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3rd LIVE TOURのセトリは面白くなかったのかという命題

 さて、まずはこの命題の結論を申し上げましょう。

そんなん人によるに決まってる!

 この一言に尽きます。
 面白くなかったと思う人もいれば、その逆もいるのです。つまり色んな捉え方があるわけで。
 だからこそ感想や想いも多彩で良いのです。

 ですが、わざわざ安くない金額を払ってライブを観たわけですから、その多くが"ライブを楽しみたい"という気持ちを持っていたのは間違いないでしょう。
 では、にも関わらず面白くないと感じてしまった時、私達はどうすればいいのでしょうか?



前書き

 どうも、普段はシャニマスのライブレポートを書いているなつおりという者です。
 シャニマス界隈で物議を醸した例の記事について、少しばかり書きたいことがあったので筆を取ってみました。今更だけど、書かずに消化不良で終わるのも嫌だったので。

「そもそも初披露楽曲が大体どれくらいあるかって事前にわかることで、それを了承した上でお金を払っているのでは?
「コロナ渦中に開催されたシャニマスのライブツアーなのに、コロナ禍以前の他マスの話を持ち出しても……
「今回のライブにラストスパートが無いのなら、今までのライブにもラストスパートなんて存在しないのでは?
「スローモーションを灯織以外の2人がカバーするの? 初披露の場で?

 私としては上に列挙したような気持ちで一杯なのですが、

「人の意見は人の意見。どんな視点からも一理もない意見なんて存在しないけん、頭ごなしに否定するもんじゃなかよ」

 って前にこがたんが言っていました(言ってない)。

 なので、ここでは例の記事を全否定するといった趣旨ではなく、ライブが楽しめないことへの解決策という話をしようと思います。
 とはいえ、上記の私の意見も後々触れることになるのですが。

元記事は定期的に修正されているため、文章が噛み合わない部分が出てしまう可能性があります。なので6/5 19:36時点でのPDFを置いておきます。



1:効果的な場所へ書き込むということ

【誤解のないように前置き】
 ネット上に誰が何を書き込もうが基本的には自由です。
 ですが、書き込む前に一度くらいは書く場所と言葉が適切かを考えた方が良いでしょう。
 書き込もうとしている場所よりも効果的な場所があるのなら尚更

 つまるところ、ここでは「求められていない場所に暴言混じりで的を射ていない意見を書き込むより、運営が用意した場所に直接不満点を申し立てた方が意味があるのでは?」という話をしています。

 当然ですが、愚痴ってはいけないということではありません。
 ここでは場所と言葉は選んだ方が良いという話をしています(その意見が適切かどうかについては後述)。

 例えどんなに今回のライブに対して不満を持っていたとしても、時間を戻して過去を変えることはできません。
 それゆえ、"ライブを楽しみたい"という望みは今後のライブに託す他ないでしょう。

 では、今後のライブをより良くするために消費者の我々にできる"1番"効果的なこととはなんでしょう。
 それは効果的な場所に要望を出すこと、つまりは公演アンケートに意見を書くことではないでしょうか(愚痴ってもいいじゃないか! という話については後述)。


 当然ながら、運営も公演をより良いものにしたいと考えていますし、そのための意見を求めています。

 ですが、ネット上の数多ある投稿の中から改善点を探し出すのは非常に手間がかかる上に統計がとりづらいと言えます。
 だからこそ運営はライブの度に公演アンケートを用意しています。

 この公演アンケートが重要なのは毎回運営が用意し、毎回アナウンスをしていることからも明らかですよね。

 ゆえに、公演アンケートこそが改善点や不満点を書くのに一番効果的な場所だと言えるでしょう。
 ということは、今回のライブのセトリが面白くないと思ったのなら、記事を書いたりネット上で喧嘩するだけの熱量があるのなら、一番にするべきは運営の公演アンケートにそれを書くことなのでは?

 場所がわからんという人は下のリンクからどうぞ。

 当然ですが公演アンケート以外の意見が無視されると言いたいわけではありません。
 あくまで、今回のようにnoteにて検討外れな意見でもって暴言混じりにライブを批判し、多くの人に不快感を与えるのと公演アンケートに改善点を打診するのとではどちらの方が建設的かつ効果的かという話です。
 自分の記事への反対意見に不満タラタラなのであれば尚更。そもそも、暴言によって耳目を集めるような手法を使わなければ今ほど反対意見も飛んでこないわけですしね。

 これがライブを楽しめない場合の一つ目の対処法であり、今回の記事で一番伝えたかった部分である『効果的な場所へ書き込むということ』です。


 さて、とはいえ愚痴りたいという気持ちはあって然るべきです。
 ではその気持ちはどうすれば良いのでしょうか。



TPOをわきまえる

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 まず大前提として、どこに何を書き込むのかなんてのは各々の勝手ですし好きにするべきです。
 ただ、その意見が少数派であり多くの反感を買ったり不快感を覚える人が多いと思われるのであれば、それは場所を選ぶべきですし、出来ないのであればせめて言葉は選ぶべきです。

