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眠れない問い、言葉の境遇
眠れないから書くのか書くから眠れないのか。なにも考えないなら、書くか、眠るかだ。
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人は一生かけて、ひとつの不分明な問いを発しているようなものだ。その意味では、人は生涯意味のあることなどなにも言わない。その意味では、誕生から死に至るまで、ずっと産声をあげつづけているようなものだ。
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死が発されつづけた産声を断ち切って、問いかけが完成するのかと言うとそうじゃない。どんな問いが発されたのかは死んでからもわからない。ただ、そこに問いがあったということだけを、感じとめる。
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深い言葉を発しようとすると、それはかえって浅くなるか、あとになってみると自分で首をかしげたくなる意味の通らない言葉になる。それが誰にも通じることなく、それをつくった人間からも忘れ去られるのだろうと考えてはじめて、やっと愛おしくなってくるような具合だ。
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言葉そのものを愛おしんでいるのではなく、言葉の置かれた境遇を愛おしんでいる。その人自身ではなく、その人の置かれた境遇を愛するように。ここでいう境遇とは、肩書とか、地位とか、財産とか、そういったものではない気がする。
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境遇への理解を通じて、その先にあるその事物自身への思いを深めようとするとき、私たちは必ず失敗する。二つの失敗の道がある。ひとつは、その境遇に強く感じ入ってしまうあまり、その先にあるかもしれない事物そのものへ思いを馳せることを止めてしまうこと。もうひとつは、その事物の置かれた境遇自体が、自分の誤認だったと気づくことで、理解の道が断たれてしまうこと。
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それ自身を愛しているのか、それが置かれている境遇を愛しているのか、それがわからなくなっていくことが、愛しているということなのか。
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境遇とは、その人の周囲にあつまった情報たちのおりなす網目模様のことだ。けれどもその蜘蛛の巣をかきわけていった先に、その人がいるとは限らないということ。いないことのほうが多いのかもしれない。
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探しつづけて見つからなくて振り返って、自分の来た道のりを目にして、あなたがいたかもしれないし、いなかったかもしれないと不十分な思いを馳せること、それがあなたのそばにあるということであってほしい。
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愛するとき、遠ざかっていくあなたから、遠ざかっていくことそれ自体から、目をそらさないこと。