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のこってほしかった、小さな願い

これをつくろうと決めてから、ほどよく2年くらい経つ。

湯の川の昼下がり。

歌い手のゆりなちゃんとカメラのけーたくんと、ぼんやりソファに座っていた。このスタッフロールに流れているみんなも、だいたい一緒に。

わたしとゆりなちゃんとけーたくんは、湯の川に、いつもいるわけではない。

関係人口とか移住ってなんだろうな、と考えていた。

移住をしない、わたしたちが、このまちにできることは、あるのだろうか?と。

スタッフのみんなは、湯の川に移住している。地元はバラバラで、海外からきている人もいる。

それぞれに夢や目標があって、ある程度ここでステップを踏んだら、きっと別の場所へ行くというのは、きっと最初から決めていたことだった。

次のステップが、なんなのか?どこなのか?いつなのか?は、それぞれに、違うのだけれども。

そのうち、みんな、おそらく、ここを離れるだろう。

きっと地元の人たちは、とつぜん若者がきて、盛り上げたいと大声を出して、すぐにいなくなる、というだろう。今は、まだいい。だけれど、いつか、きっとそういう日がくる。

そんなことを、ぼんやりと考えながら、なにかそれでものこせるものはないのだろうか?とおもっていた。

ローカル、地域活性、関係人口。

どれも都合の良い、無責任な言葉に聞こえるだろう。

土地をずっと守るように暮らしている人たちにとっては。

それでも、それでも、そうだとしても、だ。

彼らは、朝も昼も夜も、縁もゆかりもない土地のことをおもって、走り回っている。たとえ、結果的に自分のためだったとしても、わずかな短い時間だったとしても。

若者でいられる時間は、短い。

若者でいられる時間にしか、できないこともあるのだと、わたしは思う。


「帰りたくても、帰れない故郷。」

湯の川に訪れながら、地元のことを思い出していた。

「帰りたいけれど、まだ帰れない。会いたいけれど、会いたくない。」

若者が減っていく街というのは、

わたしが抱えるような気持ちを別の誰かも抱えているのかもしれない。


故郷でもなんでもないこの町のことを考えることは、

故郷から逃げていたわたしにとって、

故郷に向き合うきっかけをくれていた。


彼らと、まちとの、関わり合いを、ただ残してみたかった。

できる範囲で。

本音をいえば、大きいことを望めないわたしがいる。

目立つことが、苦手なのだ。

責任をおうことも、一箇所に留まることも。

家庭のような小さなコミュニティの温度感の中でしか、

うまく息をできない。

だから、絵なんていまだに描いている。

デザインで一日中、パソコンに向かっていられる。


これは、ただのわたしのエゴである。


ゆりなちゃんは、わたしのふんわりした要望を丁寧に歌にしてくれた。

けーたくんは、いつも無茶を言っても、きちんと繊細に向き合ってくれる。


ディレクションしているようで、いつもわたしがディレクションされている。みんなは、あたたかくさりげない距離感で、終始サポートをしてくれていた。


このメンバーで、思い出づくり、したいな。

という、わたしのエゴだ。


今は、きっと、今しかないのだろうから。


そんなことを考えている時、ゆりなちゃんとけーたくんは、

ひだまりの丘に、を撮影していた、はず、たしか。

(この歌、大好きで、たまに聴くと泣いてしまう。)


いる場所が変わっても、

みんなそれぞれにゆるやかに繋がっていて、

あの頃願っていたバトンは、

誰かにゆるやかにカタチを変えながらでも消えていなくて、

ちがう場所や立場に変わったとしても、

結局、同じようなことを考えている。

少しずつ、変化しながらも、人は大きくは変わったりしないもの。


2年経って、ようやくこの頃考えていたことを言葉にできる。


移り変わるもの、見えないところで受け継がれるもの、

のこるもの、のこらないもの。

できたこと、できなかったこと。


できなかったことものこせなかったことも、

なにもないようで、きっと、そこに在る。


"「在る」ということに意義がある "

ひでくんの言葉が、すんなりと心に入った。


わかっていた、わかっている。


それでも、今日もどこかで生きている。


ひとなんて、エゴの生き物なのだから、

それで、いいよ、と、わたしはおもう。




photo by keita inaba

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