 つまり「愚痴るのは自由だけれど、それに不快感を感じる人のいない場所(ないしは少ない場所)=適したコミュニティでやった方がいいよね」「それを考慮しないのであれば、せめて暴言を使わない方がいいよね」という話です。

【追記(10/21)】
 上の文章について、元記事を書かれた人と交流のある方(BRUTUSの冬優子紹介文に対してお気持ち表明をしていた人)から話の前提や、それまでの文脈直後の解説を全て無視し、意図的に言葉を切り取り曲解した上で、『マイノリティに対する弾圧』『いじめの加害者の主張』という意見をいただいたのですが、そのような意図は全くありません(というか、複数人で私個人に暴言を吐いたりデマを流した人が何を言ってるんだという話です)。

 何をどこに書くのかも、何を感じたのかも自由という前提はあるけれど、効果が見込めない場所に意見を書くよりかは効果的な場所に書く方が建設的

 という前段があり、

 自分の意見とそのコミュニティの相性を考えて発言する(場所を選ぶ)のが無理なのであれば、せめて周りの人間に配慮して暴言を吐かない(言葉を選ぶ)方が良い

 ということをここでは述べています。
 本文中でこのように書かなかったのは前後の文脈でそれが説明されていたからです。

 例えば、サッカーW杯で日本代表が優勝し、祝杯をあげている居酒屋があったとしましょう。
 そんなお祭りムードの中、監督や運営に対して大声で暴言を吐く人が来店したら周りの人はどう思うでしょうか?
 不快に思う人が大多数であることは想像に難くないですよね。

 だからこそ、場所と言葉は選ぶべきなのです。

【追記】
 毛色は違いますが、最近のDaiGoさんのホームレスに対する発言なんかは良い見本ですよね。
 あれこそ、思想や意見は自由でも場所や言葉は選ぶべきという典型ですから。

 今回の件で言えば、シャニ3rdで盛り上がっている場所目を引くタイトルと暴言を伴う批判が書かれた記事を投下する必要はあったのかという話ですね。
 そもそも公演アンケートという運営が用意した場所があり、note以外の人の目に触れられにくい場所もあったわけですから。

 とはいえ、先述したように別に愚痴りたければ愚痴っても良いのです。
 そもそも他人の言論を統制することなんて出来ないわけですし、どこに何を書くかは各々の勝手です。それを縛ることはできません。


 ただ、もし適切な場所を選べたのなら、今回のように物議を醸すことはなかっただろうし、もし言葉を選べたのなら、今よりも不快な思いをする人は大幅に減っていただろうという話でした。
 つまり「もっと良い方法があったんじゃない?」って話です。
 実際、元記事の投稿者も批判的な意見があることに思うところがあるようですし。



 さて、ここまで色々と書いてきましたが、そもそもの話、元記事の指摘は的を射ているものなのでしょうか?

 元記事では、コロナ渦に開催されたシャニマスのライブツアーにも関わらずコロナ禍以前の他マスの話を持ち出したり、初披露楽曲が少なかったというライブが始まる前からわかっていたことを持ち出して批判をしていました。
 それ以外にも、ライブの後半にはラストスパートが求められるという特に根拠のない意見や、ソロ曲の初披露が目玉の一つであるライブでスローモーションを真乃とめぐるの二人にカバーさせるという提案もなされていたわけで。

 果たしてこれらの発言は今回のライブの趣旨を理解したものと言えるのでしょうか?



2:批判の妥当性、及びコンテンツの捉え方

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 さて、元記事の総括部分には『全ての可能性を殺して、思考停止した今回の構成は最低だ』とあり、文中には度々『工夫がない』『手抜き』等の言葉が登場しますが、それは事実でしょうか?

 私の答えとしては「そんなことはない」です。少なくとも『全ての可能性を殺して』いるとは思えません。

 しかしながら、私達が運営や関係者ではない以上、このことについてどんなに論じたところで真実はわかりません
 結局は私達がどう感じたのかという話であり、議論は平行線で終わるでしょう

 ですが、その論拠となる指摘が適切なのかについてはある程度の答えを出すことができます
 ゆえにここでは、情報の提示と私自身の解釈を用いて"元記事の指摘は適切だったのか"ということを考えていこうと思います。
 つまり、元記事の批評が妥当かどうか考えよう、という話ですね。

 ちなみに、元記事の趣旨がセトリに工夫がないことへの批判であったため、この記事でもあくまでセトリに関する事柄に絞って語っていきます。
 あらかじめご了承をば。



〈前段〉他ライブとの比較

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 さて、まずは本題に入る前に今回のライブについて考える上での大前提について考えたいと思います。
 それは他マスのライブと比較する以上に重要な部分があるのではないか? ということです。


