【物語】負けず嫌いの牙
「俺より頭いいやつ、このクラスにはいないってことで!!」
中学三年生、一学期の中間テスト後の理科。
私の隣の席の子が、自慢げに言った。
GWが明けたぽかぽか陽気の中、若干クラスが凍った。私は「あの人は頭いいみたいだし、そうだろうなぁ。」と思いながら、黒板を見た。
【理科】
───学年平均:66点
───クラス平均:65点
───学年最高点:93点
今回の理科は化学分野。
単元の全部がテスト範囲だった訳じゃなかったけど、イオン式の暗記が大変なところで、私もあんまりいい点が取れなかった。
黒板に書かれた点数を見て、私は渡されてすぐに折ったテストの解答用紙の右上を、ペラっとめくった。
───74点。
頑張ったんだけどなぁ。
テスト用紙を見て、バツがついているところを何度も見返す。
NaClは食塩って書いたらダメだよねぇ。
あと、化学式とイオン式がごちゃ混ぜになった。化学式って言われたら数字書いて、イオン式って言われたらプラスとマイナスを書く。
分かってたのにテストでテンパったなぁ。
80点取りたかったなぁ。
目標点に届かなくてちょっと落ち込んだ。
誰にも見られたくない。
もう一度、点数が書いてあるところを折ろうとした。
その時、テスト用紙が暗くなった。
私はびっくりして顔を上げた。
『頭いいやつ』が、私の解答用紙を横から覗き込んでいた。
そして、私のテストの片隅を見てこう言った。
「結構、頭いいじゃん。」
?
6月1日(水)
自主学習教科:理科
【暗記せよ】
・NaCl……塩化ナトリウム(食塩)
・NaOH……水酸化ナトリウム
・HCl……塩酸
・CuO……酸化銅
【計算に使え】
・銅:酸素=4:1
・マグネシウム:酸素=3:2
【これ覚えてないとか言わないよね?】
酸性(BTB溶液は黄色。)とアルカリ性(BTB溶液は青。)を混ぜ、互いの性質を打ち消し合うこと……中和※中性に近づく。(BTB溶液は緑。)
私は、26日後に迫った一学期期末テストに向けて自宅の机で勉強していた。今回は、理科を猛特訓だ。他の教科は、友人に教えてもらいながら学校のワークをやればなんとかなる。
とりあえず理科だ、理科。
理科の試験範囲は、化学分野の後半と生物分野。
生物は暗記系が多いから、何とかなりそうだ。
問題は、化学分野。
期末テストは、イオンの応用を出すって理科の先生が言ってた。暗記だけじゃダメらしい。とりあえず前回のテスト範囲を復習して、基本を固めたら応用を解きまくる。
あー、もう!
なんなんだ、この中和とかいうやつは!!
なんで、理科なのに数学みたいな計算出してくるの?数学で出してよ。数学のテストでさぁ!
あと答え!
なんで、答えが小数なんだよ。整数で出してよ、整数でさ!!
百歩譲って、小数でもいい。
でもさ、せめて割り切れてくれない?
『小数点第2位まで答えなさい。』とか書かないでよ!その一文読み飛ばして永遠に計算し続けちゃうでしょ、私が!!!
ああー!!
せっかく何ケタも計算したのに、また一からやり直しじゃん!!!!
消しゴムで書いては消し、書いては消して計算を解く。自主学習ノートが足りなくなってきたら、ノートの表紙も使う。それでも足りないならチラシの裏側を使う。
カリカリ。
カリカリカリカリ。
カリカリカリカリカリカリカリカリ。
そうして6月中旬。
しとしと雨が降る中、一学期の期末テストが始まった。
一学期期末テスト2日目。
3時間目、理科。
勝負の時だ。
テスト開始まであと1分。
私は、深呼吸した。
学校のワークも単元テストも覚えてきた。
教科書も読んだ。
シャーペン準備よし!
消しゴム用意よし!
チャイムが鳴った。
カリカリカリカリカリ。
カリカリカリカリカリカリ。
これ、ワークの問題だ。
これは、単元テスト。
見知った問題をどんどん解いていく。
カリカリカリカリカリ。
カリカリカリカリカリカリ。
カリカッ
集中して解いていた私の手が止まった。
なんだこれ?
