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『白昼夢の青写真』をプレイして

 最近、仕事でもプライベートでも、悩み事が増えてきており、自分の中の原点に戻りたい、、、ということで、凡そ8年ぶりにノベルゲームを探していました。
 数年前、話題を搔っ攫うゲームが発売されていたとのこと。若い頃は新発売のゲームの情報には必ず目を通していた私も、嗚呼、そんな話題になっているゲームの名前も知らないほど、自分の仕事に集中するような人間に成り下がってしまったか、、という残念な気持ちを抱えながら、気が付いたら全年齢版(Steam版)を購入しました。
 そして、とても印象的なゲームだったので、この感覚が抜けないうちに、何かに書き留めておこう、ということで、以下にまとめてあります。
 なお、これより先はネタバレ注意です。

3つの物語の感想

・case1
 最近結婚した自分にとって、妻との冷めきった夫婦関係をまじまじと見せられるのは個人的にはきつかったです。特に、妻の不倫に気が付くシーンと、妻が有島に対して冷たい言葉をぶつけるシーンは、結構きましたね。その一方で、凛との関係性が深まっていく描写は、現実味は無いのですが生々しく、自然と引き込まれていきました。秋房の日記を追っかけている時点で、有島が自殺に傾倒していく予感はずっとあるのですが、その最中に凛と喧嘩してしまったのは、本当に最後の一押しになった気がしました。凛というヒロインは、負けず嫌いで強情で、でも、大人びたところがあるとても魅力的なヒロインだと思います。プレイ開始後4~5時間くらいで完全に世界に引き込まれてしまいました。桜木町で喧嘩してしまったシーンの後、完全に凛とは音信不通になってもおかしくないと思うのですが、何事もなかったかのようにしれっとLINEを送ってくるあたり、沼らせる女だなあ、、、、という感じですね。
 凛と出会うことで秋房への劣等感が強くなり、妻の不倫に気が付いて、どんどん有島の精神的な余裕がなくなっていく描写が上手いな、、と感じました。ある意味、有島にとって凛は、自分に少しだけ幸せな感情を運んでくれる、生きるための最後の希望のような存在だったんじゃないかとすら思ってしまいました。
 あと、なぜか学校でも凛は私服(黒いノースリーブ)だったのが違和感だったのですが、switch版ではしっかり制服を着ているとのことだったので、そっちにすればよかったな、、と微妙に後悔。

・case2
 マーロウやシェイクスピア、エリザベス1世など、実在の人名が散見された物語でしたね。シェイクスピアがどのような流れで『ロミオとジュリエット』を執筆したかは現代の僕らには分かりませんが、こんな風に女性と一緒に描いたラブストーリーだったら素敵ですよね。ところで、エリザベス1世ってそんなに激しくカトリックを排斥してたっけ。。。。?という違和感がずっとありました(のちに調べたら、カトリック弾圧を行っていたというのが通説であることを知りました)。そこは無理やり忘れてプレイしていました。
 個人的には、凛が有島を好きになったのと同じくらい、オリヴィアがウィルを好きになっていくさまを描写してほしかったなあ、、と思いながらプレイしてました(最終的には、この物語を世凪が執筆した時点は、case1を執筆した時点よりずいぶん前で、世凪としても自分の内部を吐露するための小説というわけではないと思うので、合点がいきます。そして、シナリオライターの方は恣意的にcase2をそう書いている気がします。)。少しずつオリヴィアのウィルに対する態度が軟化していくのは描かれているのですが、それが、演劇における相棒として認めていくもののように感じてしまいました。男女が好きになる時って、もう一つハードルというか切っ掛けみたいなものがある気がするのですが、そのあたりがあまり見えませんでした。ただ、それが後々に伏線の一つになるとは、この時点では気が付きませんでした。。
 物語としては、case1よりずっとさっぱりしていて、読み進めやすかったですね。最終的に新大陸に連れていかれるので別れてしまうという終わり方も結構好きです。個人的にはエリザベス1世と対面するシーンがお気に入りです。結婚問題については私ではどうにもできない、そこまでの力は無い、と少し眉を寄せて話すシーンはけっこうリアルですね。実際、当時のエリザベス1世には宗教側(カトリックだけでなくイギリス国教会に対して)にどれほど発言力があったかは謎ですが、ヘンリ8世の時代よりは限定的になっているんだろうな、と想像しています。教会側はメアリ1世の時に排斥されていた恨みも買っているでしょうし、国王が暗殺されるのも珍しくない時代でしょうし。