 というのも、今回のライブはシャニマスの周年ライブツアーであり、当然ながらミリオンやシンデレラのライブではありません

 加えて、ブランドによってアイドルの人数曲の総数が大きく違いますし、元記事にて話題に上げている他マスのライブは全てコロナ禍が始まる前のものです。

 であれば、今回のライブツアーの比較対象として、他マスのライブは適していないのではないでしょうか?
 だって前提が違いすぎるのですから。

 ゆえに、今回のライブツアーは「アイマスシリーズ作品のライブツアー」としてではなく、「"コロナ禍"に開催された"シャニマス"の3rd LIVE TOUR」として意味のある構成なのか工夫がされていたのかを考えるべきだと私は思うのです。



〈前提1〉楽曲数と日程から考えるセトリ論

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 さて、他マスのライブが比較対象に適さないであれば、一体どのライブと比較するべきなのか。

 シャニマスは今回が初のライブツアーであり、その観点での比較はできません。
 ですが、コロナ禍に開催されたシャニマスのライブなら存在します。
 MUSIC DAWNと2ndです。

 元記事では2ndについてはあまり触れられていませんが、その代わりにMUSIC DAWNが何度か比較対象に挙げられています。
 なので今回はMUSIC DAWNとの比較を通して3rdには工夫があったかどうかの是非を考えることとします。


 元記事には『MUSICDAWNもコロナ禍下でしたが、過去披露したことのない曲を多く披露してくれました。また、両日で構成がかなり違いました』とあります。
 ですが、初披露楽曲がどれだけあるかは事前にわかることで、私たちはそれを理解し、了承した上で料金を支払い、ライブを観たはずです

 そうでなくとも、発売済みの楽曲のうち3rdの最終日時点で披露されていない楽曲は、デビ太郎 VS ジャスティスVとLW 02に収録された4曲のみであり、これは3rd全体の初披露楽曲の1/8程度にあたるのですが、もしもこの4曲が追加で披露されていたら「初披露楽曲が多かった」という主張になるのでしょうか?

 つまるところが、元記事の筆者は少なくともライブの詳細が発表された1月15日には想定できたはずのことを一切確認しないでライブに参加したわけです。
 その上で、例え全ての初披露楽曲を披露したとしても達成できないことを『工夫がない』と言っているわけで。
 自身の過失を棚上げしすぎですし、達成できないとわかっていながらふっかけるのは無理難題と言って差し支えないでしょう。


 とはいえ比較されるほどに初披露楽曲が少なかったのであれば、不満が出るのも仕方ありません。
 ということで、初披露曲がどれだけあったのかを実際に数えてみましょう。

MUSIC DAWN:10曲

・トライアングル
・ラビリンス・レジスタンス
・よりみちサンセット
・Love Addiction
・Destined Rival
・Hide & Attack
・いつだって僕らは
・あの花のように
・シャイノグラフィ
・SWEET♡STEP
・FUTURITY SMILE

3rd LIVE:31曲
・Happy Funny Lucky
・純白トロイメライ
・学祭革命夜明け前
・Anniversary
・OH MY GOD
・Resonance⁺
・Color Days
・何度でも笑おう
・ソロ(23曲)

 開催日数が違うわけですから、当然ながら段違いです。
 ですが、開催日数が違うものを比較するのは間違っている、シーズ以外のユニット曲とResonance⁺は名古屋公演で初披露だから東京公演以降は初披露楽曲にカウントするべきじゃないという意見も出るかと思います。私もそう思いますし。

 ということで、各公演ごとの楽曲数も出してみましょう。

東京公演:13曲
・Happy Funny Lucky
・純白トロイメライ
・学祭革命夜明け前
・Anniversary
・Resonance⁺
・ソロ(8曲)

名古屋公演:9曲
・Color Days
・ソロ(8曲)

福岡公演:9曲
・OH MY GOD
・何度でも笑おう
・ソロ(7曲)

 そんなに変わらないですね。
 なんなら開催日数から算出し平均もほぼ同じ(3rdの方が少しだけ多い)です。
 もちろん、東京、福岡公演はMUSIC DAWNと比べると1曲少ないわけですが、逆に言えば名古屋公演は3曲多いわけで。

「名古屋公演以降の新規楽曲がソロ曲ばかりでつまらない」という主張ならまだしも、これで「MUSIC DAWNは初披露曲が多かったのに」と腐すのは少し無理があるでしょう。



 また、元記事にはMUSIC DAWNは『両日で構成がかなり違いました』とあったわけですが、そもそもMUSIC DAWNは日程自体が大きく違いますし、その上1人あたりが1日に披露する曲数も3rdより少ないのです。

MUSIC DAWN:5曲(ユニット2曲+全体2曲+メドレー1曲)
3rd:8~9曲(チーム1曲+ユニット2曲+全体5曲+ソロ0~1曲)

