あの日から、なかったはずの未来を生きてきた-ノストラダムス世代の私の死生観
こんばんは、ナツです。今日は少し個人的な歴史と、その中で感じていることについてお話ししたいと思います。
突然ですが、ノストラダムスの大予言をご存じでしょうか?あの予言は、私たちの世代にとって大きな影響を与えました。
時代背景を少し書いておきますね。
1973年に出版された後藤勉さんの『ノストラダムスの大予言』によって、多くの人が1999年7月の「恐怖の大王」を恐れていました。
その予言とは日本で有名なあのフレーズ”1999年、7の月、空から恐怖の大王が降ってくるだろう”というもの。
私の幼少期
私は1965年生まれです。当時の私は小学校に上がるか上がらないかの年齢で、予言が話題になった日本中の異様な現象に驚きと不安を感じていました。友達と遊びながらも、ふとした瞬間に『本当に明日は来るのかな?』と不安に駆られることがありました。
しかし、悲壮感はなく、困ったとき、辛い時、「人類は滅亡する!地球は終わるんだ!あしたは必ず来ないかもしれない!」という呪文の様な予言の言葉は、生きている時間の短さと、経験のなさが、都合よく10代に満たない私の心の襞の中に心地良く、いい具合にしまい込まれたのだと思います。
さてさて、1999年7の月が来るまで、この呪文を幾度となく、いやいや何千回、何百回唱えてきたでしょう。
例えばこんな時に
・友達と喧嘩した
・試験の前日、勉強しないまま朝を迎えてしまった絶望の朝に
・マラソン大会で序盤必ず、脇腹が痛んで棄権せざるを得なくなる状況がやって来た瞬間に
・仕事で大失敗した夜に
まぁ、当然ですが「滅亡するなら、今日にして!」願っても、祈っても1999年7の月までやってくることはありませんでした。
ボーナスステージとしての人生
1999年7月が来ても何も起きなかったとき、私は新しい未来が開かれたような感覚を覚えました。それ以来、後の人生はまるでボーナスステージのようなものだと感じています。特に、子供が生まれてからは、彼らと過ごす日々が新しい人生のように感じられました。
子どもが生まれてから
30代、子供が生まれてからの私は、2回目の人生を生きている気がしていました。長男を膝にのせて公園で思い切りブランコを漕いだ時、子供の運動会で、思い切り応援するとき、入学式や卒業式で、厳かな気持ちになるとき、ボーナスステージだと改めて思ったのです。私の人生を1回、思い切り生きたというのに、彼らと日々を過ごすことで、もう一度人生を生きている感覚が、しはじめたのです。いつからか心の襞の中にあるあの呪文を唱えることは、めっきり(全くではない)少なくなりました。
私の人生は、計画通りに進んできたわけではありません。予期せぬ出来事や困難に直面するたびに、心の襞の中に心地良くしまった呪文に、何度も助けられ裏切られました。
3回目のステージに立っている気がする
2023年、病気の宣告を受けた3回目のステージに立つ今、私は以前よりも強く、そして賢くなった自分を感じています。これからも一日一日を大切にし、学習済の脳でより良い人生を生き抜いていくことを楽しみにしています。病気と向き合いながらも、毎日を大切に生きる思いが強まっています。「明日は必ずやって来ない」生きている今しかないのだという幼い日からの、思い込みや、価値観は、不思議なことに今でも私を支えてくれています。
調べ物をしていたらこんなものに辿り着きました。
あの日、あの頃キッズだった私は、理解できただろうか?
いやいや、知らなくてよかったのだと、書きながら思っています。
今日は、ラララと一緒ではありません。
私の言葉で書いてみました。
「Images created with Canva」
ナツ