・case3
 3つの物語の中でいちばんあっさりしていますね。OPもめちゃくちゃポップでしたね。読み進めやすかったです。話自体はとてもシンプルなんですが、すももというヒロインが魅力的で、自然と引き込まれていきました。個人的に印象的だったのは、父を誘って4人で飲み会をするシーンなんですうが、梓姫が意外と大人っぽいコミュニケーションをするのがリアルでしたね、、少年を騙して車を盗むような人でも大人の顔をできる、というのはちょっと面白かったです。
 あと、スペンサー嵐山のことをいつのまにかスペンサー嵐山師匠と呼ぶようになったり、ネタ要素が細かいのが好印象です。また、クリックでシャッターを押させる仕組みは結構面白いなと思いました。
 
 このゲーム、全体を通してなんですが、ヒロインが魅力的なんですよね。凛もオリヴィアもすももも、それぞれに良さがあって、忘れられないようなキャラクターをしています。
 凛は負けず嫌いで強情な、子供っぽいところがある一方で、中年男性を惑わすほどの妖艶さを見せる、高校生とは思えないような大人っぽいところがあるところが魅力的です。オリヴィアにはうっすらと見える母性と、身分制度、婚姻制度などに抗う強さが魅力だと思います。すももは破天荒な性格と、カンナへのまっすぐとした好意が魅力ですね。
 あくまで個人的にですが、読んでいて楽しかったのは1>3>2の順番でした。case1は心理描写に深みがあり、凛というキャラクターも好みでした。いわゆる「読ませる」物語だったように感じました。

3つの夢を見終わった後の物語について

3つの物語を見終わった後、case0として、世凪の物語が始まります。ここまでで大体15時間くらいプレイしていたので、結構短めの話なのかな、と思っていたのですが、予想が外れましたね。。むしろここからが本当のこのゲームの醍醐味だったとは。。
プレイした時系列順に感想を残していきたいと思います。
・少年編
 子供時代の海斗と世凪の物語です。
 子供世凪の明るくて天真爛漫な性格は、すももに似ており、すももが子供時代の世凪によって描かれていることがよく分かります。おそらく、子供時代に世凪が、将来こういうお姉さんになりたい、、という願望を込めて書いているんじゃないかと想像できます。また、すももがカンナを好きになる描写や、カンナが夢を追いかける描写など、case3の表現は全体的に稚拙でまっすぐに書かれていますが、これも子供時代の世凪が書いたからだと推察できます。
 海斗の母が死んでしまう流れは最初から予想できるのですが、鳥を拾ってきてから、その鳥が落ちると同時に命を落とす、という描き方はなかなか綺麗で好きです。一時的に基礎欲求欠乏症の症状が落ち着いていたのに、その後に死に向かていったのは、世凪という頼りになる友達を海斗が連れてきて、学校も行くようになり、自分の息子はもう大丈夫だと、安心してしまったことからでしょうか。
 この頃は、母の死はありながらも、世凪とどんどん仲良くなっていき、明るい日常描写が多かったような気がします。

・青年編
 海斗が準研究員になったシーンから始まります。
 世凪との同居生活も続いており、出雲も一緒に幸せに暮らしているように見えますね。この編においてオリヴィアの話も出てくので、おそらくcase2の物語を書き終えたのは、少年編~青年編の間のタイミングくらいだったんじゃないかと想像しています。
 世凪は現状の生活に満足しているように見えるのですが、どんどん海斗が中層の生活を目指す姿は、カップルのすれ違いを描いているようで、リアル感がありましたね。現代も、夫婦生活を重視してプライベート時間をたくさん取るか、そんなものは無視して仕事に全力投球するかは、男性にとって究極の選択になっていると思います。
 結局、中層で生活する権利を海斗は手に入れ、世凪にそのことを伝えるのですが、世凪はぜんぜん乗り気ではなく、結婚もしてくれなさそう。その原因がアルツハイマー病による記憶障害への不安であることを告白されるわけですが、このタイミングで世凪は、case1の物語を書き始めたじゃないかと思います。
 この時点ではまだ、三つの夢を見ていく作業は、単純にアルツハイマー病によって失われていった世凪の記憶を思い出させるためのものだと思っていたのですが、まだまだその先がありましたね、、、