※SHHisのみユニット曲が1つかつソロ曲がないので7曲。

 これが2日連続で続き、それを3セットもしなければならないのです。
 どう考えてもMUSIC DAWNよりも演者さんは大変でしょう。日によってはMUSIC DAWNの約2倍の曲数を披露しなければならないのですから。

 更に言えば、各公演までの期間は2ndから名古屋までが2週間、名古屋から東京までが3週間、東京から福岡までが5週間なのです。

 セトリにある楽曲のうち1つの枠を変更するだけでも追加で2種類の曲が必要になるわけですが、この期間で追加で2セット用意するのは、流石に運営側が配慮してしかるべきではないでしょうか。

 元記事には、コロナで練習が〜という意見はあるが『練習環境という観点では、差がどのようにあるのかわかりません』『シャニマス楽曲展開の軸である"ユニット"は6日間ずっと同じ曲を歌い続けるだけだった。工夫は見られない』とありますが、それが工夫以前の話ということがわかるはずです。


 ちなみに、ここまで読んだ方の中にはもしかすると「完全新規とまでは言わない。公演ごとに少しでも違いがあれば良かったんだ」と考える方もいらっしゃるかもしれませんが、実際にそれをやったのが今回の3rdなのです。



〈前提2〉ラストスパートをさせないMCだったのか

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 元記事には『ライブ後半といえば、ラストスパート感が求められる』『どのアーティストのライブも、後半は畳み掛けるように切り札のような曲を披露していく』とあり、3rdではそれが無かったと書いてあります。

 しかしながら、3rdにラストスパートが無いのであれば、今までのライブにラストスパートなんてものは存在しません
『ラストスパート』を元記事で書かれているように『"後半""畳み掛けるように"切り札のような"曲を披露"』することだと定義するならですが。

 というのも、シャニマスのライブは大抵2~3曲毎にMCか朗読劇が差し込まれる関係上、前後半に限らず連続で披露される楽曲数は少なめなのです

1st:最大2曲
サマパ:ノンストップ(そもそもライブイベントではない)
感謝祭:1曲(そもそもライブイベントではない)
スプパ:中止
MUSIC DAWN:最大4曲(3rdのソロと同じ)
2nd:最大3曲(3rdのアンコールと同じ)

 ゆえに、ライブ後半において連続で披露された楽曲の最大数は4曲(過去一回のみ)程度であり、この数は3rdの後半(ソロパート)と同じです。

 だからこそ、3rdにラストスパートが無いのであれば、今までのライブにラストスパートなんてものは存在しないのです。
 つまり、これまでのライブにラストスパートがあったというのは元記事の筆者の思い込みでしかないのです。


 そもそもシャニのライブで全ユニットのMCがあるのは恒例です。
 3rdには最大7ユニット出演しているのですから、途中で何度も止まってしまうのは当然ですよね。
 つまり『ライブ後半といえば〜』と言われても「シャニマスでは違うんやで」としか返しようがないわけです。


 八百屋ではPCパーツは買えないし、床屋で飛行機のチケットは買えない。これは当たり前のことです
 それなのに八百屋の店主にPCパーツをせがみ、床屋の発券機に「工夫次第で飛行機のチケットが発券できるはずだ!」なんて語りかけても意味はありません。
 どうしてもその店で扱って欲しいのであれば、今後パーツを取り寄せたり航空会社と業務提携をしてくれないかと店の人に頼み込むのが一番有意義でしょう。

 今回で言うと公演アンケートがそれに相当するわけで、だからこそ、先述したように場所を選ぶべきという話になるのです。

 以上の話を踏まえた上で、今回のセトリが手抜きだったのか、意味がないのか、工夫はないのか、全ての可能性を潰していたのかを考えていきましょう。



〈考察1〉ツアーを通して硬直的な構成なのか

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 これはその通りです。
 ですがその理由に関しては近しいことを〈前提1〉の後半部分にて触れたばかりです。

 なのでここでは先述した通り、構成に意味や工夫はあったのかを考えていきます。
 元記事には『全ての可能性を殺し』ていた、とあったわけですから。


 そもそも、今回のライブではシャニマス初の試みが2つなされています。

 1つ目は曲単位での披露です。
 元々シャニマスのライブはユニット単位で曲を披露していましたが、今回のライブで初めてユニット曲がバラバラに披露されました。

 MUSIC DAWN後の2nd LIVEではユニット順が柔軟になったことを考えると、今回の試みも今後のライブのセトリがより柔軟に組める可能性ができたという意味で有益と言えるでしょう。
 また、今までにないセトリだからこその新鮮味もあったはずです。

 挑戦的で意味のあるセトリですし、今後のシャニマスのライブの可能性を広げてくれるものではないでしょうか。


 2つ目は言うなればスタートダッシュです。
 元記事にはラストスパートがないという趣旨の話がありましたが、その原因の1つがこれです。

 先述したように、今までのシャニマスだと連続での楽曲の披露は最大4曲まででした。
 しかしながら3rdでは最初から4曲連続で披露しただけでなく、その直後に6曲連続と立て続けに、それこそ『畳み掛けるように』披露したのです。
 これも今までにない試みであり、新しいセトリの形ですよね?

