本当に話してはいけないことって何?
昨日は、先日も書いた通り会社の方々とのご飯会でした。
朝帰りになるまで盛り上がり、
まだ始発が出ていない時間に、
お酒を飲んでいない先輩に車で送っていただいたのですが、
私は家の方向が逆だったので同期の一人暮らしの家に始発が出るまで居させてもらうことになりました。
酔いがまだ完全に覚めてない、プラス
オール明けの変なテンション、プラス
すでに退職した会社の同期であること、
(1番仲が良い同期だから、今となっては退職した会社の同期とかは全然関係のない言い訳に過ぎません、)
が、自分の中で重なって、
普段なら絶対話さない、心の内の部分を、気づいたら話してしまっていました。
胸の中心の、自分を形成している何か、
どちらかというと知られたくない、
知られてはいけないと思ってしまっている部分、
何故かこの手の話は暗くなってしまいがちだし、
私は話すのが苦手です。
ですが今日は話していました。
たまに、この手の話が自分の器から急に漏れたり、
器の中の話だったはずなのに何食わぬ顔で前に出てきたり、、。
そういう時に気づいたら自分の話をしています。
そして、そんな時は決まって後悔することが多いです。
話してる時は、相手が自分の話を親身に(この手の話は先ほども言ったように暗くなりがちなので大体の人は親身になってくれます。逆にそうじゃない人には、間違えても漏れません。漏れる可能性がある相手とのやり取りの話を前提としています。)聞いてくれるし、理解してもらっている感覚は楽しいし、共感してもらって嬉しかったりもします。
ですが、帰宅途中、もしくは家に帰ってから、
「あーーなんで言っちゃったんだろう」
と、なることが多いです。
これが、私の場合何故かというと、
「違う解釈で理解されてないかな?」
「自分が今まで培ってきたキャラ的なものが崩れてる?」
「あの説明はもっとこう説明した方が伝わったのか?」
「もっと話を足して語弊なく理解されたいけど、また話を蒸し返すのも、、」
「なんか考えすぎなやつって認識になって扱いづらく思われたらどうしよう、」
「あーー、言わなきゃよかった、」
これです。
まぁ、まさに今、考えすぎなんですけども。
でも、社会に(半年だけですが)出てみて思ったんです。
私の胸の内の何を知られて誰の損になるんだろう。
みんなもあるのに何が恥ずかしいんだろう。
誰も私の考えなんて覚えちゃいないし、覚えてたところで私の中身は変わらない。
そう思うと、後悔する時間が悲しく思えてきて、
せっかく楽しくお話しをして、理解してもらえて、嬉しい感情を持ててたのに。
いつもはそれを否定してしまって、
そして次はその時間を、
その失態を繰り返すまいと口を固く閉じ、
聞き役に徹する。
これじゃ自分は誰かのために生きているようなものです。
自分の主張を、
もっと前に出て意思表示を、
こんなに考えていることがあるのだから。
誰かと比較しなくていい、
そんなことで後悔しなくていい、自分に思いました。
だから、私は今日同期に話した、芯に近い部分についての話、後悔しません。
いや、後悔していません。
もしかすると今までの行為は、相手にも失礼だったのかもしれませんね。
やっと気付くことができたので、
私はまた一歩成長できると思います。
長い間読んでいただきありがとうございます。