・研究員編
 世凪の能力を海斗研や遊馬たちに打ち明け、思考空間の実用化に向けた研究を進めていく段階ですね。世凪の負担がどんどん増していく姿が痛々しくて、ストーリーを進めるのが辛かったです。レム睡眠上での思考空間に限界が見えてきて、遊馬にアドバイスを求めたときにノンレム睡眠で実験を継続することを進めてきたとき、若干嫌な予感がしたんですよね、、徐々にアルツハイマーの影が見えてきて、ノンレム睡眠の実験がそれに拍車をかけることになるのではないか、と思いましたが、実際にはもっともっと過酷なシーンが待っていましたね。
 正直、遊馬が世凪の前頭葉を切除したシーンはトラウマすぎました。思考空間への参加人数が7人に達するところで実験が終わるはずで、エミュレーターがそこまで構築できれば世凪は解放されるはず、、、ノンレム睡眠での実験であと一人、あと一人だけ参加させられれば終わりなんや。。。というところからの、「外科的処置」はめっちゃ衝撃でした。なにしてくれてんねん!!(# ゚Д゚)って感じですよ。
 その後、海斗がダウンしていた間にも幾度となく世凪の脳が切り取られているような描写があり、これ以上世凪を虐めないでほしい・・という気持ちが強かったですよ。本当に辛かった。もともとこんな実験をしていなければ、海斗と世凪は、世凪のアルツハイマー病が進行する間、限られた時間を二人で過ごすことができたはずです。その間、二人とも、なにか納得できるような思いでづくりができたかもしれなかったのに、強制的に二人の間を分断するような行為は、あまりにも残酷だったと思います。

プレイ後の断片的な感想

プレイ後、あまりに衝撃的な内容すぎたこのゲームについて、何が「衝撃的」たらしめているのか、自分なりに思っていることを断片的に残していこうと思います。
・ノベルゲームにありがちな大団円で終わる、わけではない
 最終的に世凪は、仮想空間の中に再び現れることになります。この世凪が、前頭葉切除及びアルツハイマー病発症前の世凪と同一と考えていいかどうかは議論があります。個人的には、その世凪は、前頭葉切除及びアルツハイマー病発症前の世凪と同一とは考えたくはないかな、と思います。
 海斗母の死後、世凪の思考空間で母と再会しますが、それはあくまでも世凪の持つママの記憶を受け取っているだけだったため、そのママは生前のママと同一ではないと思います。
 それと同じで、仮想空間の世凪は、海斗の記憶上の世凪+海斗による物語を聴いた人々の世凪のイメージ+世凪自身の記憶や意思によって構成されているにすぎず、それってあくまでも過去の世凪の集合体であって、新たに何かを考えたり感じたりする世凪と言えるのか、、は、仮想空間に世凪自身の記憶や意思がどれほど干渉できるかによって変わるような気がします。
 少なくとも、前頭葉を切除され、アルツハイマー病に侵された現実世界の世凪には、現実世界においてはもう二度と会えないのは確実に言えると思います。つまり、ただただ海斗は、現実世界の世凪の寿命に到達するまで、仮想世界にとどまり、本物と言えるかどうかわからない世凪と生活を続ける、、、という消極的な幸せを紡ぐしか道が無い(もう二度と、青年時代のように下層の家で世凪と幸せにくらすようなことはできない)のは、あまりにも悲劇的ではないでしょうか。

・3つの物語の夢を見た後の世凪は、自我を取り戻すことに正解したとは言えない
 このゲームは、もともと、海斗が世凪の自我を取り戻すために、世凪の著した物語を夢の形で追憶することを主旨としていると思います。しかし、三つの夢を見終わった後においても依然として、世凪は前頭葉の切除前の世凪の姿ではなく、ぼんやりと話すことしかできませんでした。しかもその自我も、辛うじてリープくんと出雲によって維持されているようなものでした。つまり、三つの夢を見せることで、世凪に元の自我を戻すという試みは、失敗に終わったということだと思います。
 (前頭葉切除によってか、アルツハイマー病によってか不明ですが)記憶を失った世凪と、思い出の場所を一緒に回った後、世凪は、明確に、海斗を愛していた感情を思い出せないことや、やはり自分は仮想世界に戻った方がよいと発言するようになりました。かつての世凪であれば、世の中のみんなが求めているとか、そんなことより、海斗との生活を優先するのではないでしょうか。特にこの頃の海斗は別に、仮想世界を創ることには拘っているような姿勢は無かったでしょうから、海斗の幸せを最優先に考えるかつての世凪であれば、仮想世界に戻ることは選択しなかったと思います。つまり、この時の世凪は、明確に、前頭葉切除及びアルツハイマー病発症前の世凪とは記憶が分断された世凪だったと思います。そういう意味でも、かつての自我を持った世凪を取り戻すようなことは、三つの夢の追憶をもってしてもできなかった、ということだと思います。
 この事実はあまりにも残酷だと思います。前頭葉を切除された後、脳の他の部位が前頭葉の機能を補完してくれると思いきや、全力を尽くしてもそれが満たされなかったのですから、もはや現実世界に世凪を取り戻すことはできないことは明確になったと思います。

