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~浪人期間を経て~大学前期の振り返りと浪人を考えている人へ

軽い自己紹介

私は父の影響で医学部を目指し二年間浪人、結果現役、一浪目はすべてが不合格。二浪目で私立医学部二校、一次試験合格。二次は一校が補欠、もうひとつが順位発表なしの状態で、共通テストは医学部志望とは思えない640点台。北大総理生物重点に特攻し、二次で成功、なぜか合格し今に至る。
もしかしたら医学部にいけるかもしれない!!という親の大きな期待と二年間の浪人期間を経て様々なことを考え(自己嫌悪にも陥り)医学部は私には何かが違う、と考えを改め北大総理へ。現在やりたいこともなく、総合理系という学部振り分けのための一年を苦しく過ごしている。

医学部を目指した経緯

医学部を目指す人は様々だ。受験会場でいろんな人をみてきた。18歳の現役生から、出産を経験し医学を志す人、病気のある人やそれで亡くなった人を持つ経歴のある人。どんな人でも医学を学びたい、と思えるのはステキだと私は思う。その点私は理由も、弱く面接では苦労したものだ。
父親が医師で、両親が私を医師にしたいと考え、私もやりたいことがなくそれにしたがった、というだけなのだ。小学受験を経験し(私の意図的な異常行動で不合格)小学一年生から塾に通い、中高一貫校に通い、沢山の期待を背負ってきた。成績は悪くはなかったが、医学部はレベルがひとつ、いやふたつみっつ程違う。高校卒業時の学力では到底及ばず、浪人し、目指すなら高いほうがいい、という思考のもと、目標は継続した。

浪人期間の勉強

ほかの人のデータはあまりないので客観的評価はできないが高校三年次の評定は4.5あった。悪くはないと勝手に思っている。
しかし学校での評価がもらえることと、”受験勉強”ができることは全然違う。私は駿台や河合ではない少人数授業をうりにした予備校に入った。
予備校はどこもかしこもクラス分け(授業のレベル振り分け)があると思うが、だいたいが中間のクラス、得意な生物のみが最高クラスであった。
ここでモチベーションを失うものも多い。私は本当に共通テストの国語ができず悩んでいた。100点を超えたことがなかったものだ。そしてその予備校の先生の国語は本当に分かりにくかった。私はまた国語のやる気を失った。
二年の浪人で学んだことの一つは予備校は正直どこでもいい、ということだ。理系選択者で国語や社会が苦手な人はわかるかもしれないが、過去問を解くとなぜか高得点をとれたり、信じられないくらい低い点の時もある。
そしてその問題の復習をしても、次につながっている感じがしない。
私は社会の勉強を十分にせず70点も取れなかった(医学部をめざしていたのに、だ)。それに反して生物は安定して80を超え、二次試験のもしでもss65をほぼ毎回超えた。授業もほぼきかず、資料集を眺め、暗唱して、わからないものをすぐに確認することのできる環境であった。たいして化学は先生が持ってくる問題の難易度が難しすぎ、授業は聞かず問題集をひたすらに説いていた。数学は大嫌いで二浪目まで逃げ続け、低い点も取り続けた。二浪目からはある程度の型を覚える暗記の数学を始めた。述べておくが、これは勉強の最初にするべきことではない。一浪目までで最低限の基本を作れたため、このステップにしても失敗はしなかったと考える。
私は本当に共通テストの形式が苦手だ。文系科目は当然のこと、理系科目も、記述ならできる問題もなぜか取れなくなるし、数学の絶対に解かせる気のない問題も大嫌いだ。
なにせ私は(たったの)三回だが、あの会場で人生がかかるテストを制限時間とあの緊張感の中で冷静に解くのなんて無理な話だ。
毎年ユーチューバーだのそこそこがくれきのあるインフルエンサーが自宅でまったり解いた点数を発表するのにはうんざりだった。
話がそれたところで次の話題へ


【浪人する、ということ。】

浪人についてどのような印象をもっているだろうか。つらそう、が一番多いと勝手に思っているが、想像する辛さの程度ではない、と断言させてもらいたい。
もちろん浪人したての(もって)三か月はみながモチベにあふれている。それを保ち続けることがいかにむずかしいことか。
私は高校の友人関係はほぼ切ったが、つながりのある人たちは現役で大学に入った友人の楽しい話をきかされ、今の自分にうんざりするそう。
また予備校では基本的には友達ができないと思ったほうがいい。コロナ禍を経た今の若者はとくに必要以上のコミュニケーションをとろうとしない(と感じた)
幸い私は自宅から通える範囲に予備校がなく、予備校に付属した寮に住み、そこでは予備校が葬式同然のふんいきのため、友人ができた。二年たって大学に入った今も交流のある人もいる。
目標(のレベル)は違えど一緒に頑張れて支えあえて、時には遊べる友人は心の支えとなった。
忘れていたがこのような環境でホームシックになり、勉強ができなくなるものもいた。
私の場合家族ではないが心の支えになる人がちかくにいることが成功の秘訣かもしれない。

私の場合

そんな友人のできた寮も、たいていは一年で入れ替えが起き、大半が合格していき、一個下の若い子たちが入寮してきた。彼らの雰囲気が苦手で、寮も居心地が悪く、予備校も基本は一年周期なので、また同じような授業を聞いた。滑り止めなんて一つもださず、一年浪人しても合格をもらった大学もゼロ、そこそこ趣味もあったのでそれらが自由にできない状況、勉強そのものが嫌になる、予備校の人間関係が嫌になる。私は予備校に行けなくなった。
のちに抑うつと診断されたが、それと併して片頭痛がひどかった。なんど命を終わらせような悩んだことだろう。それもあってか、共通テストでは大失敗。やりたいことがなく総合理系というシステムを魅力的に感じ、二浪分の蓄積もあってか、俗にいう逆転合格をした。

浪人を考えている人に向けて

今、浪人は減っている。それでもするのは①どこも受からなかった ②どうしても行きたいところがある、の二択だろう。
私は浪人の選択をすることを、まずすごいことだと思うし、応援もしたい。
医学部を諦められず、三浪目を頑張っている友人もいる。
しかし、前述もしたが大変つらいことであることは間違いない。
①の人は、途中でやる気をなくすかもしれいなが、どこか受かればいいのだ、気は楽だろう。
問題は②である。現在の私のように本来の志望通りにはいかないのが浪人、あるいは受験というものだ。
滑り止めや、自分の心への諦めをしっかりとつけれる準備をしておくべきだ。北大にも、その上を目指していて仕方なくに来て、後悔が残っている人をたくさん見る。
また今の私のように、雑に滑り止め(私の場合は当初の志望とは異なる、という点で)を考えないほうがいい。滑り止めの大学の、学部、立地、就職先など、先を広く見据えて行動するのが良いだろう。
受験は情報戦だ。

さいごに

いまの私も陥っており、解決法を提示できないが、今の子も多いと思う。やりたいことがない、しかし大学全入時代で、とりあえず大学に入れと親に言われる、入っておかないと就職で、、、など本来の大学の研究を基本とした環境に適応できなかったり、入れるところに入り、学びたいことが違うとわかる。そんな人たちが多くいるのでは、、と推測している。
大学は研究の場であって、とりあえず入るところ、になってきている近年の傾向はどうにかならないものか。


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