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ローマの少子化問題から見る、恐ろしい未来。

Xであるポストを見かけました。
その書き出しに興味を持って最後まで読むと、想像以上に凄かったです。

これ、このまんま今の世界の未来に繋がるんじゃないかな?と思いました。

まずは、ポストのスレッドを翻訳ソフトで日本語にしたものです。
数字はこちらの便宜上、勝手につけてます。

①ローマの滅亡は広く誤解されている。
ローマを本当に屈服させたのは侵略でも病気でも飢饉でもなかった。
ローマが崩壊したのは出生率が...

今日の多くの国家がそうであるように、ローマも長い繁栄の後、出生率が低下した。
歴史上の都市人口も同様である。

②ローマの少子化問題はカエサルによって紀元前49年には指摘されており、アウグストゥスは後に出産を奨励しようとした。

③子宝に恵まれないのは特に上流階級に多かった。
彼らは家族よりも地位を重視するようになっていた。 自分の富を受け継ぐ子供がいないということは、代わりに地位や影響力を得るためにその富を使うことができるということだった。


④子どもは今や、貧しい者だけが買える贅沢品となった。

裕福な女性は平均して2人以下の子供を産んでいた(ヘルクラネウムの骸骨の分析が示している)。
乳幼児死亡率のために代替人口が6人以上になると、これは大きな問題だ...。

⑤中絶や嬰児殺しもまた、この文化の中で横行していた。
初期キリスト教は、4世紀までは比較的小さな運動であったが、出産を奨励する文化を支持することで反撃した。

⑥アウグストゥスは、3人以上の子供を持つ市民に特権を与える「3人の子供の権利」(jus trium liberorum)を制定し、事態の収拾に努めた。

また、25歳以上の男性と20歳以上の女性には、未婚で子供のいない者に対する罰則が設けられた。

紀元100年までに出生率の問題が農業階級にまで広がると、トラヤヌスの福祉計画は自由生まれの男性の出生を刺激しようとした。

しかし、このような政策はすべて失敗に終わった。後にタキトゥスが言うように、"子供のいない国家の魅力は非常に強力だった..."。

そのため、ローマはローマ人を生産しなくなった。

⑦戦争や疫病と相まって、イタリアでは193年までに多くの農場が放棄され、ペルティナクスは耕作する者に土地を無償で提供した。

人口の減少は、3世紀危機の戦争と疫病によってさらに悪化した。

帝国の対外膨張が止まり、自由人口が減少すると、皇帝たちは軍隊を維持するためにますます多くの蛮族を輸入せざるを得なくなった。

西暦476年、ロムルス・アウグストゥルスが帝国の終わりを告げる退位に至ったとき、それは彼自身の仲間である蛮族によるものだった。
この時点で蛮族の傭兵たちがローマ軍を支配し、自分たちで新しい指導者を選んだ。

崩壊には戦争と疫病が大きく関係していたが、ローマ人は過去に何度もそうした恐怖を乗り越えてきた。 今回、ローマはまず内側から自らを食い尽くしたのだ。

"いかなる大国も、自滅するまで征服されることはない"

⑧ローマは100万人に達した最初の都市であり、この偉業は19世紀のロンドンまで達成されなかった。

しかし、西暦600年までには、その跡地に住んでいたのは3万人足らずだった......。

↓が、人口を表した図です。上がローマの人口。
下がヨーロッパ、西欧の人口です。

ローマ人口の変化
ヨーロッパ、西欧の人口

なかなかにすごい事がわかります。
ローマに至っては、国が滅びてから産業革命などで人口が全体的に持ち直すまで、千年かかってます。

ヨーロッパ全体で見ても、少子化の影響が地味にでて、ローマが滅んでから100年経って、少し復活します。
この図で見ると、少子化って、黒死病の影響よりはるかに大きい事がわかります。

スレッドを読んでいっても、なかなか絶望しかないです。

ポイントをいくつか。
①ローマも長い繁栄の後、出生率が低下した。
これ、なんでなんでしょね。
生き物はある程度繁栄すると、出生率を抑えるようにできているんでしょうか。
確か狩猟時代の人類も、偶然、子供を産みすぎないようなシステムになっていて、だから長い間、集団を維持して生き残れてる部分もあるようです。
つまりは繁栄の後の少子化って、進化における自然にプログラムされた現象の一種なんでしょうか。
そういうふうにできているみたいな。
じっくり考えたいテーマですね。
ってか、誰か教えて的な。

②ローマの少子化問題はカエサルによって紀元前49年には指摘されており、アウグストゥスは後に出産を奨励しようとした。
そして⑥色々チャレンジ。
カエサルと、アウグストゥス。
ローマの2大偉人。

