第二関西速度
F=ma 重力、それは当たり前過ぎて誰も気づかず、当たり前すぎるがゆえに我々の肉体をこの惑星に縛り付ける奴隷の鎖。地球の重力圏を抜け出して遥か彼方まで飛んでいける速度を物理の世界では第二宇宙速度と呼ぶ。
私が生まれた土地関西圏にも同じく強力な重力場が存在しており、関西に生まれたエリートたちは転勤、大学受験、就活の3回のチャンスを駆使して遠く離れた異国のイスカンダル、トンキンを目指す。京阪神に生まれ人よりちょっと九九を暗記するのが早かっただけの神童たちは、幼い頃から浜や馬渕、地元の公立中で日本を動かす夢の街トンキンのアネクドートを聞かされる。そして20数年の人生を夢の街へ上京することに心血を注ぐのだ。あのシス単を集会した青春も、透視図を回した青春も全ては大学受験で東大に行くために、夢敗れて早慶に進学することになったとしても。
本日は最近disられがちなトンキンにいる関西出身者の名誉を守るためにも、上京しトンキンに定住している元関西人たちが関西圏でどれほど熾烈な争いを経てイス取りゲームを経由し、周囲の重圧である期待に答えてロケットを射出し命からがら関西重力圏を抜け出したのかという苦労を分かってもらおうと思う。
三種類の関西人
関西人は三種類いる。
1つは商売人の息子で根っからの損得勘定が得意な算盤弾き人間だ。親が自営業だったり経営者をしているおかげで幼少期からビジネス感覚が培われてコミュニケーション能力も高く社会というものの構造の勉強が人より早い。受験で例えるなら公文で経営学を勉強してるようなネイティブと言えるだろう。医師や弁護士などの士業家庭もここに該当する。
2つ目は転勤族。父親が単身赴任だったり、東京と大阪2つの実家を持ち夏休みや春休みには祖父母の実家に帰ったり第二の実家から授業に参戦する人々だ。彼らの多くは標準語を喋ることをいじられ、関西弁の本拠地である関西圏に於いて若干異質な扱いを受ける。もっとも、転勤が多いため他地域の話題で注目を集めたり、親が関西人だったりすると普通に関西弁を喋り東京と関西圏にいる場所に応じて言葉を使い分けることもできる。
3つ目は生粋のサラリーマン家庭関西人。商売人の街と言われる関西で商売に関わることもなく、公務員や大阪の大手インフラ、JRやNTT西日本、その他メーカーに勤める父を持ち親の背中を追いながらいつかは父のような人間になりたいと熱い思いを抱きガリ勉する関西のマジョリティ層だ。彼らは関西生まれにも関わらず1つ目の関西人とは異なり事業が存在しないため地盤というものが存在しておらず、関西でどう頑張ってガリ勉しても土地持ちの富裕層の仲間入りはさせてもらえないのだ。
関西の進学校は私立は伝統系難関進学校・新興系進学校・公立進学校・凋落系元進学校の4つに分類される。1つめの自営業系関西人の御子息は伝統系進学校か凋落系元進学校や進学校の枠組みではないが甲南附属・関学附属などの大学受験の力学が働かない私立中高一貫で独自のコミュニティを築いており西の三田会と言っても差し支えないだろう。一方で新興系・公立進学校のマジョリティはやはりサラリーマン家庭出身の関西人が多く、学年に医者の息子や娘自体が存在しないということも多々ある。転勤族はどの学校にも幅広くいて大学受験や就活に先駆けて東京に飛んでいったりする。残された関西人にとっては「選ばれた」友達として記憶の彼方へ飛んでいく。いつか再開する日を夢見て。
関西に生まれた人間はそれぞれ親や周りの人間の影響を受けてその場その場のエリートとされる道を歩もうとする。私の場合サラリーマン家庭だったので所謂大手企業に入るか大きな弁護士事務所に入ったり、検察として組織の一員になるという夢を1/2成人式で発表したことを覚えている。街弁志向・自営業志向・独立会計士志向の関西出身者を見ていてもご両親が自営業を営まれている率がわりかし高いと感じる。
第一関西速度
第一宇宙速度とは、 物体を水平方向に投げたとき、地表ギリギリを落下せずに回り続ける速度を指す。
それでは第一関西速度は何を指すのだろうか。答えは簡単で関西圏を転々とする実力だろう。転勤族ならば京都大阪兵庫奈良などを転々としながら関西各地の学校に転向するだろうし、そうではないにしても地元の高校の重力圏を抜け出して住民票を移して北野高校を受験する兵庫県民や、細かく分離された学区の壁を超えて神戸高校総合理学科を受ける第二学区民、その他灘を受ける大阪府民・京都府民などがおり、他にも中学受験で他県の中高一貫に進学するものも存在するだろう。彼らに共通するのは地元のレベルのモノサシではカンストしてしまい、新たな戦いの場を求めて上昇志向の元、他県に進出していくのだ。
関西人では中学受験が盛んな文化的背景もあり、優秀層が完全に公立中学に進学しないことになっているため生まれた地域で一番とされる公立進学校の延長線上に東大や京大が存在しておらず同志社や立命館大学行きが進学実績などで確定している高校が多々ある。そのような因果を断ち切るために地元に縛られず重力圏を抜け出して自由に関西圏を縦横無尽に走り回るエネルギーを帯びた神童たちがいる。
