なべさんの卒研という旅の準備の構想
1.私がやりたいことってなんだろう?すきなことってなんだろう?
私はイラストを描くことが好きです。とにかく表現活動がやりたい。横溝先生の授業でグラレコや省察ノートを描いた時から、これが面白い、やりたいって漠然と感じていたし、それは今でも変わりません。
趣味ではこんなイラストを描いています。
2.それをやりたいと思ったきっかけとなるデザイン経験はなんだっけ?
プレゼミ活動のなかで、いただいた木の廃材を活用した表現活動、省察ノートの制作、森町パズルの絵を描く時、森町マップを描く時が楽しかったです。小さい頃からとにかくそういうことが好きでした。図画工作とかね。
自分の内側にあるものや仲間と共有している像を自分の手で表現としてアウトプットするのはすごく楽しいし、出来上がったものを改めて見ると自分が作ったものじゃないみたいな不思議な気持ちになれるのが癖になります。自分ができると思っているラインと、実際の自分のアウトプットしたもののギャップがあるのだと思います。人間は想像と現実のギャップから快感を得ると聞くし…。手から予想外のものが出てくるから、魔法を使えるようになった感覚に近いんじゃないかなと想像したりします。
でも、アウトプットは楽しいだけではありません。自分が見て感じたモノコトが内側にあって、それをじっくり反芻する必要があります。それは結構苦しい。
森町マップを描く時は、反芻の工程を仲間と語り合いながら行いました。ギャーギャーと、あーでもないこーでもないと、雑談しながら描きました。グラレコとは少し異なりますが、過去にインプットしたモノコトをリアルタイムで話し合いながら描いたので共通部分もあると思っています。
反芻を語り合いの中で行うのは効率的だと感じたし、1人での反芻より苦しさが軽減されたように思います。もちろん1人で反芻した末にアウトプットされるものとは全く異なるものができあがります。
3.そのデザイン経験で学んだこと、あったかな?
アウトプットするうえで、自分の内側にため込んだモノコトを反芻する工程をおろそかにするかしないかで、アウトプットするもののクオリティは段違いになるということは学ぶことが出来ました。難しくて苦しい反芻の工程というのは、先行きが実に不透明です。それはアウトプットしているときすらもですけどね。
目的を決めずにおこなうランブリングデザイン運動も、未来がわからなくて不安になりますが、歩みを止めずに進んでみると、急に霧が晴れたみたいに何かが出来上がっていることが多いです。
4.そのデザイン経験で大事にしたことがあるはずだ。なんだろう?
大事にしたというか、大事にせざるをえないのがやはり反芻の工程です。
5.私が大事にしていることが、すこしわかったかも。で、なにができそうかな?
自分はどんなことでも延々と心の中で反芻してしまうタイプなのですが、それだといつまでも苦しくストレスになってしまいます。しかし、アウトプットをすることで、次の行為に自覚的に映ることができ、切り替えることができることに気づきました。意図しない反芻がもっと楽になるアイデアにつなげることができるかもしれません。
インプット、反芻、アウトプット?具体化できない。語り合いの中でリアルタイムで反芻しながら描く省察ノートのようなことができるかな?語り合う相手と経験を共有している必要はない?でも語るのではなく語り合わなければ自分1人での反芻と苦しさは変わらない。
6.それは、どこで活動できるだろう?
デザイン学会、いしやま朝市、森町などでの活動が思いついています。個人的には、いったことのないところ(私は根っからのインドア派なので大体行ったことない)で活動してみたいとも思うけれど、中々いい活動場所が思いつきません。
7.だんだん、ビジョンが言葉になってきたかもしれない。では、そのビジョンを実現化するためにまずはどこからはじめよう。具体的な実践の機会を企てよう。はじめの一歩を具体化しよう。
実践の一つとして6月に行われるデザイン学会の記録をしてみようと考えています。1日ごとにであったモノコトヒトなどの写真やメモなどの記録をとり、そこからかみ砕いたものを記録する省察ノートの方式で行おうと思います。
8.卒研という旅の準備の構想のまとめ
私の記録は動的な記録だと言われて、確かにそういう面もあるのかもしれないと思いました。人も含めてどのように情緒的にかかわっているのかを記録する特徴があるかも?であったモノコトは、人間が関わることで意味をなすと考えているからでしょうか。
卒研の実践では、リアルタイムでの記録ではなく、森町などで行った省察ノートのように、一定の区間を経験し終えてかみ砕いてから記録する方式でやる予定です。十分反芻してからアウトプットすることに意味を見出したいからです。
他の人の記録との違いや、そこから見えてくる効果などもかんがえることができれば、研究として有効性を示すことにつながるのではないかと考えています。
私がやろうとしていることは従来のグラフィックレコードなどとくらべて、リアルタイムで記録するのではなくじっくり反芻してから描くという違いがあります。日記的なグラフィック記録ともいえるでしょう。出来事や関わった人々についての自己の思考を深く掘り下げて、内省的なプロセスを経てから記録することで、自身の内面や思考を整理し、情報の取捨選択を行うことに着目したいと思います。そうすることで、誰にも影響をうけない自分だけの意味で構成された生活世界を確立につながるかもしれません。
「反芻をアウトプットするグラフィック記録の実践」
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