身近にあるのは 世界の大切な一部分
ここ数か月、とくに強く思っていること。
とくになつかしやの制作活動とは直接関係のない話なんですが、思いのどこかにこのことがあるのを感じながら生活しているこの頃なので。
多くの方がそうだと思うけれど、ここ最近ニュースで聞く訃報に、
生きにくくなっている世界のひとかけらを見る気がして本当に胸が痛みます。
仕事が成功していて、充実して幸せそうに見えていた方が生きるのを諦めてしまったのを知ると 直接つながりがあった訳ではなくても漠然とした無力感を感じたり。
どんな死も悲しいものだけど、全く予想もしていなかったときに出会う死は本当にきついですね。
見た目や、お金、仕事の評価や地位や名誉、幸せに生きるために必要な芯になるものはそういうものじゃないんだな。
揺るがないものを見つけること、探すのを諦めないこと、見つけてもそれを離さないように抱き続けること。努力が必要だけれど。
考えを広げすぎると、自分にできることは何もないと思ってしまうけれど、身近にいる人たちは自分が大切にできる世界の一部分。
何か困った状況になったときに頼ってもらえるように気付けるように、
何かあってもなくても普段から思いやりや気遣いをできるようにしたい・・・。
家族や友人。関係が近しいほど、甘えや いつでもできる、という気持ち、あるいは独特な難しさもあるかもしれないけど。
出来ることを、出来る範囲で 自分の優しい気持ちを広げて思いやりあえたら、もう少し住みやすい世界になるのかもしれない。そうなってほしい。
私が近しい人を亡くした時に、友人から送られてなぐさめられた言葉があります。
有名な文学作品の一節。
『…すずめ二羽はわずかな価の硬貨ひとつで売っているではありませんか。それでも,あなた方の父の[知ること]なくしては,その一羽も地面に落ちません。 …それゆえ,恐れることはありません。あなた方はたくさんのすずめより価値があるのです。』
ちっぽけなすずめのことすら神さまは気遣っておられるよ、という言葉。
誰にも、自分のことを大切に思って
気づかっている人がいるっていうことを忘れないで、大変な時ほど思い出してほしい。
それを伝えられる身近なひとにはちゃんと伝えていかなくちゃ、、。
そんなことを最近ずっと思っています。