪い癖です。

できない自分はダメ

こんな感じで「できない自分」を責め、罪悪感を感じてしまうのがいつものパターン。
私は「自分のせいで・・・」と自分の周りで起きるネガティブなことはすべて自分が原因なのではないかと思ってしまうことがよくあります。
また、「決めたことができない」ことに対して自分を責めることもしばしば。
私が罪悪感をもつきっかけになったことがいくつかあります。
一つ目は6歳の頃。
坂道を自転車で押していて疲れたので、母に駄々をこねて後ろから押してもったのですが、それでベビーカーに乗っていた弟が坂道から谷に落ちてしまったのです。幸い弟はケガがなかったのですが、「自分がわがままをいったから弟に怖い思いをさせてしまった」「お母さんを困らせた私が悪い」と罪悪感を植え付ける結果になりました。
は怪我が無かったし、お母さんも私を責めなかったけど、私がそう感じてしまったんんですよね。

どうせ私なんて・・・

二つ目は3年生の通知表。
当時は通知表に悪い事も書く時代で、私の課題が通知表に書かれていて、その一言がいまだにトラウマになっています。私が関わると人が離れていくのではないかという怖れと罪悪感に悩まされました。
私は何かすると「いらんことを」をしてしまうのではないかという怖れと、「いらんことをしてした」という罪悪感でずいぶん卑屈になっていたと思います。「どうせ私なんて」というのが口癖になりました。

私のせいで・・・

三つめは教師になってから。
「子どものせいにしてはいけない」「人は変わらない。変えられるのは自分だけ」という自責思考から、子ども達がうまくできないのは「私のせいだ」と思ってしまうようになりました。
私の前では反抗的な子が他の先生の前では素直ないい子。
その子を素直にさせられないのは、私の力が足りないからだとずっと足りないものを見てしまっていました。罪悪感を感じざるを得なかった感じです。

罪悪感を手放す

その罪悪感はほんとに必要なもの見直すことが必須かもしれません。
それで随分自分自身を傷つけてきました。
もしくは罪悪感をもたないように意思を強く持ってやりとげるか。
罪悪感をもってしまう自分を励ましつつ、この罪悪感のスパイラルから抜け出したいと思う今日この頃です。

30日チャレンジ、ふりだしに戻る😢 1/30






いいなと思ったら応援しよう!