 そして前半に曲が固まったからこそ、当然MCは後半に固まるわけです。
 それによってラストスパートがないという意見が出たわけですが……では逆にラストスパートがあった場合はどうでしょうか?

 もしかすると「ライブ前半といえば、疾走感が求められる」「どのアーティストのライブも、前半は畳み掛けるように切り札のような曲を披露していくと思う」という根拠薄弱な意見が出てくるかもしれませんよね?
 当然ですが、全員が全員納得できるライブなんてのは作り上げるのは不可能なのです



〈考察2〉曲に軸は無いのか

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 元記事には各公演のセトリは『何のモチーフも、何の軸もなく、場所を変えただけ』とありました。

 また、近藤さんがいないのなら『スローモーションを2人でカバーする』という選択肢があったとも書かれています。
 それ以外にも『ユニットはユニット曲しか歌ってはいけないのだろうか?』『イルミネ2人でシャイノグラフィやいつかshiny daysを』『FUTURITY SMILEやSWEET♡STEPをノクチルが』との記述がありました。

 それらが妥当な意見なのかどうかは言うまでもない話だと思いますが、一応考えてみましょう。


 そもそも下に示す要素からもわかるように、今回のライブの目玉の一つはCOLORFUL FE@THERSでありソロ曲です。

・COLORFUL FE@THERSの各チームと公演のロゴ(テーマカラー及び天体)が符合する
・新衣装の髪飾りが各チームのチーム分けとテーマカラーに符合する
・各公演の一曲目はその公演に符合するチーム曲
・全てのソロ曲が初披露

 そんなライブのメインであるソロ曲の初披露を、何故本人以外の二人がカバーするという話になるのでしょうか。

 そうでなくとも、ソロ曲はそのアイドルが歌うから意味があるのです。

 小糸以外のノクチルのメンバーに「わたしの主人公はわたしだから!」を歌わせますか? あの曲は背中を追いかける小糸だからこその曲ですよね?
 果穂以外の放クラのメンバーに「ハナマルバッジ」を歌わせますか? あの曲は果穂の視点があってこその曲ですよね?
 既に何回か披露した後ならまだしも、よりにもよってソロが初披露かつメインのライブで、ですよ?

 当然、スローモーションだって灯織が歌うからこその曲であり、初披露の場で他のアイドルが歌うわけがないのです。


 つまり、セトリの議論をする前にライブのコンセプトを理解しておく必要があるわけで。
 例えるなら元記事は、往年のジャズ特集を放送している音楽番組に「もっと色んなジャンルの曲が聴きたい」「最近の流行りの曲も流してよ」と意見を送っているようなものなのです。



【ソロ曲に軸は無いのか】

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 元記事にはソロ曲が『適当に割り振られただけ』『選曲の軸がない』とあるわけですが、何故か『ポップ、ダンス、ロック』という枠組みをテーマと置く、という提案がされています。
 ソロ曲にはプラスチック・アンブレラやスローモーションなどの上記三つのジャンルに当てはまらない楽曲があるにも関わらず、です。

 当てはまらない楽曲は無理やりセトリに組み込むしかなくなるわけですが、そういった扱われ方こそ、元記事にあるような『ライブのコンセプトやアイドル固有の理由』がない、納得感があるとは言えないセトリなのではないでしょうか?

 もしもそのようなテキトーな配置が選曲の軸と言えるのならば、今回のセトリにあったStella、Luna、Solをどの公演でも一人ずつは配置するというのも軸と言えてしまえるわけで。
 だからこそ、元記事の提案は考慮に値するものではないと考えています。


「じゃあお前ならどんな代案を出すんだ」という話ですが、私としては公演のテーマカラー毎にソロ曲を披露するチームを変えるというのがライブのコンセプトにあった一番理想的な形だったと思っています。
 では何故運営はそうしなかったのか。その理由は演者さん達のスケジュールにあると考えています。

 というのも、ソロ曲のメンバーは唯一の例外(冬優子役の幸村さん)を除いて、最初のキャスト発表を準拠しているんですよね(参考:アイマス公式WEB)。

 下に示す画像が元々全日程に出演不可能だった方の出演予定日ソロ曲を披露した日をまとめたものです。
 ハイライトされているのが元々の出演予定日、その中でも各公演のカラーでハイライトされているのがソロ曲を披露した公演です。

 例えば甜花役の前川さん。彼女は最初名古屋day2のみの出演だったため、ソロ曲の披露も名古屋day2でされています。
 結果的に3rdの全日程に出演することになったにも関わらず、です。
 このように、どの公演でソロ曲を披露するかは最初の出演日程から選ばれているのです。

 そして、上の画像を見ればわかる通り、最初の発表の時点では全日程出演できない演者さんが過半数だったのです(シーズはソロ曲がないので考えないものとする)。
 だからこそ、今回のセトリには出演日という制限があったのだと考えられます。
 これが、名古屋でStella(赤)→東京でLuna(青)→福岡でSol(緑)という1番綺麗なソロ曲披露の形が取れなかった理由でしょう。


 もしかすると「最終的に全日程出演できた人が大半なのだから、最初の予定に固執せずにセトリを変えたら良かったじゃないか」と思った方もいるやもしれません。
 ですが、セトリってそんな気軽に変更できるものなのでしょうか?

