自分にとってのフットボール(W杯編①)
カタールW杯が閉幕した。
93年のドーハの悲劇から約30年を経て、因縁の地での日本代表の活躍には本当にエモいものがあった。
思えば日本が初出場した98年のフランス大会、グループリーグでアルゼンチンとクロアチアと対戦していたのも面白い。
カタール大会で優勝したアルゼンチンはメッシがバティストゥータを超えて正真正銘の神となり、日本もあの頃よりも確実に良い戦いをできるようになり、サッカーの進化を感じずにはいられない。
クロアチアも98年3位、2018年準優勝、2022年3位と安定感が半端ないし、ホントあと優勝するだけって感じだよね。
日本代表が飛躍的に面白くなってきたのは何と言ってもトルシエ期。
99年ワールドユース準優勝(優勝はスペイン)、2000年シドニー五輪ベスト8、2001年コンフェデ準優勝(優勝はフランス))と次々と結果を出しまくり一気に世代交代したあの頃。
高原、小野、本山、中村俊輔、稲本、遠藤、小笠原、宮本、中田浩二といういわゆる黄金世代がブレイクして、強いぞ日本という期待感が漂う中でいよいよホスト国として2002年のW杯を迎える。
初戦のベルギー戦で初の勝ち点1、ロシア戦で初勝利、チュニジア戦で2連勝(思えばW杯で唯一の連勝)してグループリーグを突破。
ラウンド16のトルコ戦で何故勝てなかったのかと20年経っても腑に落ちない部分(3位だったトルコにちょっと失礼)もあるが、あまりにも上手くいきすぎても良かったとは限らないのかもと今なら思える。
あの時の熱狂と6月の勝利の歌はずっと忘れられないし、今と同じサッカー熱があれば必死になって観に行こうとしていたのであろう(たまたま訪れた仙台でメキシコ人サポを見かけたことがホスト国を実感した唯一の思い出)それまで何となく観ていたサッカーを本当の意味で好きになったのは日本の躍進だけでなく、毎日のように世界のすごいプレーを見せつけられたことが大きい。
そして決勝戦が誕生日だったのがちょっとした自慢である。
その次のアテネ五輪世代が自分と同世代ということもあってJリーグに改めて目を向けるようになって、大久保嘉人を好きになる(詳しくはそのうち)
チャンピオンズリーグの決勝だけやEUROも観るように(当時のフジとTBSに感謝)なり、海外の選手たちも本格的に覚え始める。
03年コンフェデ、04年アテネ五輪とアジアカップ、05年コンフェデ、そして日韓W杯では免除された予選の悲喜こもご4年間をきちんと初めて見続けた上で06年のドイツW杯を迎える。
先の黄金世代がより脂に乗り、久保竜彦という突然変異種も覚醒してこれは日本すごいことになるのでは…という幻想は木端微塵に打ち砕かれることに。
久保が壊れちゃったこと、豪州に屈辱の逆転負け、急にボールが来ちゃったこと、中村俊輔のコンディション不良が無く全てが上手く回っていれば違う結果だったはずという想いは今でも消えないよね。
日本は故オシムさんを監督に迎えて"日本のサッカーを日本化する"を掲げて再始動。
サッカーはネームバリューが全てではないということを教えてもらったし、あの一見ワケの分からない練習にも意味があって、新たなフェーズに入ったように感じた。
必ずしも結果が伴わなくてもサッカーが面白いと思えたのは衝撃だったし、南アフリカW杯に関しては脳梗塞で倒れて道半ばで終わってしまったことが本当に残念の極みである。
岡田監督にバトンタッチしてしんどい予選を突破して勝ち取った2010年の南アフリカW杯、本戦直前の日本の状態は最悪で期待値も低いものであった。
ここで割り切って泥臭く戦い、谷間の世代と揶揄された我らがアテネ世代を中心にベスト16を勝ち取ったことは誇らしかった。
スナイデルの一撃で負けてしまったオランダ戦は遠く離れた友達と集まって騒いで観たのが良い思い出だし、あの最強スペインが優勝したこの大会が自分にとってのW杯のハイライトの1つと言える。
長くなってきたのでここらで休憩。
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