長男ダイスケの成長⑥
一時保育の保育所に
毎週一回程度通いつつ
役場などに相談に通った挙句
年少さんになる歳から
集団生活が必要だろうという見解で
ようやく保育所に受け入れが決まりました
公立の保育所で
歩いていける距離で
いい保育所に出会いがありました
年少組ですが
年中さんとの合同クラスで
先生がそれぞれに一人で
二人担任制
年少の方は
年配のベテランの先生でした
よく理解してくださり
お友達とのトラブルはありながらも
機嫌よく通いました
年長クラスの担任の先生に懐いて
朝は
園庭でその先生が
しゃがんで手を広げて迎えてくださると
走って飛び込んで行って
日中もよく
年長クラスにお邪魔していて
お兄ちゃんお姉ちゃんたちが
年少クラスに送ってくれたりもしていたようでした
私の方は
とりあえず日中
ヒナと二人でゆったりとした時間を持てるようになり
ようやく一息つけた感じでした
そして
翌年、年子のヒナも入園
ダイスケは嬉しくて
入園式でヒナの名前を呼ばれると
立ち上がって
妹のヒナ‼️と叫んでいました、笑
保育所の先生方というのは
本当にいろんな状況に
とにかく大らかにゆったりと接してくださり
どれだけ救われたか分かりません
でも
ある日
家の電話が鳴りました
ダイスケのクラスのお母さんから。
「友達やから言うけど
ダイちゃんのこと、
クラスの大半のお母さんたちが迷惑に思ってるよ。
知らないのかもしれないけど、
色々トラブルもあるし」
という内容でした。
私は訳が分からなくて
とにかく先生に話わや聞かなくちゃ、と
保育所に急ぎました。
なんだか手も足も震えて
居ても立ってもいられず
走って保育所に向かっていました。
途中、
同じクラスの仲のいいお母さんに会って
「どうしたん?そんな顔してどこ行くの?」
と言われて
かいつまんで事情を話しながら
ブワッと涙が溢れて来ました
今思うと
毎日毎日必死でした。
お迎えに行って
誰かと揉めていたり
女の子にやめてよ〜!と言われていたり
他のお母さんに怒られていたり
私はとにかく
ニコニコと誰にでも愛想良く
とりあえず平謝りのコメツキバッタ
悪く思われないように
必死だったと思います
いつ会ってもニコニコしてるなあ〜!
と年上のお母さんに言われてたけど
必死だったのは覚えています
ダイスケが、迷惑かけてるかもしれないけど
とりあえず悪気はないです
頑張ってるので
すみません!
と全身で表現していたのだと思います。
保育所に着くと
お昼寝している子供達の隣の部屋に
担任の先生が招き入れてくれました
「どうしたんですか?」
電話で聞いたことを話しました。
先生は静かに聞いてくれた後
「そうなんですね。
ショックだったでしょう。
ごめんなさいね、
クラスで何かあったときは
クラスでちゃんと解決して
仲直りさせて帰らせるようにしていたので
お母さんには毎回お伝えはしてなかったですね。
でも、他のお子さんたちは
家に帰ってお母さんに話しますものね。
ダイちゃんは言わないから、
お母さんには分からなかったのですよね。
それは、私たちも反省すべき点です。
これからは
クラスで何かあったら
お母さんにちゃんとお話しするようにしますね。
大丈夫ですよ。」
ということで
私も落ち着きを取り戻して帰りました。
その何日か後
保育所の帰りに靴を履いているところに
同じクラスの年中の女の子が寄ってきて
「おばちゃん、知ってる?
クラスの大半の子が、大ちゃんのこと迷惑に思ってるねんよ」
と私に言いました。
心の中で
「あんたのお母さんが言ってたんやな?」と思いながら
「ふうん。そうなんやね」
と言いました。
私が言いたいのは
子ども同士のそう言った差別的な言動は
大人によって作られるってこと。
子どもはよく聞いてます。
大人たちの会話。
迷惑よね〜って、
そう言ってるのを聞いて
ダイちゃんは迷惑なんだ、と思うようになるんです。
それを何人かが言い出すと
それが事実のようになっていくんです。
そこからいじめが始まる。
迷惑だと言われた原因のひとつが
なんと、
うちのクラスは縦割りの混合クラスで
しかもダイちゃんに先生の手が取られるから
となりの年中だけのクラスより
「逆上がりが出来ない子が多い」
という言い分でした。
なんじゃそりゃ。
それが成長の基準の人たちが
たくさんいたんですね。
我が子を他の子たちと比較して
不安になるんでしょうね。
でも、
その後シュタイナー学校に入って
私は驚きました
前提として
子どもたちそれぞれに
長所もあれば
苦手なことがみんなあるから
大人がそれをシェアして
親同士も理解し合って
一緒に見守っていくという土壌がありました
それぞれ違って当たり前だし
他の子と比較することはまずない
どれだけ楽になったことか。
私はもう
頭を下げて回ることもなくなり
子ども同士の揉めても
それについて親同士は
ちゃんと話ができるので
迷惑がられる、という心配がなくなって
本当に肩の荷がおりました。
保育所でも
理解してくれる友達がたくさん出来て
楽しい毎日を過ごせましたが
シュタイナー学校に入って
一人で抱えなくて良くなったこと
クラスの保護者の皆さんが
それぞれのお子さんの大事な育ち合う仲間として迎えてくれて
どんな時も
それは変わらなかったこと
先生方の
子どもを見る深い思慮
ヒナが保育所に入って一年後
末娘のカナが生まれて
毎日必死で生きていたので
私が漕ぐ小さな船で
フラフラとたどり着いたところを
暖かく迎え入れてもらって
子どもだけでなく私自身も
深く息ができるようになった
そんな感じでした。
でも
保育所の仲間たちにも
随分助けてもらいました。
ダイスケを児童相談所に連れていく日は
近所の友達が
ヒナを連れて帰ってくれて
ご飯食べさせて
お風呂に入れて
パジャマ着せて家まで送って来てくれたり
カナが生まれて一月は
通り道だからと
ダイスケとヒナを引き取って
一緒に保育所に送ってくれたり
たくさんの人に
助けてもらいながら生きてました
面白いもので
私によくしてくれたお母さんたちの子どもは
ダイスケと喧嘩しても
悪く言わないのです
結局
周りの大人が
子供の社会の差別やいじめを
生んでいる可能性は高いかもしれないなと
思っています
先生や親が
「だからあんたはダメなんだ!」
と言うのを聞くと
あの子はダメなんだ、
ああいうことすると、ダメって言われるんだ、
と刷り込まれていく訳です。
本当に
気を付けて言葉を発するようにしなくてはと
思います。
長くなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次は
シュタイナー学校との出会いです。