この2人が早めに少子化問題に気づき、対策をしても結局少子化は止まりませんでした。

子を持つものを優遇したり、
子を持たないものを罰したり。
今とやってることは同じですね。
それでも、少子化は止まりませんでした。

アウグストゥスは、政治が上手なイメージありますよね。
そんな彼が取り組んでもダメだったってなると…。
少子化、一度なると誰にも止められないんじゃ?って思いますね。

③④少子化における、傾向。
少子化の原因や、渦中にいる人の考え方ですね。
これも今と似ています。

子宝に恵まれないのは特に上流階級に多かった。
彼らは家族よりも地位を重視するようになっていた。 自分の富を受け継ぐ子供がいないということは、代わりに地位や影響力を得るためにその富を使うことができるということだった。

今なら地位よりは経済。お金ですよね。
なので、今の上流階級よりは、今の中流。
お金に少しは余裕があるけれど、子供の負担をリアルに考えると辛い。子供がいなけりゃ、そこそこ楽に生活ができるレベルの人。
今のホントの上流階級は、ローマ時代でいうところの皇帝とかより恵まれてるから、かえって子供たくさんいたりもしますね。

子どもは今や、貧しい者だけが買える贅沢品となった。
これもね。買えるって翻訳、おかしい気がしますが。
逆にお金なくて、何も考えず、とりあえず行動して何とかするってタイプの人の方が子供作ったりしてますからね。

⑤これも、一部の人は熱くなっちゃうかもですが。
今、出生率高いのはイスラム教徒だったり、宗教がしっかり根付いてる人たちだったりしますよね。
で、しっかり人口を増やしてきてます。
ローマの時代は、それにあたるのがキリスト教っていう意味だとおもうんですけど…。
最終的にしっかり天下(?)をとりましたね。

⑦⑧。
近い未来、どうなるか。を見せつけられてます。
わりと絶望的ですよね。
暗黒の中世の正体って、一つはこれなんでしょうね。
個人的には、ローマの時代、環境破壊がすすんでしまい、資源がなくなって中世は暗黒ってよばれた説を推してたんですが。
自然な人口減もあったというか、むしろそっちが原因?
って今回、考えを揺さぶられました。
どちらもあるかもとは思うんですが。

あと、人口。
パクス・ロマーナって、ローマの黄金時代に100万人の都市だったのが、わずか400年か、500年後には人口が3%になってるとの事。
日本も、少し前に1億2千万人ほどがピークで、徐々に減っていくフェーズになっていくことを考えると…。
400年後には人口、360万人ほどになるかもなんですよ。

なかなかなもんですね。
想像がつかないです。

これをこのまま考えて予測すると、
これから何をやっても少子化は止まらず。

恐らくイスラム教徒のような、出生を奨励して、それが上手くいった集団が幅を利かせて国なのか、なんなのかを造って支配していく。

最終的に人口も今じゃ考えられない水準になって、中世のような時代になる。

日本だけじゃなく、世界のかなりの国が少子化に苦しんでるので。
どうなっていくかは想像できません。
下手すりゃ500年後に1億人が100万人になるよな状況で、

・今のテクノロジーを維持できるのか?
・交通、インフラもどう整理されていくか?
・そもそも少子化、防ぐ手立ては本当にないのか?
何百万年の進化の上の遺伝子に刻み込まれたコードかもしれない少子化。
テクノロジーでクリアできるのか?

等等。色々疑問が浮かび、興味深かったです。

元ネタです。
この方のポスト、面白くてオススメです。
英語ですが、翻訳すれば読めますので。


最後。Chat GPTにアウグストゥスの少子化対策について聞いてみました。↓

アウグストゥスの少子化対策は当時としては画期的でしたが、結果は芳しくなかったと評価できます。

主な政策を見てみましょう:

1. 婚姻法の制定(レックス・ユリア)
- 20-50歳の男性、20-45歳の女性に結婚を義務付け
- 独身者への罰則(相続権制限、公職就任制限など)
- 離婚への規制強化

2. 子育て支援策
- 3人以上の子を持つ男性への特権付与
- 公職選挙での優遇措置
- 相続における優遇

3. 道徳的改革
- 姦通への厳罰化
- 伝統的な家族観の復興を目指した
- 上流階級の奢侈を抑制しようとした

しかし、これらの政策には以下のような問題点がありました:

- 上流階級を主な対象としており、一般市民への影響が限定的
- 法的強制に依存しすぎて、根本的な社会・経済的要因への対処が不十分
- 伝統的価値観の押し付けに対する反発
- 法の抜け穴を利用した回避行動の横行

興味深いことに、これらの問題点は現代の少子化対策にも通じる部分があります。法的規制や経済的インセンティブだけでは、個人の価値観や社会構造の変化に対応できないという課題は、2000年以上経った今日でも共通しているといえるでしょう。

アウグストゥスの少子化対策は、政府が人口政策に本格的に取り組んだ最初の例として歴史的に重要ですが、その限界も同時に示していると言えます。​​​​​​​​​​​​​​​​

なるほど。色々教えくれて便利ですね。

では、また。

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