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Incubateリレー創作企画

「こんちは。こんちは」
「はいはい。おお、誰かと思ったら八つぁんじゃないか。まぁまぁお上がり、って、おい八つぁん、お前さんそれどうしたんだ?」
「え? なんですか」
「なんですかじゃないよ。ずぶ濡れじゃないか。全身、濡れ鼠だよ。なにがあったんだ」
「ああ、すみません。実は川に落ちちゃいまして」
「はあ? 川に落ちた?」
「そうなんですよ。もう大変でねぇ。じゃあ、ちょいと上がらせてもらいます」
「お待ちよ。そんなずぶ濡れで上がられたら、こっちの畳が濡れちまうじゃないか」
「ああ、いいっすよ。あっしはそういうのは気にしねぇ質なんで」
「こっちが気にするんだよ。なんだってまた川に落ちたんだ」
「え、じゃあ、あっしは上がれねぇんですか? ここで立ち話ですか?」
「本当はそこにいられるのも嫌なぐらいだよ。どうしたんだ」
「ああ、じゃあちょいとここで話しますんで、すみませんけどお茶だけでももらえます?」
「図々しい奴だな」
「粗茶だがお上がりって」
「あたしが言うんだよ、それ。婆さん、八つぁんがずぶ濡れでやって来た。ほんとにこの男は退屈しないよ。お茶だけ入れてやっておくれ」
「ああ、すみませんね。お婆さん。ああ、どうもどうも(湯飲みを受け取り、飲む)。いやぁ、ここで飲むお茶が一番うまいね」
「呑気なことを言ってるな。で、どうしたんだ。なんで川に落ちたんだ」
「いや実はですねぇ。あっしはどうも川に落ちやすい性分でして」
「聞いたことがないな、そんな性分は。川に落ちやすいなんてそんな間抜けな性分があるのかい」
「あるんですねぇ。世の中にはいろんな性分がありましてね。あっしの知り合いにも変わった性分の奴がたくさんいますよ。すぐ迷子になる性分の奴とかね、本を読むと頭痛がしちゃう性分の奴だとか、絶対に髪を切りたくない性分とか、他にも…」
「他のはいいんだよ。今、お前さんの話を聞いてるんだから。ちょいと他も気になったけど」
「あのですね、今日ね、そこのところに須磨川ってあるしょ」
「ああ、あるな。幅の広い川だ」
「そうなんですよ。で、そこでね、渡し舟に乗ってたんですよ。天気も良いし、川もキラキラ光ってて、気持ちがいいなぁなんつってね。で、他に乗ってる奴がいなかったもんでね、ちょいと船頭をやってみたいなと思って」
「船頭をやりたい?」
「ええ。隠居さん、舟を漕いだことあります? あれなかなか面白いんですよ。てめぇの力でもって川を進んで行くってのは気持ちがいいもんでね。で、他の客が乗ってなかったもんでね。船頭さんに『ちょいと漕ぐの代わってくれ』って言って」
「迷惑な奴だなぁ。船頭さんも困っただろ? それが仕事なんだから」
「そうなんですよ。『お客さん、それは駄目ですよ』なんて、生意気なことを言って」
「当たり前だよ。お前さんが大工の仕事をしてる時にそのへんの奴が『木を打つの代わってくれ』なんて言われたら、どうすんだい?」
「それはもう『素人がなにを言ってやがる!』って蹴とばしますね」
「そうなるじゃないか。それと同じことを言ってるんだぞ」
「なるほど。これは気がつきませんでしたね。でもその時は『いいから代わってくれ』って無理やり竿を奪いましてね」
「ひどいな、おい。あたしだったら絶対にそんな客を乗せたくないな」
「そしたらね、落ちました」
「は? 落ちた?」
「ええ、川に」
「いつ落ちたんだ。今、聞いてて落ちたところが分からなかったぞ」
「ええ、ですからね。竿を船頭から奪いましてね。『さぁ、行くぞ』ってグッと力を入れたら、そのまま前につんのめってドボーンッと」
「下手過ぎるじゃないか、漕ぐのが。何をやってるんだ」
「いやぁ驚きましたね。あれ、なかなか難しいもんなんですね。舟を漕ぐのってね。竿を三年、櫓は三月ってぇますから。素人がそういうことをやっちゃいけませんよ」
「どの口で言ってるんだ。船頭さんも驚いただろうな」
「ええ、驚いてました。『ちょっとあなた、どうしてこういうことをするんですか?』って全身ずぶ濡れで言ってました」
「船頭も落ちてるじゃないか。なんでそうなったんだ」
「いやね、あっしが落ちたんで、大変だぁなんつって、手を掴んで舟に乗せてくれようとしたんですよ。そしたら船頭が助けるのが下手でね。手を引っ張ったらそのまま前につんのめってドボーンって。一緒になって落ちちゃったんですよ」
「助けるのが下手って、仕方ないだろ。そんなこと滅多にないんだから。じゃあ揃って落ちたのか?」
「そうなんですよぉ。そしたらもう舟が無人ですからね。引っ張ってくれる人がいないから、仕方ないんで岸まで二人で泳いで。上がってなんとか助かって。だから今も須磨川には誰も乗っていない舟が一艘、浮いてますよ。あっしの荷物だけ乗ってますから。乗客の消えた幽霊船と言われているそうです」
「誰も言ってないだろう。全く人騒がせな男だなぁ」
「そして今、ここでゆっくり茶を飲んでます」
「まず家に帰りなよ。なんであたしのところへ直行なんだ」
「まぁ仕方ありませんね。川に落ちやすい、そういう性分ですから」
「どんな性分なんだ。落ちやすいったって、その話だけだろ?」
「いえいえ、違いますよ。馬鹿にしてもらっちゃ困るなぁ。昨日だって落ちましたよ」
「なんで自慢げに言ってるんだよ。昨日も落ちたのかい?」
「そうなんですよ。昨日は別の川でね。橋を渡ってる時に、途中の真ん中のあたりで、こうボーっと川を眺めてたんですな。そしたら川のとこになんか光ってるものが見えましてね。なんだろうと思って覗き込もうとしたらそのまま前につんのめってドボーンっと」
「さっきから言ってるつんのめってドボーンってのはなんなんだ。なかなかそんなことにならないだろうよ」
「まぁ性分ですからね。で、落ちちゃったんで何が光ってたのかも分からないままで」
「馬鹿馬鹿しいなぁ、まぁ。まさか二日連続で落ちてたとはな」
「三日連続ですよ」
「三日? じゃあ一昨日も落ちたのかい?」
「そうなんですよ。一昨日は川べりを歩いてたら普通に滑って落ちました」
「普通じゃないんだよ。川に落ちるなんて。あたり前みたいに言うんじゃないよ」
「まぁ、性分ですからね。こりゃ明日も落ちることでしょう」
「よく落ち着いてられるな」

