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時価総額6兆円企業HOYAの残念な黒歴史~1990年代以降に、30年の間、新規事業の創出実績なし~驚愕の「遺産食い潰し経営」の真相
町工場の婿養子が巨額相続漏れ、1990年以降には、30年間、新規事業の創出実績が、事実上なしでも、数多くの事業で世界シェアNo.1
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保谷駅前の町工場から、時価総額6兆円企業へに、この場末の硝子工場が、飛躍を遂げたのは、なぜなのか、経営学者は、きちんと分析するべきだと思います。
現在、日本の上場企業の時価総額ランキングでトップ30には入る、HOYA株式会社(東証プライム 証券コード7741)。この会社は、もともと、愛知県知多半島出身の山中兄弟が、戦時中に立ち上げた、軍需向けの硝子工場が、その起源にあります。その裏には、創業者の一人、故山中茂氏の娘婿である故鈴木哲夫氏(元名誉会長)が、決して語りたがらない歴史がありました。
「社長解任」から這い上がった男の野望
HOYA株式会社を、世界企業な材料科学メーカーに育て上げた故鈴木哲夫HOYA株式会社元名誉会長。
しかし、彼には誰にも語らせたくない「4つのタブー」がありました。
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創業家・山中家の婿養子だったこと
1967年に一度社長を解任されていたこと(←このことを隠蔽したいがために、日本経済新聞社から私の履歴書の執筆を何度も依頼されても、断っていた。)
逝去後に発覚した約90億円の相続税申告漏れ(←立つ鳥、跡を蹴散らすとも言うべき、現世的な欲望のどろどろ)
秋田出身の元大蔵官僚の金田勝年衆議院議員が次女の娘婿であること(←ハイテクのイメージとはあまりに異なる土建屋的農村部的な政治家が娘婿)
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1967年の解任劇を報じる新聞記事。この「屈辱」が、その後のHOYA株式会社を企業文化を色濃く形作ることになったとは、今の株式市場の関係者には、理解しがたいものああります。
「銀行は泥棒と思え」創業家の異様な家訓の謎
なぜHOYA創業家には、「銀行員を見たら泥棒と思え」という異様な家訓があるのか。銀行員が、晴れの日に傘を持ってきて、雨の日に傘を取り上げるというのは、経営者の間では、よく知られた話です。
その最大の理由は、鈴木哲夫氏の67年の解任劇にありました。
東京オリンピック後の昭和40年不況による、大規模設備投資の赤字転落によって、業績が悪化すると、それまで融資を推進していた銀行は手のひらを返して、鈴木哲夫を社長から解任し、相談役に追いやりました。
しかしながら、70年頃になると、業績が回復し、鈴木哲夫は、社長に復帰することになります。
いい意味でも悪い意味でも、銀行融資からの依存度を下げることを、経営の目標に据えることとなった鈴木の経営のDNAは、バブル期に大筋に反する不動産投資などに陥ることなく、本業に専念し、HOYAを材料科学と眼科を中心とする、高収益の事業ポートフォリオを形成することに成功すると同時に、2000年代以降、現金を抱え込みすぎだという、資本市場からの批判を、招くこととなります。
そして、これらの経営課題に、鈴木が作った、社外取締役からなる取締役会は、何ら、その牽制監督機能を果たしていないと批判されることになります。
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アップルiPodを支配した「町工場の息子」
「アップルのiPod生産がストップする...」
2000年代に市場を席巻した、アップル社のiPodには、HOYA株式会社が事実上、市場を独占していた、HDD向けのガラス基板が掲載されていました。半導体メーカにとって不可欠な、この部材がないと、iPodを生産することができません。
かつて保谷の町工場で航空機用ガラスを作っていた会社が、世界最大のテクノロジー企業の生産ラインを左右するまでに成長していました。
液晶向けフォトマスク、マスクブランクス、HDD向けガラス基板、などのガラス研磨技術をコアとする製品群においては、現在も、HOYAの市場シェアは、圧倒的な数値となっています。
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成長なき30年、驚愕の「遺産食い潰し経営」
社内関係者にはよく知られたことですが、HOYA株式会社においては、1991年以降、新規事業の成功例は、事実上ゼロと言えます。
上にある、ハードディスクドライブ向けのガラス基板の事業は、80年代に着手され、91年に発売された商品です。このほか、コンタクトレンズ小売のアイシティや、フォトマスク事業、眼内レンズ事業なども、80年代の事業開発の成果であり、90年代以降に、新規事業の開発に、成功した実績がないのが、この会社の現実といえます。