 1人のソロ曲披露を別日に変える場合、最大であと1人の日程も変更しなければなりません
 それによって、レッスンのスケジュールやライブの演出が変わってくることは想像に難くないわけですが、それを出演者のスケジュールが変更されるたびに何度も繰り返す行為は現実的と言えないように思えます。


 そもそも、シャニマスはライブの演出意図などをあまり明言しません
 もちろん、オーコメなどでその内の幾つかに触れることはありますが元記事にあるように『ライブのコンセプトやアイドル固有の理由』がこと細かに開示されることはそうそうありません。
 もし今までのライブを経験しているのであれば、そのことは承知しているはずです。

 つまり、元記事は公式から反論が来ないとわかりきってる(公式が今まで明言してこなかった)事柄について、自分でも見つけることができない代替案を公式なら出せたはずだと批判しているわけで。

【追記('23/12/20)】
 ちなみに、3rdの約4ヶ月後に開催された283フェス、及び2023年に行われた「我儘なまま」はどちらも3rdと同じく全てのソロ曲が披露されましたが、3rdと同様に公式が選曲の軸や演出の意図の全てを明言することはありませんでした
 東京公演day2の実質的なリベンジである「我儘なまま」がそうなのですから、大元である3rdがどうであるかは……という話です。

 もしかすると、元記事で比較対象になっているミリオンやシンデレラは違うのかもしれませんが、少なくともシャニマスではそうなのです。
 だからこそ、この記事は『ミリオンやシンデレラのライブではありません』『比較対象として、他マスのライブはあまり適していないのではないでしょうか?』と前置きをしているわけです。

 そして、もしもシャニも同じようにして欲しいと言うのなら……やはり公演アンケートを書くべきという話になるのです。

 更に言えば、曲の制作に携われた方々は曲を作る時にどの日のライブに誰が出れるか、どんなセトリになるのか、なんてものは考慮していません
 つまり、チームという枠組みで曲を披露できない以上、意味のあるセトリを作るのが難しかったのは目に見えています。

 そういった諸々の事情を度外視した上で真っ当な代替案を出さずにただ『手抜き』だと批判するのは、正直あまり良い行いだとは思いません。


 別に「自分は嫌い!」という感想を持つのがダメだと言いたいわけではありません。先述したように私は感情を否定するつもりはないので。

 ですが、理屈混じりであるのならそれは最早感想というより批評だし、その理屈が間違っているのならその批評は真っ当とは言えない、という話です。
 そして、真っ当じゃない批判ってあまりよろしくはないわけで。

 だからこの記事では「感想は否定しない」と前置きしているにも関わらず、元記事を否定する内容を書いているわけです。

 ちなみに、元々はこの後に「各公演のソロ曲のセトリにテーマや軸が存在したのかを私なりに考えてみた!」という内容の記述があったのですが、上記の2023年に追記した部分がある以上、この段落の必要はなくなったという考えに至り削除しました。



【ユニット曲】

ユニット曲

 さて、先述したように元記事では『ユニットはユニット曲しか歌ってはいけないのだろうか?』といった意見が述べられていました。

 もちろん、ユニットCDに全体曲のユニットVer.が付いてくるのだから、歌ってはいけないなんて事はないでしょう。
 ですが、先述したように現状でさえ披露曲が多いのにこれ以上曲のバリエーションを増やすのかという話ですし、ソロ曲の初披露が目玉の一つである3rd LIVEでそんなことしたらそれこそ軸がブレブレです。

 だからこそ、運営はそんなことはしていないのではないでしょうか。


 また、それ以前の話として、毎回公演アンケートには『ライブの魅力について』の項目があり、その回答の一つとして『ライブ・イベントでしか聞けない楽曲・アイドルの組み合わせや演出を楽しむこと』が用意されています。

 にも関わらず、今まで『ライブ・イベントでしか聞けない楽曲・アイドルの組み合わせ』が一度も実現されていないのは、ただ単に需要が少ないからではないでしょうか?

