「誰かの力になる」ために必要な事
「力になる」とはどういう事か、社会人になってから数年経ってもよくわかっていなかった。
「誰かの力になりたい!」という、仕事の動機は、世の中に溢れており、その事自体は、非常に暖かさと志のようなもののある世の中だと感じる。
もちろん、誰かの力になるには、そもそも自分に力がないといけないし、自分が力になりたいと思っても、その想いだけが先行すれば、力になれないどころか、自己満足に終わってしまう可能性が高い。
つまり、力になりたいと思うのは良いけれど、それに見合った努力とか、仕事をして、ちゃんと貢献できるだけの自分になる必要があるという事である。
僕は、大学院を卒業後、すぐに社会人になったけれど、結局最初の会社では、人の力になる事ができなかったと感じている。
前の会社を辞める時に、「自分では役に立たないと感じた」と正直に上司に言ったことがあるが、あれは自分を擁護するための言い訳だった。
要するに、上司から「そんな事はないよ」という言葉を引き出したかっただけなのである。
「役に立たない」とか、「力になれない」と思ってしまっていたことは事実なので、なんとも情けないが、それを負の大義名分みたいに都合よく使ってしまっていた事は、苦々しい思い出である。
僕自身は、誰かの力になれる事が大好きで、積極的に行動する方である。
しかし、それに見合った自分になるだけの努力が必要な事を、知らなかったのである。
だから、ずっと空回りしていたのである。
ただ、会社という環境では、誰かの力になることをほとんど強制的に、誰もが求められる。
その結果、苦しい思いをする人が、何人も生まれてしまうのだと思っている。
僕も、そのひとりだった。
「だった」と過去形で書いたのは、今が完全に誰かの力になれていると言う訳ではないけれど、過去に比べれば、少しはマシになったかなという程度だという事だ。
僕は前の会社を辞めた後、すぐに個人で働き出し、結局2年以上は会社員にはならずに仕事を経験した。
会社と比較すると、誰かの力になる事を強制されない代わりに、自分から誰かの力になれる事を、表現しなければならない状態になった。
全く逆なのである。
しかし、そんな環境を経験した事で、気がついた事がある。
それは、身の程を知って、謙虚になれたという事である。
今の自分は、この分野の、この力量までなら、なんとか人の力になれるのだと、知る事ができたのだ。
その様に自分と向き合って行った事で、結果的に、今月から再び会社員に戻り、会社の中で開発に携わるようになっていった。
これも、謙虚になれた証だと思っている。
物書きだけで生活していく事も面白いのかもしれないけれど、やはり僕には大学院まで学んだ事も、前職の経験もあり、それを欲している人がいて、それに応えれば、人の力になれる幅が増えるのである。
兼業、しかも会社員との掛け持ちなので、時間の拘束という制限を受けてしまうし、体力的にもキツくなるのだが、僕はその道を選んだ。
理由は単純で、その方が、やっぱり面白いと思えたからである。
新しい会社にはまだまだ慣れない部分はあるけれど、今のところは、必要とされている仕事はできていそうである。
物書きも継続していて、不思議な事に、兼業になってからの方が、仕事の質が上がっているように感じる。
本業も副業も、きっと大変な局面は現れるだろうけど、それらは前職までに経験済みであり、そこまで驚かないで済むだろう。
今の自分に慢心せずに、謙虚で愚直に過ごしていきたいと思う日々である。
==================================
◎質問募集中です!匿名可能なのでお気軽にどうぞ!!
✅質問箱
◎日頃のモヤモヤ・悩み・質問、【ラジオ】で承ります!
✅なつのラジオ質問箱
◎「なつののブログ」を日々更新中!30代からの”ゆっくり生活”を発信中!
✅「なつののブログ」 https://natsunono.com/
◎Twitter・Instagramもやってます!
✅Twitter https://twitter.com/akki_desuyo_
✅Instagram https://www.instagram.com/_natsuno.ozisan/?hl=ja
==================================