「お母さーん。お母さーん」
「はあい? ごめんね、おたま。お母さん、今ちょいと忙しいから。しばらくそのへんで遊んでてくれるかい?」
「はあい。ごめんね、タロ。お母さん、忙しいんだってさ。後で餌をもらってあげるからね。うん。よしよし。はぁ、どうしようかな。あ、そうだ。さっきね、猫じゃらしを取って来たよ。ほらほら。お前は犬だけど、子犬だから、猫じゃらしとかこういうのも好きかなって思って。ほらほら。犬じゃらし。ん? あんまり面白くない? そっか。ごめんね。うち貧乏だから、遊ぶものもあんまり無いんだ。お腹すいた? 大丈夫? お前のお母さんはどこにいるんだろうね。あたしはお母さんもお父つぁんもいるから、貧乏だけど不自由してないよ。お前は捨てられちゃったのかな。こんな可愛いのにね」
「あれ、おたまちゃん、何してんの?」
「あ、おじさん。こんにちは。タロと遊んでたんです」
「タロ? その子犬? へぇ、お前さんとこで飼ってんのかい?」
「いえ。うちじゃ飼えないんで。遊んでるだけです」
「そうかぁ。あんまり懐いちゃうと、手放せなくなるよ。おじさんがどっか山に捨てて来てやろうか?」
「だ、駄目です。なんてこと言うんですか。こんな可愛い犬、捨てちゃ駄目です」
「ほら。もう情が芽生えちゃってるじゃないの。まぁじゃあ誰か、飼ってくれる人が見つかるといいね」
「はい。それじゃ。…タロ、大変。飼ってくれる人を見つけないと、捨てられちゃうかもしれない。誰かいるかな。探しに行こうか。ね。ほら、一緒に行こ」
「あれ、おたまちゃんじゃないの。子犬連れちゃって、どこ行くの?」
「あ、おばさん。こんにちは。実はタロを飼ってくれる人がいないかなって探してて、誰かいませんか?」
「ええ? この子犬を? うーん。そうだねぇ。うちには猫がいるしねぇ。ごめんね、ちょっと思い当たらないや」
「あ、いいんです。ありがとうございます。はぁ、誰かいないかなぁ」

※続きは立川志の春が創作。

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