【物語】青空への帰り道
ぶーん、ぶーんという不快な音がした。
私は自分の部屋を見渡した。開けたばかりのペットボトルの蓋を閉じて、近くにあった箱ティッシュを手に音の発生源を追う。
ぶーん、ぶーんという音は私の右側からする。
私は箱ティッシュを持ったまま、静かに窓をみた。
そこには、小さな黒い蜂のような虫がいた。
ぶーん、ぶーんという音は、この蜂みたいな子の羽音だったようだ。よく見ると、針は持っていないので、蜂ではないのかもしれない。
何だこの虫。
嫌な音もするし、退治してしまおう。
お昼のバラエティー番組を映すテレビを横切り、静かに窓に近づいた。
窓の外は、冬を予感させる優しい青空が広がっている。紅葉した木々の向こうに、白い山が見える。もう冬がそこまで来ているのだ。
私は少し感心した。
もう冬になるのに、まだこの小さな蜂もどき(ややこしいのでちっこ蜂と名付けた。)は活動しているのか。
まぁ、退治してしまうが、、、
私は、静かに静かにちっこ蜂に近づき、、、
ばん!!!
ティッシュ箱を振りかざした。
外してしまった。
ちっこ蜂は、まだ窓の近くでうろうろしている。しかし。私を警戒して一ヶ所に止まってくれなくなった。
一度体制を整えて、再度チャレンジしよう。
そう思って、私はちっこ蜂が外に出てくれるのを祈りながら、部屋のドアを開けてガラス張りのテラスの大きな窓を開けた。
2階にある私の部屋には、開放できる窓がない。全て網戸になっているのだ。
その代わりテラスと繋がっているので、空気の入れ替えをするときは、テラスの窓を開ける。
つまるところ、私の部屋からちっこ蜂が外に出る手段は無い。部屋の外に出て行ってくれれば外に出る方法があるのだが、ちっこ蜂は私の部屋の窓から動かない。
そうだよな。
私は、窓の外をみる。
冬の近づく青空が広がる、外。
ちっこ蜂が帰りたがってる、青空。
すぐそこに、帰りたい青空があるのだもの。
そこから離れることは、できないよな。
窓から離れないちっこ蜂を見て、私はちょっと悲しい気分になった。ちっこ蜂の向こうには雪山が見える。きっとこの子は、外に出ても長くは生きられない。それでも最後まで青空を目指すのだ。
私は、先ほどまで「退治してやる!」と意気込んでいたことも忘れて、ちっこ蜂を外に出してやりたくなった。
よし。
私は、どうにかしてちっこ蜂を外に出すことにした。
まずは、部屋を出てテラスに向かう。
今年最後の小春日和は、テラスをほかほかにしていた。
テラスには、家族と私の洗濯物が並べられている。
私は洗濯物をちょっと横に避けて、ちっこ蜂の通路を作った。ちっこ蜂の通り道を確保したら、再度部屋に戻る。
テレビはCMになっていた。なんの番組を見ていたのかも覚えていなかった。私はちっこ蜂脱出作戦に集中するため、テレビを消した。
ぶーん、ぶーんとちっこ蜂は窓のカーテン裏でうろうろしていた。
私は再度ティッシュ箱を手に取った。
ちっこ蜂を仕留めるためではない。
ちっこ蜂を誘導するためだ。
まず、ティッシュ箱の裏を叩いて大きめの音をだす。ぱふ、ぱふというちょっと間の抜けた音が部屋に響く。
ちょっとカーテン裏かた顔を出したちっこ蜂。それを見た私は、ちっこ蜂に当たらないようにちっこ蜂を風で煽った。
突然カーテン裏から風に攫われた、ちっこ蜂。
部屋の真ん中で体勢を整える、ちっこ蜂。
更にドア側へ誘導するよう風を送る、私。
風に負けたちっこ蜂は、部屋の外に出た。
第1ミッション、クリアである!
更にここから、先程作った『ちっこ蜂専用通路』へ誘導する。
ティッシュ箱を振り回す、私。
突然突風に襲われ続ける、ちっこ蜂。
どんどんテラスの窓の方に近づいていく、ちっこ蜂。
ちっこ蜂が、開いている窓の方へ飛んでいった!!が、なぜかちっこ蜂は外の近くをうろうろし始めた。
私が風で煽ったから、風を警戒しているのだろうか。
うろうろするちっこ蜂。
私は思わず、ちっこ蜂に声をかけた。
「もう外に出れるよ、ちっこ蜂。」
ちっこ蜂は、1、2秒窓ガラスの近くをうろつろさ迷っていた。しかし、不意にぶーんと羽ばたきの音を立てて私にさよならをした。
ちっこ蜂は速すぎて、目では追えなかった。
ただ、ずっと響いていた羽ばたきの音が消えたから、外に出たのだろう。
私は、ちっこ蜂が出ていった窓に近づく。
深呼吸する。
ぽかぽかに暖められたテラスとは違う、冷たい空気が肺に広がった。そして、微かに甘く、冷たい冬の匂いがした。
奥には雪を被った山。
手前には鮮やかな紅葉。
でも、あと数日もすれば、手前の山も白く変わるだろう。
冬が、もう来る。