第二関西速度
しかし、関西重力圏自体を断ち切る行為は非常に難しい。中学高校までは他県に脱出できても結局大学は京大に収束したり阪大や神大に流れ着く関西の元神童達も多いだろう。むしろそっちの方が多いと言っても過言ではない。
転勤族は東京にも「拠点」があるので我々のように重力圏を断ち切るロケットを飛ばさなくても、新大阪発の軌道エレベーターに乗れば簡単に東京という惑星まで省エネでたどり着くことが可能だ。
商売人の息子たちは逆にわざわざ関西を脱出しなくても、関西圏を第市関西速度で転々と飛び回ることで金稼ぎにつながるし、親が事業をもっているならば実質的に営業とみなすこともできるだろう。なんかあっても最悪金持ってるから東京の私大に脱出もできるし、ビジネススキルは全世界共通だから食うに困らないだろう。
問題はサラリーマン家庭出身関西人だ。彼らの関西重力圏脱出チャンスは大きく分けて二回ある。転勤を除くと、大学受験と就活の二回だ。これを逃すと関西圏という巨大なブラックホールからの脱出が不可能になり、一生を関西圏で過ごし続けることになるだろう。もちろん食費や生活費が浮くし、土地勘もあって実家の補助も受けやすいというメリットも有る。
関西にとどまるデメリット
それでは関西にとどまるデメリットはなんだろうか。それは、エリートの階級上昇先が存在しないということだ。東京に出ないと官僚になって日本を動かすこともできないし、外銀や外コンなども東京に本社がある。大阪には支社すら存在しないことも多い。
反論として関西出身の有力企業を挙げる人も出るだろうが、それら工業メーカーは物作り大国日本の礎を築いた偉大な時代はあったものの現代日本では影が薄くなっており、神大や同志社でも入れる会社で魂の格を満たしきれないエリートたちが存在することも否めない。東京に生まれれば東大に受かり日本を率いる外資系や総合商社に入ったり、官僚、最高裁判所長官、検察、他にも大学教授など分かりやすく夢を追える環境が整っているが関西に生まれると東京に進出しない限りその欲を満たすことはできない。
同じ日本に生まれており、実質東大に次ぐ大学に通っていてもこうなるのは不公平感を拭えない。
阪大神大同志社の就職先を見ても上位就活者は東京本社の会社に滑り込めるものの、大半は地元で絡め取られており京大生も同じような就職をしている。最上位層が留まりたいと考えるアメリカ西海岸のような気風や文化が積極的には存在していないのが関西の特徴とも言えよう。
上京した関西人
以上から上京した関西人は数多の屍の上に立つ、血で血を洗うような受験戦争・就活戦争に途中で脱落せずに20年間も弛まぬ努力を行い続けた英雄であると理解してもらえただろうか。生まれ育った土地に成り上がる目標が存在せず、右も左もわからないまま敗れるかもしれない恐怖を抱きながら上京する。慣れない土地で生まれ育った方言を捨て去るために必死に努力をして、東京に生まれただけの人間が知る情報力の格差を思い知りながら上京した生活の片鱗から今まで関西で歩んできた人生のすべてが「日本」というゲームのチュートリアルだったと思い知ることになる。勿論そこまでたどり着ける関西人は極一部であり、一般的な関西人目線では超エリートだ。そんな彼らが夢の街トンキンで夢敗れ燻っているのを見るのは、同じ関西重力圏脱出をかつて試みた国士として辛いものがある。
第三関西速度
それでは第三関西速度はなんだろうか。これは東京すらをも抜け出し日本国を飛び立ち海外に抜け出す実力を指すだろう。第二日本速度と称することもできるだろう。生まれた国の重力圏を抜け出すのは言語の壁・資金の壁・雇用の壁・環境の壁など様々な障壁が考えられる。新幹線ではなく飛行機であり、単独で諸外国に移住したり雇用先を見つけるのは難しいだろう。社内駐在や研究室経由の留学など何か大きなロケットに乗せてもらうことで初めて脱出に成功する。異国の地で活躍する日本人と同様、関西出身で上京し馴染もうとする関西人は尊く、貴重な存在なのだ。
上京欲
上京することに関して執念を抱く関西人を止めることはできない。実際東京に在住する関西出身者と会話しても脱出するタイミングが高校受験か大学受験か就活かで違うだけで似たような価値観を有している。上京欲を持たないアンチ東京の典型的な対抗意識を燃やす関西人とは話が合わないのだ。
地元では自身のスペック的に満足できず、関西圏に親や親戚が金を生み出す生産装置を有しない非自営業の無産市民サラリーマン家庭の我々は、夢の街トンキンで失った人生を欠片でも取り戻す。東京は住む場所じゃない、交通費や生活費が高い、人が多くて満員電車が苦痛、そんなことは14歳の頃から覚悟している。
いつの日か地元に、東京で手にした錦の御旗を掲げて凱旋するために。