 もちろん「今まで盛り込めていないだけで需要は多かった」という可能性も大いにありますが。

 過去のインタビューを見ると、ユニットを超えたコラボ楽曲には高山Pも意欲を示しています。
 なので少し毛色は違うものにはなってしまいますが、今後の動きに期待するのも良いかもしれません。


【チーム曲】

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 元記事にて『チーム曲を6日間毎回同じようにやる必要があっただろうか?』という問いが投げかけられていますが、そもそも同じようにはやってません

 そもそも、COLORFUL FE@THERSは今回のライブの目玉です。
 当然、ソロ曲と共に収録されているチーム曲もライブのメインなのです。
 だからこそ、各公演でそれに符合するチーム曲が一番最初にリフト曲として披露されたわけですよね?
 これは意味のないことでしょうか?

 やっている曲こそ同じですが、ちゃんと公演日に合わせてセトリや演出、メンバーの配置も変わっています
 これが『全ての可能性を殺して、思考停止した』行為なのでしょうか?

 そして『チームは、その曲しか歌ってはいけないのだろうか?』とも書かれていましたが、ライブのコンセプトとも言える曲を外してしまうと、ライブの輪郭がボヤけ、それこそ軸がなくなってしまうのではないでしょうか?
 この曲しか歌ってはいけないわけではないが、外すのは難しいという話です。



【全体曲】

ユニット

 全体曲について、『3周年を迎えるタイミングだったので、周年曲が切り替わるタイミングで切り替えただけ』『工夫がない』とあります。

 ですが、これまでのライブで披露された全体曲、されなかった全体曲の全てに明確な理由が付けられるのでしょうか? 似たような理由で選出されてないと言えるでしょうか?

 もちろん、ある程度の理由付けは可能でしょうが「確実にそうである」と言える理由ばかりだとは到底思えません
 なので私には元記事の方が何故今までのライブでは全体曲を不満に思わなかったのかもわかりかねます。ゆえにこの記事では取り扱う意味のない部分だと考えています。



〈考察3〉セットリストを拘束する衣装替えなのか

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 これは着替えが多すぎるという真っ当な指摘です。
 ただ、衣装替えによってセトリが拘束されていたのか、という話は間違いではないでしょうが、正しくもないと考えています。

 そもそも『ソロ曲で着替えなければ』というのが違うでしょう。

 何度も述べてきたように、今回のライブツアーはソロ曲の初披露が目玉なのです。
 だからこそ、ソロ曲披露の衣装がGR@DATEではなく初期のユニット衣装なのは当然と言えます。


 ソロ曲は言うまでもなく、アイドル達自身の曲です。
 ですが、ノクチル以外のGR@DATEの衣装は主張が強すぎてノイズになるのではないでしょうか。

 黄昏時に彷徨うのは堕天使ではなく、おやすみするのも天使ではありません。
 勿論、駐車場や歩道橋についてカウボーイが歌うわけないですよね。

 では、ネオンライトロマンサーで星をめざし、SOSを発信するのはどうなのか。
「冬優子がフリフリの可愛い服を着てSOSを」という話をMCでしていたじゃないか。

 そう思う方もいるかもしれません。
 ただ、この問題はGR@DATEに比べて目立った問題ではないのです。

 なぜなら、初期衣装は私達が一番見慣れたアイドルとしての姿だからです。

 例えミスマッチだとしても、GR@DATE衣装よりもそのアイドルらしい姿なわけですね。



〈考察4〉見れなかった人のためセトリなのか

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『見られなかった人のために代わり映えのしないセトリなのか』という話については、あくまで要因の一つだと私は考えています。

 そう考える理由は、全公演のアンコール直後のMCにて必ず差し込まれた"ユナイトバースプラネタリ"の話にあります。
 正直、最後の方は皆さん聞き飽きていたでしょう。私もそうです。

 でもこれって、福岡Day2に至るまで一度もライブを見ていない人がいるという想定をしているからこそですよね?
 関根さんなんて『もしかしたら見慣れたかもしれないけど』って仰ってるわけで、運営側も何度もライブを観ている人がいることは承知の上なのです。

 だからこそ、セトリだってそういう人がいることを想定していてもおかしくないと考えています。

 ただ、それでは全て観ている人にとって代わり映えがしないのも事実で。
 だからこそ、披露する曲を一部変更するという配慮がされていたり、ユニットのMCでは最終日まで衣装に触れることをしなかったのでしょう。

 つまり構成を変えないのは見れなかった人のためでもあるが、毎回ライブを見ている人のための工夫もされていたという話だと考えています。


【雑多な話の詰め合わせ】(削除済み)
 元記事に対する不特定多数からの意見に対する反論──に対する私の意見という構図になったために意見の食い違いが多く、わかりにくくなっていたのもあり削除しました。



〈結論〉ライブを楽しむためのセトリの捉え方

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 さて、ここまで読んだ上で、今回のセトリは『ちょっとした構成の工夫』は『何も無かった』ものと思えるでしょうか。
『全ての可能性を殺して、思考停止した今回の構成は最低』とは言えないのではないでしょうか。

