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人の子育てを羨ましく思った日(地方公務員✖️凸凹子育て 35 )
今日は気持ちが下がり気味。
普段、投稿するときは優しい気持ちをのせようと思っているが、こんな日は嫉妬の話を書きたい。
息子と従兄弟を比べてしまった。
従兄弟は、私の妹の子どもで、息子より4歳下の男の子。
実家で集った際に、イトコくんの様子や母である妹とのやり取りを目にして、羨ましいなという感情が溢れてきて、苦しくなった。
当時3、4歳だったイトコくんは、注意されたら「はーい」と言うことを聞き、ゲームに負けてもちょっと泣いてですぐに泣き止むし、何よりおじいちゃんと一緒に遊ぶのが楽しそう。最後は帰りたくないと泣いていた。
何というか、普通に子どもらしくてとっても微笑ましかったのだ。
息子が3、4歳の時には、こうじゃなかった。
公共交通機関で注意しようものなら癇癪を起こすので、連れて行くまでに私はクタクタ。実家でもゲームで負けたら大泣き。おじいちゃんに話しかけられても、固まっている。そして、いつ帰れるの?と何度も聞いてくる。
こういうタイプである息子の育児はまぁまぁ大変で、癇癪をいかに回避するか、癇癪を起こしたらいかに鎮圧するかに必死に取組む日々を過ごし、気づいたら息子は小学生になっていた。懐かしんだりする暇は、あまりなかった。
そんな中、久しぶりに、イトコくんの子どもらしい姿、妹とのよくある親子のやりとりを見て、やっぱりあの時の私、大変だったんだなと泣きたくなったのだ。
息子を愛している。
この子以外は考えられない。
そして、凸凹しているからこそ息子なのだ。よく分かっている。
だけど、それとは全く別のところで、定型発達の子を育てている人が羨ましいと思ってしまった。
よその家庭は知らないし普通なんてないよね、という考えなので、普段はそういう気持ちにならないのだが、相手が妹だからこそ、何かが緩んでそんな感情に不意打ちされたのだろう。
妹家族が帰ったのち、私は自分の思いを父にもらした。
イトコくん、素直でいいなぁと。
そうしたら父は、息子から全然懐かれないおじいちゃんであるにも関わらず、息子を庇ってくれた。
「ムスコくんだってかわいい孫だよ。いい子じゃないか。子どもはそれぞれ違う、ムスコくんはムスコくんでいいんだよ」と。
父、ありがとうと思った。
私はその時、そうだね大変だけど頑張っているねという共感がほしかったのだが、父の「ムスコくんはそのままでいい」という断言は、寄り添いよりもずっと私に力をくれた。
ありのままを肯定してもらえる、その安心感を知った。
私もこの子を肯定しようと改めて思い、そんな日々の積み重ねで今があります。