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本当に小さなパーソナルなアクションから、思わぬ大きな変化が生まれた

合宿から帰ってきて、私ができるソーシャルアクションってなんだろう?と考えていた。

小さな一歩だけど、こんなことをしてみようかと考えた。

トランスジェンダーである二人の子どもを持つ親として、
トランスジェンダーであることによっての学校での生きづらさから不登校になった子どもを持つ親として、
どんなことを考えていたのか?
どんなことをしてきたのか?
何を見てきたのか?
などなどをnoteに綴ってみたい。

世界のどこかの同じような境遇の誰かの役に立つことがあるのかもしれない。
それに、私自身もこれまで言葉にして来なかったけど、言葉にして残すことが、自分の中にあるものを無視せずにちゃんとあるものにすることの手助けにもなる気がした。

子どもたちがトランスジェンダーであることや、不登校ということについて、周りにも相談しにくかったり、その話題に触れたときに微妙な声掛け(でも悪気はない)をされて傷ついたり、夫婦の中でも意見の食い違いがあったり、学校とのやり取りで苦労したり、そんな人がいると思う。

実際、私もこれまでの3年半、学校との相談だったりとか、夫婦で価値観をどう共有していくかなど、どこかに教科書があるわけもなく、ネットで探してもヒントは得にくく、結構手探りで大変だった。

ちょっとしたことや細かいけどリアルなことこそ、きっと誰かの役に立つ気がする。

本当に小さい一歩なのだけど、自分のできることをまずしていこう。

さて、一体、何から書き始めようか?

せっかくなので、まず最初に、トランスジェンダーの子どもに向き合い始めてすぐの頃のできごとで、とても心に残っていることをシェアしたい。

本当に小さなパーソナルなアクションから、思わぬ大きな変化が生まれた

上の子が小学校から中学校にあがる際に、入学する予定の公立中学校に相談しに何度か足を運んでいた。
入学する子どもがトランスジェンダーであることや、制服のこと、学校での生活で心配に思っていることなどを相談させてもらったりしていた。
そのことについてはまた細かく話そうと思うけど、学校に相談させてもらったことがきっかけで、一つ変化が生まれたことがあり、とても心に残っていることがある。

入学する直前に3度目の面談に行ったときのこと。
もう4月に入っていて、入学式を目の前にしていた。
上の子の学年の学年主任になる先生と初めてお会いした。
その先生はその4月に異動されてきたばかりの先生だった。

その学年主任の先生からこんな話があった。
「これまでこの学校は男女別の出席番号順だったんです。でも、男女別になっていること自体おかしいのでは?と学校で話し合いをして、今年から男女別はやめました。性別関係なく出席番号順にしました。・・・ちなみに、◯◯小(学区の小学校で通っていた小学校)も男女別の出席番号順をやめたそうですよ。」

異動されてきてすぐに、おそらく我が子の話を受けて、その子一人の対応をするということだけではなく、学校全体の仕組みに働きかけてくれたことに本当にびっくりした。さらに、小学校にまでその変化が生まれているということにさらに驚いた。
我が家からなにか出席番号順のことで話をしたわけでもないし、そもそもそのことに気づきもしていなかったのに、先生がそのことに自ら違和感を感じ、すぐさま声をあげ、変化を生み出してくれたんだと、鳥肌が立つ想いだった。

肩身の狭さを必要以上に感じることはない

私は、この時まで「色々細かいことまで相談してしまって申し訳ない」「先生たちも忙しい中で肩身が狭い」という気持ちが結構あった。
先生方に面談していただく度に、「すいません、ありがとうございます。」と申し訳なさそうに繰り返していたと思う。

でも、そうだけど、そうじゃないのかとハッとした。
肩身の狭さを必要以上に感じることはないんだ。

我が子のことでは確かにあるけれど、こうやって状況をシェアして相談させてもらって、学校と一緒に考えていくことは、何も我が家のためだけにやっていることではないんだと。

我が家が相談しに行ったことで、他の家庭のケースでも「以前も前例がありまして」と直接的に役に立つこともあるかもしれない。
あるいは、これまで親や学校に言えなかったけど、ジェンダーやセクシュアリティについて1人で悩んでいたり、痛みを感じている子がいたとしたら、きっと何か救いになったりするのかもしれない。

出席番号順が変わるというような制度的なこともそうだと思うし、それだけじゃなくて、一人ひとりの先生方が我が子のケースについて考えてくださる、想いを寄せてくださるという経験を通して、ジェンダーやセクシュアリティについてのアンテナが磨かれて、発する言葉や子どもたちへの関わり方が変わることもあるだろうと。

実際に、担任になってくださった先生も「男女別に並んでー」と言ってしまった時に、どっちに並ぼうか・・・と迷って所在なくしている様子を見て、「あ、しまった・・・うっかりこれまでの習慣から男女別って言ってしまった・・・・と思ったことがありました」というようなことをお話してくれたこともあった。

心のあり方の違いの大きさよ

この出席番号順という変化が生まれたという出来事は、今、振り返ると、親としてトランスジェンダーの子どものことに向き合っていったり、周りに働きかけていく中で、とても大きな経験だったと思う。
それを最初の頃の段階でたまたま出会わせてもらえたことは本当に意味のあることだった。

「申し訳ありません。本当に我が家のことで迷惑かけてすいません。」と言いながら、必要以上に卑屈になって過ごすのではなく、「我が子のことだけども、ただそれだけではないんだ。他の人を助けることや社会にも繋がっていることかもしれない。」と希望を持ちながら過ごすこととの、心のあり方の違いの大きさよ・・・と本当に思う。

もし、今、こうやって拙いけども言葉にして残していくことも、また何か受け取ってくれる人がいて、何かしらに繋がっていったとしたら幸せだなと思う。


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