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盲の蛙

へびは恥じていました。手足のないことが恥ずかしくなったのが、いつのことだかへびにはもうわかりません。生まれたころは気にもしませんでしたのに。一度芽吹いた思いはどうにも腑の裏にこびりついてしまって、いくら身体を地面になすくったとて剥がれるものではないのです。何にも会いたくないけれど、何もいない場所というのは見あたりません。トリもネズミも、ムシでさえ、手足のようなものをぶらさげています。舌を弾ませると、彼らのにおいが、熱が、頭に直接なだれ込むようでした。

目のあまりよくないへびでしたが、食べられまいと逃げる彼らの足音を腹の下に感じるたび、言いようのない感情に身が捩れます。それは腑の裏のこびりつきが猛るような衝動でした。浅ましい肉体は地を這い、へびを彼らのもとに運びます。やがて舌先が直に熱に触れ、手足に拘束されない身体は巻きついた相手の骨を砕いてひどくちいさいものにするのです。不幸なことに彼らは美味い。しかし、へびは食べようとしませんでした。この身を永らえさせるための一切を放棄すると決めていたのです。かわいそうな肉たちは、食われぬまま残され、へびはただの紐のようになってゆきました。


雨の日こと。へびが打ち棄てたトリの子のそばに、蛙がぽちんと座っておりました。大きさはへびの頭ほど。大きな葉っぱと見まがうほどの明るい新芽色に、こぼれおちそうな目玉が黒々とくっついています。蛙は柔らかい舌を何度も突き出して、トリの子に群がるムシを食べているところでした。器用に水を掻く前脚と、しなやかに跳ね上がる後ろ脚。へびの乾いた舌は雨にまぎれそうなにおいを掻き集め、蛙の姿を頭の中に描きます。そこにいるそこにいるそこにいる。ふたりの距離は近づいてゆきました。

蛙という生き物は、へびが近づけば余程不注意でない限り逃げるものです。それを這いつくばって追うことは、へびにとって屈辱そのものでした。ですから、蛙が跳ねてしまえばへびはいつも追いません。やせっぽちのへびは諦めることなどとうに慣れておりました。ただただ、こびりつきの導くままに身悶えるだけなのです。

ところが、その蛙は動きません。舌の往復を止め、目だけを動かしてへびのくるほうを眺めています。近づいてくるそれが紐ではなくへびだということくらい、蛙は気が付いていました。へびがぬかるみに跡を残しながら距離をつめ、舌よりもずっと不自由な目を細めると、おぼろげに蛙の姿が見えました。顔の半分ほどもある目玉が、じいっとへびを見詰め返します。咬みついて肺をやぶろうか、締めつけて骨を砕こうか、それとも毒で自由を奪い、じっと眺めて遊ぼうか。どの想像もへびの慰めにはなりませんでした。

蛙が舌を伸ばし、肉厚の先端は宙を掻いて雨粒を飲みこみました。へびの敏感な舌に、蛙の咥内で磨り潰されたムシたちのにおいが届きます。それはかつてへびも愛したはずの美味ですが、いまは不愉快そうに鎌首をもたげるだけでした。見下ろすへびとは裏腹に、蛙はうっとりとしたように空を仰いで囁きました。

あたたかいばしょでねむりたい

へびは紐のような体を巻きつけて、ゆっくりと蛙を絞めあげてゆきました。ここにいるここにいるここにいる。昔昔とおい昔、まだ自分の姿が誇れた頃をすこしだけ思い出しました。へびの身体の内側で、絞められた分がせりあがるように蛙の喉が膨らみます。ふっくりとした薄い皮膚は血管を透かして、仄明るい光の玉のようにも見えました。頭上の葉を伝ってひときわ大きくなった雨粒が、へびの目にほとりと落ちました。痛い、と思ったそのとき、細かいものがつぎつぎにこわれてゆく音がへびの腹をくすぐりました。雨のにおいにまぎれそうなほど僅かな、それでいて確かな美味をたたえた体液のにおいがすぐ近くからたちのぼります。枯れた牙に唾液が染みわたるのを覚えたとき、蛙の姿はもう見えなくなりました。

(いま、目が溶けた)

それなら、とへびははじめて蛙に語りかけました。それなら、私の姿は忘れておくれ。蛙は返事をしませんでした。口も溶けてしまったのかもしれません。けれどへびには、まだ蛙のちいさな心臓が、かろうじてひくついているのがよくわかっていました。前脚がもう水を掻かないことも、後ろ脚が少し喉に引っ掛かったことさえも、つめたいへびの腑をこころなしかあたためてくれるのです。へびは舌を弾ませ、その根元を牙で咬みました。何度も何度も――とてもむずかしいことでしたが――牙で傷つけた舌は、毒こそまわることはありませんけどもずいぶん役立たずなものになりました。盲(めしい)の蛙を腹に抱き、へびは身体を丸めます。雨音はいまとてもしずかです。

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