ぼくの聴く音楽こそが素晴らしいと思いながら歩く夜が好きだよ-岡野大嗣
カラオケで久しぶりに入れた曲、いまいち歌えなかった。 ずっと一緒に歌ってくれてたから。私ひとりじゃ歌えなかった。 でも、その人のおかげで歌えるようになった曲も沢山あるよ。
久石譲の音楽を聴いていると、日本の夏の原風景が思い浮かぶ。幼少の頃、お盆休みを過ごす旧家までの田舎道を、いつもジブリ音楽をかけて走っていた。音楽と風景は結びついている。 今年の夏、入道雲を見たのはたったの一回だけだった。東京の空が狭いのか、空を見る余裕がなかったのか。充実した夏だったけれど、あまりにも忙しなく過ぎていった。 入道雲を追いかけて、青々とした田んぼ道を走り回りたい。 井戸水で冷やした、とれたての野菜を食べたい。 芝生に寝転んで、天の川の中に流れ星を見つけたい。
2024年10月13日、日曜日。 朝、日光を浴びて目が覚めた。ここ数日は秋晴れが続いている。お出かけ日和の日曜日、お気に入りのカフェまで散歩することにした。外を歩いていると家々から金木犀が香る。その甘さに、何度でもうっとりしてしまう。 静かなカフェの大きな窓の前で、大好きなコンチェルトを聞いた。音楽を能動的に聞ける心の余裕があることが嬉しかった。音楽と一体になって、純粋に心が動いたとき、これ以上の幸せはない。 聞こえてくる音も見える景色も、すべてが豊かだった。 心が生きて
「掬い上げている価値と、取り逃している価値があることを自覚すること」 目の前のことに頭がいっぱいで、大切なことに気づかないまま何かを失うんじゃないかっていう漠然とした不安に襲われる。 これまでの人生のどこを切り取っても、眩しくて愛おしい瞬間ばかり。戻りたい時間はいくつもあるけれど、戻ることのできない過去に浸って寂しくなるよりも、その瞬間の感情や見える景色、目の前にいる人たちをもっと大切にしたいと思う。「今」が、儚くて、かけがえのないものであることを忘れてはいけない。 気
「明るく静かに澄んで懐かしい。甘えているようで、きびしく深いものを湛えている。夢のように美しいが現実のようにたしかな音。」