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そして、もう「父」と呼べなくなった 

母は帰国後、私たちにこう言いました。
「お父さんはまだ頑張っているの。また近々、ちゃんと会わせるからね」と。

でも、それは叶わなかった。

帰国して数週間が経ったある日、
突然、父の同級生からの電話だった。
内容は「父の訃報」。

その瞬間、母も私も言葉を失い、
その場で泣き崩れてしまいました。
もう一度会えると思っていたのに。
でも…会えなかった。

そして母に語られた恐ろしい真実。
帰国して間もなく、父は高熱を出したらしい。
それを聞いた父の同級生が急いで家に駆けつけたものの、家の中には緊張感もなく、誰も救急車を呼ぶ様子がなかった。
父の母も、姉も、妹も、ただベッドの周りに立っていただけだった。

同級生が電話をかけようとすると、
なぜかそれを止められ、
玄関からも追い出されそうになり、何もできずにその場に立ち尽くすしかなかった。

そして、その時、
耳を疑うような言葉が聞こえてきたという。

「あなたの世話なんてもう懲り懲りよ。財産だって奥さんや子供たちに一銭たりとも渡さない。あなたは財産だけ残してさっさとあの世に行ったらどうなの?」

その言葉を聞いた父は、
喋ることができない状態の中で、
目に見えて怒りと悲しみを滲ませながら、
父の熱はますます上がり、その場にいる誰も助けることなく、ただ見ているだけだった――。

同級生は何もできず、
ただ見守るしかありませんでした。

そして――
父は、最後の最後まで私が渡した手紙をしっかりと握りしめ、
その手紙に想いを託したまま、息を引き取りました。

その事実を知った母は、父の母に真相を問うため電話をしましたが、
すでに着信拒否されていました。

父のお墓の場所も知らされず、手探りで情報を集め、
同級生や周りの人たちの助けを借りて、ようやくお墓の場所を知ることができました。
家族全員でお墓参りをしました。

父は、私や妹の名義で財産を残してくれていたみたいだが、母方の家族は父方の家族との縁を切ったので、財産は受け取らず、すべて白紙に戻した。

父が亡くなった話題は、
今ではほとんど家庭で話されることがない。
きっと、
母もいろんな感情を抱えているんだ……
それを乗り越えたんだよね、きっと……

でものんは今でも思う。
父は何も悪くない、と。
父は、ただただ被害者だったんだ、と。

亡くなってから、やっと気づいたの。
父がどれだけ大切な存在だったかを。

「あの時、もっと素直になれたら――」
「一言、『ごめんね、ありがとう』って言えたら――」

そんな後悔ばかりです。

一時期、私は父を嫌いになった事がある。
心の中で「早く○ねばいいのに」と思った。
でも、本当に亡くなるなんて……
当時は思ってなかった。。

父がいなくなった今、その言葉がどれほど重く残酷だったか、痛感した。
素直になれなかった自分を、これからも許すことはできないかもしれないけれど――。

それでものんは、父が大好きでした。
だから、今もこうして思い出を胸に生きていく。

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