性欲に差があるカップルと公認のセフレが三人でストリップを観に行く百合小説①
十七時半に定時で仕事を終えてから、三十分あれば東京駅に着く。そこからうまく新幹線に乗り換えてしまえば、熱海は思ったほど遠くない。もっと休みが取れれば在来線でゆっくり向かってもいいのだけれど、三人の予定を合わせるにはどうしても今日、終業後に新幹線に飛び乗るのが一番効率良く事が進むのだった。
≪上がれたよ! 大手町から歩くね≫
≪おつかれさま 宮田と舞ってる≫
届いた返信はすぐに取り消されて、正しい漢字に訂正されたあとさらに≪誤字った 再送≫という文言が続いた。今日子ちゃんのそういう妙な律儀さが愛おしくて、定刻通りに走る地下鉄の速度が妙にもどかしく感じる。会いに行くときはいつもそうだ。一刻も早く隣に行きたくて気が急いてしまうから、お化粧を直す余裕もない。電車の窓に映る自分の顔をさりげなく確かめて、どうせ風で乱れるとわかっていてもなんとなく前髪をいじってみる。スマホが震えたのでポケットから取り出すと、宮田さんから写真が送られてきていた。待ち合わせ場所である新幹線の改札前で、キャリーを横に置いて佇んでいる今日子ちゃんの写真。
今日子ちゃんと付き合って二年と少し。宮田さんとセックスするようになったのは、この半年くらいのことだ。
「どうしてセックスが必要なの」
付き合い始めてから何度目かのカラオケに行ったとき、手をつなぐことやキスをすることはもう自然なことになっていた。ふたりきりの場所に行きたい、誰の視線も気にしなくていい場所で、もっと今日子ちゃんに触れたい。そう思い切って打ち明けたわたしをまっすぐに見据えて今日子ちゃんが尋ねたとき、わたしはたじろいだ。まるですごく悪いことを求めてしまったように感じたし、そう感じさせられることが不当な仕打ちであるようにも思ったから。
「恋人とそうしたいって思うのは、いけないこと?」
「いけないかどうかじゃなくて、ただ理由が知りたいの」
傷つかないで、と言いながら今日子ちゃんはわたしの頭を撫でた。指先で髪を梳いてから、頭のかたちに沿って何度も。そうしながら、もう片方の手をわたしの手に重ねてそっと握ってくれた。それは今日子ちゃんがしてくれることのなかで、今でもわたしがとびきり好きなことのひとつなのだけれど、あの時はどうしようもない動揺のほうが勝って、今日子ちゃんの手を押しのけたことを覚えている。
「理由なんて……説明できないよ。わたしは今日子ちゃんのことが好きで、そうしたいって気持ちがたしかにあるんだから」
「あたしもあすかが好き。大好き。でも、あたしにはそうしたいっていう気持ちが、無いの」
子どもに言い聞かせるようにゆっくりと話しながら、まちがえないで、ともう一度わたしの手を握り直す。
「そうしたくないっていうのは、あすかが好きじゃないってことではないの。たとえばあたしたちはキスをするよね? あたし、キスは好き。でもそれは、キスができてうれしいっていうことよりも、そうすることであすかが喜んでくれることが、うれしいの。あたしにとって、誰かを好きだっていう気持ちは、そのひとに触れたいっていう欲望には、むすびつかない」
(ならどうしてキスと同じように、わたしのために応じてくれないの)
理屈で考えるよりも先に、そう思ってしまった自分に気が付いてぞっとした。わたしはわたしのために、大好きなひとがしたくないことをさせようとしている。自分がなにか、とんでもなく卑劣な悪い人間になったような気がした。そして同時に、たまらなく悲しくなった。
たとえばあの日、わたしは新しい下着を身に着けていた。それを選んだときの緊張や高揚は、ぜんぶわたしの独りよがりだったのか。遊びに行く場所からアクセスの良いホテルをこっそり調べていたことも。女の子どうしの触れ合い方を、本や漫画で勉強したことも。そういう、今日子ちゃんへの好意が動機だと思っていたすべてが良くないものとして否定されたような気がして、たまらない恥ずかしさと虚しさで消えてしまいたい気持ちになってわたしはただ俯いていた。
「あすか」
悲しませてごめんね、と、今日子ちゃんはわたしの背中をさすった。慎重な言葉選びは、今日子ちゃんが繰り返しこの状況をシミュレートしてきた証拠だったのだといまになって思う。
