プロセスワークは、私のパラダイムシフトのチカラを養ってくれるのかも?
10月の三連休にプロセスワークの合宿に参加させていただく予定がある。
先月、初めてプロセスワークの場に参加させてもらってとにかくすごかったので、仕事の調整もついたという導きもあり、ううう、今月も参加しちゃう…!!!と思って参加を決めた。
今度の合宿で何を持ち帰りたいのか?言葉にしておこうと思う。帰ってきてからの振り返りをするためにも。
器を広げる、視点を増やす。自分でそれをするやり方も。
一番持ち帰りたいことは、私の器を広げること、視点を増やすこと。
そして、それを自分で継続的にやれるやり方も持ち帰りたい。
前回は、自分自身の葛藤に向き合いたいという気持ちがあって生身でぶつかりたいという気持ちがあった。
今回は、そういう生身でぶつかりたい何かしらがあるというよりも、合宿での学びや気づきを通して自分自身を養いたいという気持ち。
もう少し具体的に書くと、前回の合宿で圧倒的に自分の中に入ってきたのは、それぞれのロールのリアルな声だった。
それらの声は普段の社会の中で、小さな声にせざるを得なかったり、口を閉ざしていたり、もう辛いから声にも出せなかったり、言わなくてもわかってくれと黙っていたり。
そんな声がズドンズドンと私の中に次々と入ってきた。
そのことによって、わかりたいけど遠いって思うようなロールが持っている悩み、痛み、願い、希望ととても距離が縮まったように思った。
パラダイムシフトのチカラを養い続けたい
急に話が変わるようだけど、高校生のとき受験勉強で読んだ英文で『パラダイムシフト』のことが出てきたことを今でも覚えている。かれこれ30年近く前なのに。
最初、パラダイムという言葉もわからないし、シフトもあまりピンとこなくて全然和訳できなかった。
英語は一生懸命勉強していたので、せっせと辞書をひいて和訳したら、めっちゃかっこいい概念で、なぜかすごく惹かれたのを覚えている。
塾の先生がこの和訳の説明をしてくれた時のことも結構明確に覚えていて、「例えば、ある建物の窓から外を見たとして、そこから見える景色が今持っているパラダイムというモノの見方や捉え方だとすると、同じ建物の別の窓から外を見てみることで新たなモノの見方や捉え方を獲得することがパラダイムシフトのようなものだ」とメタファーを使いながら説明してくれたのを覚えている。
(多分、細部は記憶が勝手に付け足してると思うけど)
確かに同じ建物の外にある外の景色だけど、見る窓によって見えるもや捉え方はまったく違う。
私は、人生を通してたくさんの窓を持てる人になりたい、たくさんの窓からいろんなモノの見方や捉え方ができる人になりたいと高校生の時に強く思ったのを覚えている。
たくさんの窓を持つためにできることってなんだろうってほのかに思いながらずっと生きてきたように思う。
本を読んだり、好奇心を持って物事を見ようとしたり、自分にはない考え方に出会うたびに「なんでそう思ったの?」と聞けるときは聞いていたように思う。
でも、なかなか自分の中にガツンと入ってくるということは多くなかった。
たぶん、メタファーで言うと、自分で自由に開け閉めできる窓までは行かず、小さな覗き穴ができるレベルだったかな。
プロセスワークに前回の合宿で触れて、その窓を開けられる可能性を秘めたものかもしれないと思った。
でも、まだ出会ったばかりだから、よくわからない。
まだまだこれから焦らずじっくり学んでいこうと思う。
とにかく楽しみだ。
学びをたくさん吸収してこよう!