・世凪、いくらなんでもヒロインとして完成されすぎ
 海斗が学校に通うようになる前から、一途に海斗を想い続ける姿勢も美しく、すももの物語に表れているように、海斗の一歩先を行くお姉さんとして海斗の面倒を見てあげようという姿勢も美しいと思います。また、海斗の母をママと呼ぶような距離の詰め方も理想的です。日常パートでも常に明るい姿勢を見せ、言葉選びも巧みです。
 あまりにも世凪がオタクの心に響く理想の女性像を体現しすぎています。。。それだけに、実験を嫌がるような姿勢を見せた時や、前頭葉を切除されるシーンは、ショッキングすぎましたね。
 世凪と海斗の掛け合いが、これ以上、現実世界で見ることができなくなるというのは、読者にとってあまりにも辛く、子供時代の世凪と海斗の会話があまりにも愛おしく感じてしまいます。
 case0のクリア後、ホーム画面が変わるのですが、変わった後のホーム画面で世凪が海斗の腕を引いている姿を見て、声をあげて泣いてしまいました。もう、そんな日常は返ってこないんだと思うと哀しくて哀しくて。

・脇役、魅力的すぎる
 登場する脇役が魅力的すぎました。
 常に海斗の仲間として味方でいてくれた入麻や、常に冷静に進言をくれて、世凪を連れて帰ることを望んでくれた出雲など、脇役が魅力的すぎました。
 僕個人としては、出雲がいつも三つの夢を見るときに提言してくれたり、そばにいてくれたのは心強い存在だったろうなと思います。無表情なようで、時々自分の意見をはっきり言えるのは、とても人間らしく映りました。

・遊馬について
 3つの夢を見た後、世凪の右手が動かなくなったため、遊馬に相談に行きます。その後、遊馬の回想シーンが始めるのですが、そのシーンがとにかく長い。正直、ちょっと冗長に感じました。
 そして、基礎欲求欠乏症の存在と、遊馬の妻の病状について話されるわけですが、多くのプレイヤーはそこで遊馬への同情を持ったのではないでしょうか。僕個人としては、「そんなことで世凪の自我を奪ったのか・・」というのが率直な感想です。仮に世凪の自我を奪い、仮想世界の構築に成功したとしても、それは今いる人類(または世凪)の肉体的な寿命が訪れるまでの時間稼ぎにすぎず、根本的な解決にはならないと思います。遊馬の主張では、時間稼ぎをしているうちに基礎欲求欠乏症の根源的な治療方法を生み出す、というものですが、そもそも、治療方法を生み出すことができるのであれば、仮想世界を構築することによって救われる生命の殆どは、仮想世界を作らなくても救われていると思います。仮想世界の構築によって救われる生命は、現実世界で治療方法の確立までの間に基礎欲求欠乏症を発症してしまう人たちということだと思いますが、そういった人たちは、果たして人類の何割ほどなのでしょうか。
 仮想世界の構築によって救われる生命の代表として、遊馬の妻が考えられると思います。彼女は、現実世界では基礎欲求欠乏症に侵されていますが、仮想世界では幸せに暮らすことができています。結局、遊馬は、人類を救うため、というのは大義名分に過ぎず、単純に自分の妻を救いたいがために仮想世界の研究をしていたのではないでしょうか。
 眠っている妻の、眠っている間の夢を充実させたい、というだけの目的にしては、世凪の自我や海斗と世凪の日常を奪うというのはあまりにも身勝手に感じられました。

全体を通して

 ノベルゲーム不毛の時代の中で、このような心に残る名作が発表されたことに心から喜びを感じています。
 多くの人が抱えているであろうプレイ後のモヤモヤ感は、名作ゲームをプレイした時特有のものだと思います。そして、OP・ED4曲も含め、CGの量も膨大であり、完成度は大変高いと思います。
 個人的には、Ever17やcrosschannelと並ぶ、人生で一番衝撃が大きかったゲームでした。このゲームを作ってくれた方々に心から感謝申し上げます。
 




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