「ちゃんと話さなくちゃって、思ってた。でも、悲しませたく……嫌われたく、なかったの。もっと早く打ち明けていれば、あすかがこんなに傷つく前にあたしから離れることもできたかもしれない。けれど、それが……嫌だった」
大好き、ともう一度耳元で囁いて今日子ちゃんがわたしを抱き締めたとき、これも今日子ちゃんの欲求からではなく、わたしを宥めるための行為かもしれないと思うとどこまでも落ちていくような寂しさを感じた。それなのに、体温は心地よくわたしの身体から震えを取り除き、とうに嗅ぎ慣れた今日子ちゃんの匂いに否応なく気持ちが癒されていく。失いたくないと思うことは、自分の欲求を否定する努力を引き受けることだった。
東京駅に着いてからそれぞれお弁当を買って新幹線に乗り込む。この時間から乗るなら自由席でいいような気もしていたけれど、三人横並びで座れるかどうか心配するのが面倒なので指定席をとってしまった。
平日の夜、こだまの車内は思ったよりもひとが多くて、席をとっておいたのは正解だった。ビールのプルタブを起こす音、新聞を広げる音、話し声に笑い声。それぞれに色んな事情や生活を抱えてこの時間から新幹線に乗るのだと思うと、当たり前のことでもなんだか神妙な気持ちになった。
「蕨とか栗橋とか、ひとがそこまで降りない駅に行くとさぁ、ここに居るひとみんなストリップ行くのかなって思っちゃうよね」
「思わないよ」
いちばん背の高い宮田さんが三人分の荷物を棚に乗せながら言ったとき、今日子ちゃんは笑って否定したけれど、わたしは宮田さんの感覚が分かる気がした。
「わかるよ。何なら、この新幹線みんなそうかなって思ってたもん」
「あすかちゃん、さすがにそれはないかな」
仕事でいつもスーツを着ている宮田さんは、私服ではとにかく楽なものを着たがる。きょうもカップ付きのタンクトップにシャツを羽織って緩めのジーンズを合わせたラフな出で立ちだけれど、ずっとスポーツをやっていて姿勢がいいのでだらしない感じがしなくて羨ましい。
今日子ちゃんはクラシカルなワンピースが好きで、いつもはヒールのあるパンプスを合わせているけれど今日は歩きやすさを重視したのかソールの厚いサンダルを履いている。
仕事帰りのわたしは、スーツでこそないもののいわゆるオフィスカジュアルと呼ばれるようなシャツとテーパードパンツ。
服装の系統や背格好こそばらばらだけれど、今日子ちゃんと宮田さんは中高の同級生だから同い年だし、わたしも一学年しか変わらないので、わたしたち三人はありふれた部類の旅行者に見えるんじゃないかと思う。まさかこれから三人でストリップを観に行くところだとはわからないだろうし、そのあとわたしたちがしようとしていることについても、誰にも知られるはずはない。
「ちょっと寝るね」
「すぐ着くよ?」
「今日のためにきのう遅くまで原稿やってたの。だから仮眠」
フリーのライターをしている今日子ちゃんはそう言って、背もたれを奥へと倒して目を閉じる。真ん中に今日子ちゃんを挟んで座っているわたしと宮田さんは顔を見合わせて、仕方ないなというふうに笑った。
「今日子ちゃんって昔からこうだった?」
「乗り物酔いやすいんだって。だからバスとか乗るとき、菊池はいつも寝てたよ」
「繊細なんだね」
「案外ね」
二人でこれみよがしに言い合っていると、今日子ちゃんは目を閉じたまま宮田さんとわたしの腿を同時に叩いた。修学旅行の夜みたいな忍び笑いがこみ上げてくる。
「きょうの演目、何やるか知ってる?」
「知らないなぁ。最近いそがしくてSNSチェックできてないんだよね」
「こないだ渋谷で出した新作やるって書いてたよ」
「今日子ちゃん、起きてたの?」
「寝かせる気ないでしょ。ラストまで観て、宿に帰ってからも忙しいんだからちょっとでも寝とこうと思ったのに」
お化粧が落ちないようにそっと目をこすりながら、今日子ちゃんが意味ありげな視線をわたしに向けて微笑んだ。
ふたりがしてるところ、見せて
三人で遠征しようと決めた日にそう言った今日子ちゃんの意図をつかみきれないまま、新幹線はまもなく熱海にたどり着こうとしている。東京では降っていなかった雨が降り出していた。
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