3年ぶり、祖母との再会
3年ぶり。
実に3年ぶりに、祖母と再会をしてきました。
施設に入居している祖母とは、ここ3年の間、コロナでずっと面会ができず(本当は1回してるけど一瞬すぎた)でした。貧血の症状があるということで入院してしまったと聞いて、病院まで。
会社帰り、正面入り口の閉じた暗い病院の敷地内を歩き、少し苦労して見つけた小さな扉を母とくぐる。面会の旨を伝え、紙に名前を書いてバッジを貰い、そのまま病室へ。
長いことまともに会えていなかったのが嘘みたいに簡単だった。
エレベーターで4階まで上り、祖母の病室を探して一つひとつ部屋の前を通り過ぎる。どの部屋にもベッドで寝ているおじいちゃんおばあちゃんばかりだ。まだ私が子供の頃の、快活な祖母のイメージとあまりにもかけ離れた人達の姿を見て、病室の入り口に祖母の名前を見つけるのが少しだけ怖かった。
それでもその病室の前まで来れば、当然祖母の名前はある。全て漢字で書かれた祖母の名前を見て、なんだか新鮮な感じがする。
「なんだか私の知ってるおばあちゃんとは別人みたいだ」
私の家では小さい頃から両親が共働きだった。小学校に上がると、自然と、学校帰りには家から歩いて10秒の位置に住んでいる祖父母の家へと帰るようになった。私の祖母はとにかく孫を褒めちぎる人だった。
「こんな綺麗な子が孫で幸せだわ」
「賢くて良い子」
「なんでこんなに良い子なのかしら」
毎日そんな調子だった。
時々少し厳しくて、でも溺愛してくれる祖母が、私は大好きだ。
「ただいま」と「おかえり」を交わして、学校の宿題を済ませ、広い畳でゴロゴロと本を読み、祖父母と話ながらアイスを食べ、夕飯を食べて帰る。時々、早寝の祖父の布団に入ってものがたりを聞かせてもらう。お話は決まってガリバー旅行記。そんな毎日が当時は当たり前だったが、今思うとなんて愛おしい日々だったのだろうと心から思う。
高校生になると、遠くの高校に通っていたので帰りも遅くなり、そんな日々も少しずつ減っていった。
それでも私の中ではずっと、優しくて厳しくて少し不器用だったかわいいおばあちゃん。
そんな祖母の印象は、大人になった今でもどうしたって子供の頃のイメージが強い。名前はもちろん知っていたけれど、改めて考えてみると、幼い私は耳で聞いて知っていたばかりで、祖母のフルネームを漢字表記で見た書いたりしたことは案外、あまりなかったのだ。
だから、病室の入り口に書いてある祖母の名前を見ても、なんだかピンとこなかった。
母のあとについて病室に入る。そこには意外と、私の記憶の中のおばあちゃんとそこまでかけ離れてもいないおばあちゃんがいた。少しホッとする。ご飯を食べ終えたばかりのようで、うつらうつらと夢を見ているようだ。結構穏やかな顔。母が祖母の髪をなでながら話しかけているとき、後ろにいる私は見ていることしかできなかった。どうしたら良いのかわからなかった。時間は嫌でも流れていき、過去は決して戻らないのだということを痛いほど思い知ったのだと思う。私の愛おしいあの日々は、もう二度とは戻ってはこない。
うつらうつらとした状態の祖母が話していることは、半分もわからなかった。それでも、私が知っている祖母の声だった。
何かをずっと話続ける祖母と、一生懸命聞こうとする母と私。ずっと、夢の中みたいに祖母はふわふわとしていた。
ところが、母が「わかる?この子、なっちゃん」と言って私の方を指したとき、ずっと閉じていた祖母の目が開いた。
「みんな、素敵になって」「よかったね」
祖母はそう言った。みんなとは、きっと私を含めた孫たちのこと。祖母が愛して可愛がって誇って褒めちぎっていた、私たちのこと。
涙がこぼれてしまいそうで、「おばあちゃん、私ね、社会人になったんだよ」という言葉は口から出てこなかった。ただ一生懸命、祖母の言葉に耳を傾けることしかできなかった。それでも、「素敵になったね」と言った祖母が、私の顔を真っすぐと見上げたその目を、私はこれからずっと、生涯忘れないでおきたい。
あの時のおばあちゃんの顔だった。あの時のおばあちゃんの目だった。
「こんな綺麗な子が孫で幸せだわ」と言って私の頭を少し不器用に撫でていた、あの時のおばあちゃんの目。
小さい頃大好きだった、おばあちゃんのポテトサラダ。バターとお砂糖が少し入りすぎの、甘くて甘くてご飯のおかずとしては60点くらいのポテトサラダ。そして、これまたおかずとしては微妙な甘い甘い卵焼き。それから、子供の頃にやけどをして、開き切らない手のひら。その手でかき混ぜる糠床と、すっぱすぎるくらいのぬかみそと毎年漬ける梅干し。毎日台所に立っている人の手。少し認知症を発症してからは、ポカリで炊いてしまったまずいご飯と、冷蔵庫で冷えているお財布。
そんな思い出が次々に蘇って、嬉しいのか悲しいのかわけが分からなくなった。そして、恋しくなった、あの毎日が。ただ一つわかっていることは、あの日々はもう二度と戻らないということ。
私もすっかり大人になってしまった。この春から新社会人になった。
新しい風に吹かれてめげそうになる時もあるけれど、また会いに行こう、おばあちゃんに。
その時は、「おばあちゃん、私、素敵になったでしょ」って、自分の口から伝えるんだ。