特に、2007年のペンタックス買収は、高値掴みの大失敗であることは、誰もが理解するところです。ただ、80年までの新規事業の成果にあぐらを描いていただけの経営であったことは、今や、多くの関係者が理解するところです。
創業家出身の山中裕氏らによる、辞任要求を受け、丹治宏彰氏は、最高技術責任者から、2009年には退任することとなり、2010年には、完全に退社に追い込まれました。しかし、そもそも、丹治氏のような、新規事業の創出に何ら実績のない人間を、10年近くも、技術や新規事業の責任者につけていたことが、会社経営としては、大問題であると考えられます。社外取締役が過半数などといって、あたかもそれが先端的だと喧伝していた企業統治が、まるで機能していなかったことが、白日の元に晒されました。
丹治宏彰氏のような、明らかに新規事業の創出や、M&Aによる企業価値の創出に、何の実績もなく、無能な人材を、要職につけていたこと、それを、取締役会が、公然と放置していたことだけ見ても、故鈴木哲夫氏が、作り上げた、仲良しクラブによる社外取締役が、まるで機能していなかったことが、明らかでありましょう。
鈴木洋氏は、東洋大学経営学部を卒業後、当時の会社のアメリカ法人の米国人のコネによって、カリフォルニア大学バークレー校に入学しますが、成績不良で中退し、格下も格下のメンロ大学をかろうじて卒業して、体裁を整えようとしましたが、このことも、山中裕氏によって暴露されていました。また、米国の経営学大学院に通うなどの努力も、全くしておらず、経営者の世襲の人材としては、明らかに、教育的バックグランドに劣ると評価せざるを得ません。
そして、米国法人の責任者時代に、脈略のないベンチャー投資によって、会社に多大な損害を与えたと、社内では認識されています。
また丹治宏彰氏も、短期間の米国法人勤務時代に、同じように、ベンチャー投資で、全く成果をあげられないような事態に及んでいました。
これらの実績を考えるに、鈴木洋氏や丹治宏彰氏に、ペンタックス買収などを担当させるのは、論外の人選であったことは、明らかでしょう。この責任は、最終的には、取締役会が負うべき責任です。
さらに、異常だったのは、社外取締役の過半数が70代後半の年齢の人間によって、占められていたことです。
例えば、日本IBM出身の椎名武雄氏は、20年近く社外取締役と勤めていましたが、この間、まさに新規事業の創出実績が、皆無だった時代に重なります。また、椎名氏の個人会社にコンサルティング料を支払うなど、社外取締役の独立性に重大な疑念を持たざるを得ないような事態になっていました。
そのほか、キッコーマン名誉会長の茂木友三郎氏は、公益財団の役員を20以上兼任するなど、社外取締役であることを、ただの名誉職であると考えていた節があります。民主党政権の時に、行政刷新会議の人事で、茂木士が選ばれた時に、このことも批判の対象になっていました。
その他、ただの通産省官僚の天下りである児玉幸治氏は、ペンタックス買収時に、「ペンタックスの従業員の過半数も、HOYAとの合併に賛成」していたことを、HOYA側の買収賛成の理由にあげており、創業家の山中裕氏を呆れさせていました。
このペンタックス買収以降の、企業価値の低迷が、創業家出身の山中裕氏による企業統治改善運動につながることとなります。
なお、このHOYAという会社、鈴木洋氏との確執が原因だと考えられますが、退任していく社内取締役の丹治宏彰氏、代表執行役をも務めた浜田宏氏、最高財務責任者として長年財務を見ていた江間賢二氏の3人全てが、その退任していく株主総会に欠席という、前代未聞の事態を招いています。このような会社が、「優れたガバナンス」などと提灯記事を書いているメディアは、損害賠償訴訟を受けるレベルかと思います。
以上のような、HOYA株式会社における、社外取締役の機能不全については、日本の企業統治の実情という意味で、よく観察する有用性があると考えますので、別の投稿で、詳しく説明してみたいと考える次第です。こんな会社の企業統治を、「先進的」などと喧伝していた日本経済新聞その他のメディアは、恥を知るべきというべきでしょう。
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「出自」を隠したがる6兆円企業の複雑な事情
なぜHOYA株式会社は、「保谷硝子」から「HOYA」に社名を変更したのか。 なぜ創業の地である保谷市(現在は、田無市と合併し、西東京市)との縁を、隠蔽しようとしているのか?
エレクトロニクス産業のリーディングカンパニーを演出したい企業と、その町工場としての出自。
この矛盾が、HOYAの企業文化に深い影を落としているのです。
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次の衝撃の真実:創業家と婿養子の確執
「創業家なのに、なぜ経営から完全撤退したのか?」 「なぜ山中家は株主として残り続けているのか?」
次回、HOYAの企業統治を揺るがした創業家と婿養子一族の確執の真相に迫ります。
※本記事は公開情報に基づいて作成しています。投資判断の参考にはなりません。
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