大問10。
なんだこれ。
学校のワークにも、単元テストにも、教科書にも載っていない、正真正銘『知らない問題』だ。
解けない。
急激に頭が冷えていく。
今まで気にもしてなかった雨の音と、
周りの人が問題を解くカリカリという音と、
ジメジメした湿気と背中を伝う冷や汗が、
私の判断を奪う。
わかんない。
わかんないよ、こんなの。
涙が滲んできた。
あんなに勉強したのに。
このタイプの応用問題は出るって言われたから、徹底的に勉強した。
それなのに、解けない。
この一問に、今までの努力が全て否定されたような気持ちになる。
どうしようどうしよう。
ポトン、と涙がこぼれた。
───そして、私は気づいた。
夏の予感がする暑い6月下旬。
昨日から、学校の外ではセミが鳴き始めた。
テストから1週間後の今日は、理科のテストの返却日だ。1人ずつ名前を呼ばれて、先生のところにテストをもらいに行く。
私も名前が呼ばれた。
返却されてほっとしている人の横を通り、解答用紙を取りにいく。先生にテストをもらった。点数を確認する。そして、直ぐに点数が書かれている部分を折って隠した。
今回は、この授業が終わるまでテスト用紙の点数部分は開かない。
速やかに着席して、テストと一緒に配られた模範解答を見る。模範解答に書いてある式を見て、頭に「?」を浮かべつつ、先生がテストを配り終えるのを待つ。
───お前何点よ?
───マジでやばいんだけど、、、
みんなのひそひそ声がする。
私も友人に声をかけられた。「前よりは良かった。」とだけ言った。お昼休みにみんなで集まるから、その時、友人達には見せるだろう。
でも、今は絶対嫌だ。
他の人に見られるのは、もうコリゴリ。
先生が、全員にテストを返却し終わったようだ。理科の先生は、私たちに向き直る。
「今回は、みんなに受験を意識して欲しくてな。実は入試問題を出したんだ。」
な、なんだって!?
びっくりした。
先生いわく、私が解けなくてパニックになった問題は、高校入試の過去問だったとの事だ。しかも、正答率10%台の難しいやつ。
みんながブーブー文句を言う。
私も心の中でブーブー文句を言う。
そんな中、先生はぴしゃりと一言、言った。
「高校入試の時も、『こんな問題、解説されませんでした。』って言うのか?」
クラス内がシーンとなった。
蝉の鳴き声しか聞こえなくなるほど。
悔しい。
結局、私もあの問題が解けなかった。
先生はその後、正答率が低かった問題から順に解説した。大問10の解説は、きちんと聞いても半分くらいしか分からなかった。けど、確かに知っている知識を繋いでいけば解けそうな問題だ。解けた人がいたかどうか、先生は言わなかった。
言い訳は、出来なかった。
確かに、『習っている』知識内の問題だ。
悔しい。
解けなかった。悔しい。
でも、これ以上はできなかった。
解説が終わったあと、学校の先生は黒板に平均点と最高点を書き始めた。
【理科】
───学年平均:57点
───クラス平均:59点
───学年最高点:95点
「え?誰??」
『頭いいやつ』が言った。
辺りがザワザワする。
───あいつじゃないの?
───誰だよ95点。
───4組のやつじゃね?
『頭いいやつ』の周りの男子が、「お前じゃねえのかよ。」「お前94点じゃん、すご。」と話している。
それでも、『頭いいやつ』は、悔しそうだった。
「あんな難しい問題あったら、あれが最後の問題だと思うじゃん!俺、あの問題の後ろにあった問題なら解けたんだよ、でも時間なくて解けなくてさ、、、」
『頭いいやつ』がちょっとへこんでた。
なんだか、申し訳ない気持ちになった。
私も、途中まで気づかなかった。
テストの時。
大問10が解けなくて涙がこぼれたあの時。
濡れた解答用紙が透けた。そして、私は気づいたのだ。いつも表面しかない理科の問題が、裏まで続いていたことに。
そう、裏にあったのだ。
大問11が。
あれを見逃したら、90点台なんて取れなかった。
辺りがまだ、ザワザワしている。
明らかにみんなが最高点の話をしているのに、私が話に混ざらないものだから、理科の先生は何かを察したのだろう。みんなが最高点探しを始める前に、教科書進むぞ、と声をかけた。
私は、テストを仕舞った。
そして、理科の先生を見つめた。
次は、過去問だな。