スピリチュアルに意味はない
何も、何もない。
毎日効果があるかどうか日記を付けていたのに、気づけば形骸化してしまった。
その間も絶えず使っていたものの、効果はまるで感じられない所か不快な目にあったのだ。
敬愛するBialystocksのライブで男からケツを触られたり、旅先で泥酔してお気に入りの上着を無くしたり、余計な事でイライラして、日々ストレスは溜まる一方だ。
塩スプは結局の所意味を成さなかった。
エビデンスも無いので、スピリチュアルが如何にクソであるかを体現した代物だ。
ただの、ただの消毒スプレーである。
用途は洋式トイレの縁(陰毛や小便の水滴が落ちている所)を消毒するだけ。あとはたまに手指消毒として用いている。まあ、実用的ではある。
神なんてものは居ない
見えざるものへの期待は放棄したのはいつだろうか。
一生懸命第一志望を目指して学習し、合格祈願に行った挙句落ちた時か。
家族が無病息災を願ってくれたのに、わけのわからない前立腺炎になった時か。
告白して24時間以内に振られたあの時か。
期待して入ったラーメン屋が、ドブの様な味だった時か。
尊敬する親族が不倫をして、家族全員が「彼を居なかった」ことにした時か。
ある程度支持していた政治家が、くだらんミニスカババアにチン負けした時か。
思い浮かぶ節は沢山あれど、それを理由に自分を悲劇の主人公と定義しようとは思わない。
結局、神や絶対的存在は居ないと思う。
何となくそれっぽい場所で有り難がっているだけで、結局ないものねだりで人は縋ることしかできない生き物なのだろう。
俺は過去という絶対的存在に縋ってしまうけど、それが寄り添ってくれた事はない。
良い思い出なんてものは、皆忘れていて俺だけが脳内個室ビデオ店で再生しているのだ。
徐々にVHSは劣化し、脳裏の映像もザラつきかけている。三倍録画だったのに、徐々にRGBが分かる程度の映像になりかけている。
周りの人々はアホみたいに前を向いている。それに追随してみても、いつまで経っても俺は前を向けないのだ。
もしかしたら途中で姥捨山みたいに捨てられてしまうのかもしれない。俺がリタイアした時周りはどんな反応をするのだろう。ふとそんな事が頭に過ぎってしまう。
死ぬほど酔っ払った先週の朝、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」がiPhoneから流れてきて名女優みたいな涙がこぼれた。流石にあの時は頭がバグり散らかしていた。
でも神が居ないと決めつけるのなら、もう信じられる者は自分以外に居ないのかもしれない。これからは怪しいものには頼らず、自分の力で絶対的な何かを見つけていこうと思います。
これで来月塩スプの強化版を買ってたらクソ笑える。
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