 にも関わらず、元記事の方がそのような結論に至ったのは、色眼鏡をつけて青空を見ても青さを感じないのと一緒で、穿った見方をしたからあるいは批評家的な視点でもってライブを見ているからではないかと思います。

【追記】
 というのも、元記事の方が投稿している記事は基本的に企業やコンテンツ、ユーザーへの批判、批評記事でした(これも一種のバイアスと言えますが)。

 一度そうであると決めつけてしまったり、穿った目線で物事を見てしまうと、見えるものがその考えや目線に引きずられてしまう、という経験を皆さんもしたことがあるのではないでしょうか。
 例えば、嫌いな人の行動は全て不快に感じる、みたいな。

 つまり、元記事の方が今回のライブを『全ての可能性を殺して、思考停止した今回の構成は最低』と捉えたのはライブの捉え方がネガティブ、あるいは批評家的な視点で観ていたというのが原因だと私は考えるわけです。


 そもそもの話、全員が全員納得できるライブなんてのは作り上げるのは不可能で、同時に粗探しすればどんな良いライブでも悪いところは出てくるものです。

 だからこそ、もしもそのコンテンツを楽しみたいのなら穿った視点やネガティブな視点では触れない方がいいでしょう
 当然ながら、イエスマンでいるのが良いというわけでもないわけですが。

 つまるところお金を払ってまで楽しみたいのであれば、穿った視点で見ないあるいはフラットな視点で見る方が良いのではないかという話でした。



3:ライブを楽しむための方法

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 そもそも6回、もしくはそれ以上同じパフォーマンスを見て楽しいと思えるのか。
 これもまぁ、結局のところ『そんなん人によるに決まってる!!!』って話ではあるんですが、私は思えました。

 配信や現地で見たものをアーカイブで何度も見てますし、それ以前に全く同じパフォーマンス、同じ演出ってわけじゃないですし。


 もちろん「楽しめないのが悪い」とは言いたいわけではありません。
 更に言えば、楽しみ方も人それぞれなので「皆んながそうするべき!」なんてことも言いませんが、もしも楽しめないのであれば、今までにない視点からライブを見てみるのも良いかもしれません。

 一例としては、ライブごとの振り付けや歌い方、表情、演出の変化を一つ一つ丁寧に追っていくとか。
 折角そういった点に力を入れているコンテンツなわけですしね。



総括:ライブが楽しめないことの解決策

 というわけで総括です。ライブが楽しめない時の対処法は3つあります。

1.改善して欲しいのであれば、書き込む場所を選ぼう。
 今回であれば公演アンケートへ書こう。求められていないところに書いても効果は薄い。
 書き込むとしても暴言混じりでは他人を不快にさせやすい。

2.穿った見方はしない。
 穿った見方をしても穿った感想しか出てこんばい。

3.ライブを今までとは違う視点から見てみるのも良いかも。

 最初に書いたことを繰り返すようですが、私には元記事の"感想を"否定する意図はありません

 この記事は、ライブを楽しめないのは勿体ないからこそ、今回はひとまず公演アンケートを書くこと、次回以降ライブを見るときは穿って見ないこと、違う視点でも見てみることを推奨するものです。

 せっかくの年に数回しかないライブを楽しめないのは悲しいですから。


 さて、ひとまず書きたいことは粗方書けたので、私はまだ書き上げていない福岡DAY2のライブレポートを書き上げるとします。
 長々とお付き合いいただきありがとうございました。
 それでは。



私信

※本題とは少し離れた内容です。読む場合はそれをご留意ください。

 現在、note及びtwitter上にて、先述した元記事を書かれた方や彼と交流のある方から人格否定を含む粘着行為をされているため、新規の記事の投稿を控えています。

 この記事を読むほとんどの方が興味のないトピックだとは思いますが、今後のために残しておきます。

【追記】
 私が三峰Pだからか、例の件があった直後、攻撃が再開されました。
 今回は元記事の方や先述したBRUTUSの方と3人で、という形でした(追記:現在、BRUTUSの方は鍵垢かつnoteと連携しているアカウントを変更しており、もう一人の方はtwitterのアカウントを削除しているようです)。

 記事の内容を切り取った上で『マイノリティに対する弾圧』『いじめの加害者の主張』という目を引くセンシティブなワードを用いて効果的にインプレッションを稼いでおり、大してフォロワーがいない自分のツイートですらインプレッションが1,000件を超えているのが現状です。

 事の始まりは、先述した方が今回の記事及び私の過去の考察に対して、私への人格否定が盛り込まれた記事を投稿したことです。

 その数時間後には『尖りすぎていたため記事を削除した』と両方の記事を削除したにも関わらず、彼はその後も類似の記事を投稿するという粘着行為を繰り返しています

図1

 現在、全ての記事は現在削除済みですが、また同じようなことをされるとも限りません(追記:されました)。
 なので記事の投稿自体を控えているのが現状です。

未だに解決はしていませんが、8/25から記事の投稿を再開しました

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