見出し画像

小賢い人が挑戦に手を出せないもう一つの理由

 僕は今「日本一モテる体を決めるコンテスト」を開催するために出場してくれる方と審査員として来てくださる方を集めています。(全然集まらない)(まず過ぎる)

 その過程で今までやったことのなくて自分にとってハードルが高いことを何度も経験することになりました。例えば自分のような年齢の人がほとんどいないオンラインサロンに入会して人を巻き込もうといろいろなイベントに顔を出してみたり、地盤を強化するためにマッスルバーでバイトしてみたり、会場を探して予約して打ち合わせもしたり、集客のために何百件DMを送ったかなんてもう覚えていません。
 このコンテストの企画立案やマーケティング的な戦略を策定しているときは開催のリアリティはあまり感じていなかったので、するすることは進めることができたのですが、クラファンの投稿や集客のフェーズになった明らかに自分の足が重くなるのを感じました。

 よく最近の若者がリスクをとることを拒む理由として「失敗例が世にはびこっていてそれがSNSによって目につきやすくなった。」ということが挙げられていると思います。僕も現大学生(19歳)として昨今の若者がチャレンジに抵抗を感じる理由を実体験から考察し、「今までは直面してから判明する壁がSNSによって挑戦する前に見えるようになったので、幾千もの壁がもう目の前に広がっている状態で飛び込まなきゃいけなくなった」と似たような結論に至りました。

 そして最近もう一つ若者の挑戦を阻む要素を体験しました。それが「実現後に背負うであろう重圧に耐えられる自信がない」ということです。集客をしようとしたとき「何十人もの人の1~2時間を俺は背負えるのか」「クラファンで何十万円支援してもらった時、それに値する価値を提供できるのか」とかなり不安になりましたし、今も不安真っただ中です。(一瞬吐きかけた)
 このような不安はSNSでの批判や非難が散見されるようになって加速したと思いますが、SNS普及以前からあった課題だと思います。新しいことをしようとしたときに夢を語っている時間が一番楽しいのはこのように”責任から自由な状態”であるかだと思うし、夢を語っているだけで何も手をつけない人も大体これがステルス的な原因だと思います。

 この責任を背負う能力は後天的に伸ばすことができると思いますが、もともと大き目の責任を何のストレスもなく負うことができる人も存在すると思っていて、その人たちは手足をだせず夢を語るだけの人たちにいろいろ苦言を呈していると思いますが、僕はこのストレス下で引き返せない状況にまで自分を持っていくことでかなり精神的に負担がかかったので、「理解できない種族の生き物」としてカテゴライズしないであげてほしいなと思いました。
 夢語り人達もその状態が一番幸せだと思うので人生的には大成功だともいます。

話は変わりますがどうか「日本一モテる体を決めるコンテスト」に来てくださいよろしくお願いいたします。

いいなと思ったら応援しよう!