はりがゆれる
私の可愛いひとは正直なので、私のどこが好き? などと腑抜けた質問をしようものなら「あたしのことが好きそうなところ」なんて言葉が容赦なく返ってくる。こういう言葉にいちいちシュンとしてしまうあたり、私にこのひとは荷が重いというか合わないのだろうとは思うのだけど、私は私でこのひとの顔かたちが気に入っているという理由で好いているのだから、ダメになるまでは頑張ると決めている。私は不正直なので、口に出しはしないけれども。
正直で可愛いこのひとは私よりも三つ歳が若いので、私はそれはもう猫可愛がりしている。私は朝こそ苦手だけれど夜はいつまでも起きていられるタイプなので、このひとが望むときはいつだって家に上げる。だんまりするこのひとのことばっかりに注意を払いながら、温かい飲み物を作ったりお風呂を沸かしたり、的外れかもしれないあれこれをしてこのひとの回復を待つ。そういう私のみっともなさが、このひとの何かを補っていくのを辛抱強くみていてあげる。
「そういうのって、相手をダメにするんじゃないの」と良く話す男友達なんかは言うけれど、彼にはわからないということが私をどこか安心させる。可愛いひとは、はる、という可愛い名前を持っている。
ひとの身体は顔みたいだと、タオルをめくるたびに思う。車の正面が顔に見えるように、点が三つあると顔を想像してしまうこの感覚にはちゃんと名前があるらしい。四肢クリップを手早くつける。一応手で温めてからつけてゆくのだけど、胸に電極パッドを貼るときは大抵のひとがちいさく息を飲む。その、一瞬ふくらむ胸の感じが、やっぱり顔を想像させる。「やっぱさ、女の患者の方が嬉しいの?」と例の男友達は言うけれど、こういうところが永遠に分かり合えないと、いっそすがすがしくさえ思う。
私の勤め先ははるさんの会社のそばなので、はるさんは健康診断でうちにやってくる。野島春、というカルテの漢字を見ると、とても私の家に来るはるさんと同じ感じがしない。はるさんは仕事に一生懸命なひとだから、健診に来るときはいつも不服そうにしている。時間が惜しいのだろう。こちらの指示よりも早く腕をまくって採血に備える。ストッキングを脱ぐ。横たわる。
あんまりに仏頂面なので、私は「つい」、電極パッドを温め忘れてしまう。室温で冷えたそれをむき出しの胸に当てたとき、はるさんの身体の顔がヒクリと揺れた。
「深呼吸してくださいね」
カーテンを閉め、はるさんの心臓が描く波形に目を移す。身長体重、視力聴力、血中の白血球の数とコレステロール値。野島春について私はいろんなことを知り得るのに「はるさん」のことはいつまでたっても十分にわからない。たとえばこんなふうに部屋のソファで手と手を重ね合ったまま「昔好きになったのってどんな子?」なんて聞いてくるはるさんの意図をつかみかねている。求めていることに応えてあげたいのに、言葉からは正しく読み取れない。不正直な私は、正直でないだけで嘘は下手なので困ってしまう。「年上でしたねぇ」と答えると、はるさんは重ねたままの手の指だけを小さく上げて、トントンと私の手の甲を叩く。もっと話せということだろう。
「男のひとに好かれやすくて流されやすい、ちょっとだらしないひとで、彼氏に泣かされると連絡がくるんですけど仲直りするとパッタリで、またダメになると連絡がきて……そういう人です」
不毛、とはるさんは笑う。ピッタリくる言葉がすぐ思いついたのが嬉しいみたいに、もう一度不毛、と呟く。ついていないテレビに、私とはるさんの姿がぼんやり映る。背ばかり高くて、BMIで18を超えたことのない私の物足りないからだと、小柄で平坦なはるさんの子供っぽいからだと。並んでいるシルエットから、栄養の足りない感じがする。私たちは二人であまり食事をしないけれど、何かを補い合う必要があるみたいだ。
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