多摩ニュータウンとは?
みなさんは多摩ニュータウンを知っているだろうか?高度経済成長期の昭和40年代に多摩市で建設が始まり比較的お金のあるサラリーマン世帯がそこに住み着いた。その頃は聖蹟桜ヶ丘から都内へ通勤・通学した。その頃の団地はその時代で言えば最先端のものが詰まっていた。お風呂やシャワー、三種の神器と言われた、洗濯機、冷蔵庫、テレビつきである。
昔のアパートは木造で風呂なし、トイレなしがザラにある中でのいい暮らし
を夢見てそこに住んだ。
多摩ニュータウンの歴史
https://www.city.tama.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/116/4-1.pdf
これはそこに住む知人から聞いた話である。
建設された当時は最先端でも時代が進めば老朽化も目立ってくる。
大規模団地、マンションには理事会や管理組合がある。だいたいの会議はそこで決められる。老朽化が目立つと建て替えの話は当然出てくる。
30年かけて住民たちは理事会の会議を重ねていくうちに管理組合も自主性にして建て替えをしてくれる工務店や建設会社を回った。その中で決まったのは東京建物という企業である。
そこから大規模建て替えの話が決まり、あとは住民たちの仮の住居探しだ。
しかし平穏無事になにもなかったわけではなかった。
嫌がらせ、デモをやる有名なクレーマー
いざ建て替えが決まり、住民たちが仮のアパートやマンションに移転、当然、残る住民もいる。住民にも反対の者はいる。理事会のメンバーに嫌がらせはとうぜんのようにあり、電車の中や道路でもお構いなしに罵詈雑言をあびせる、わめくはありで、中でも悪質なのがプラカードをもち連日デモや反対運動を繰り広げるプロの連中。その連中も東京都の職員も知っているという有名な運動家たちが勝手に部屋借りて住み着いたから大変。
理事会メンバーたちは裁判を起こして勝訴して敗訴した連中を追い出して事なき得たのだ。
そういった紆余曲折、カオスな事案も乗り越えて10年前の2014年頃に
建て替えが済んだ。でもまだ少し残っているがそれも二年後に建て替えられる予定である。
活気が戻った多摩ニュータウン
昭和40年代に建設された多摩ニュータウンは老朽化が進みご年配の方が多い老人たちの団地で活気がなくゴーストタウンと書かれてることが多いが建て替えられてタワーマンションとして生まれ変わった。
元の住人だけでなく周辺の若い人たちがたくさん入ったおかげもあり昔の活気が戻ってきている。
オートロック式の最新型でデイケア施設や個人病院、コンビニ、児童館、保育園などあり子育てママもいれば子供もわいわい遊んでいる。
これのどこかゴーストタウンだろうか?
それは風評被害にすぎない。これでゴーストタウンていうなら日本中のどこの街にあるマンションはほとんどゴーストタウンで終わっていると思うが。それを払しょくするほどの賑わいが戻ってきている