カバのおしり
どうしても、カバを描きたかった。
こずえちゃんと歌いながら、歩いていた。
7歳の、春の遠足。
こずえちゃん、という鳥のさえずりのような名前の女の子は、まるで物語の主人公みたいにかわいらしい、大好きな親友だった。こずえちゃんは、とても明るくて、聡明で、かわいくて、前髪が短い。おかっぱがよく似合うし、声が高くて、歌が上手。朝のような、太陽のような子だった。
「一緒にうたおう」「行進ごっこしよう」といつも明るく声をかけてくれる。背の高さが同じだったわたしたちは、いつも列の隣同士で、すぐに仲良くなった。
わたしは、絵を描くのが大好きで、こずえちゃんは歌うのが大好きだった。勉強ができて、作文も上手なこずえちゃんは、憧れの存在だった。
ほんとうに大好きだったのに、転校してしまってとても悲しかった。この春の遠足のときには、秋にこずえちゃんが転校してしまうなど、想像もしていない。
「なに描こうね?」「どんな動物がいいだろう?やっぱりぞうかな?」
いつもぼんやりしていたわたしに、こずえちゃんはたくさん話しかけてくれる。
わたしは、「カバ。カバがいいな。」といった。
「カバとゾウはとなりだから、近くで絵が描けるね!そうだ、歌いながらスキップして行こう!」と歩いた。
ゾウは大きくて、やさしい瞳をしてる。
「大きいね。」「うん、はな、ながいね。」「うん。」
「カバもみにいこう。」「うん。」
動物園の一番奥に、カバは鎮座している。ドキドキ、ワクワクしながら、走っていった。
何日も悩みに悩んで、今年は、カバを描くと決めていた。
だけど、カバは茶色いおしりだった。
「カバ、いないのかな?」「おしりだけ、出てるね。」
「カバのおしり、大きいね。寝てるのかな。」
「もう少し待てば、起きるかな。」
水槽に身を隠して、カバは、かおを出してくれない。
こずえちゃんは、しばらく一緒にカバを眺めてくれたけれど、絵を描かなくてはいけないので、やさしくいった。
「一緒に、ぞう描く?」
「ぞうもいいけど、やっぱりカバ描きたいから、カバが顔を出すのを待ってみる。こずえちゃん、ゾウ、描きにいっていいよ。」
「わかった。ゾウ描いてくるね。」
わたしは、絵を描くことが好きだった。
難しそうなカバに挑戦したかったのだ。
カバは、よくわからない丸っこい姿をしていて難しい。だから、カバに挑戦する!と、おもっていた。胸に熱意を秘めて、カバに挑んでいたのだ。
だけど、待っても、待っても、カバは出てこない。
仕方ないから、お尻を描いた。
あっけないほど、茶色いおしりが浮かんでいた。
先生と母に「ゾウやキリンを描けば、市のコンクールで賞を取れただろうに、どうしてカバのお尻を描いたの?」と聞かれた。
「どうしてもむずかしいカバを描きたかったの。でも、おしりしか見えなくて、おしりしか描けなかったの。とても残念だった。」と、とてつもなく恥ずかしい気持ちで、ぼそぼそとうつむきながら、小さな声で答えた。
次の年、担任の先生が変わって、こずえちゃんは別の学校へ行ってしまったけれど、わたしはカバを描いた。
一年経って、念願のカバを描いたことを大人たちが、褒めてくれたのを覚えてる。動物園のカバはおしりしか見えないから、写真を見ながら描いた。
だけど、カバはむずかしくって、やっぱりゾウやキリンにすればよかったな、と後悔した。
カバをみると、苦手な日差しを浴びながら待ち続けた、あいつの茶色いおしりを思い出す。