山を歩きながら考える
ふとした思いつきから、一人で秩父と奥多摩の間にある「棒ノ折山」という山へ行った。普段あまり山自体へも行かないし、行くとしても誰かに誘われて行くということが多かったので、今回のように一人で行くというのは初めてに近かった。
日々過ごす中で頭の中に溜まっていく様々な考え事(仕事のことやこれからの不安など)を少しでも整理したかった。自然の中に身を置くことで、考えていることに対し少しでも活路を見出すことを期待していたのだと思う。
登山道は沢に沿ってのびていて、深い緑とせせらぎの音に身を任せながら進む心地よいルートだった。8月もほぼ中旬ということもあり、気温はそれなりに高かったが、沢沿いということもあり涼しい空気が流れていた。
しかし、沢を離れると次第に暑さを感じるようになり、しかも傾斜があるコースだったため疲労感も感じるようになっていった。さらに持って行った水分も底をつき、喉の渇きにも悩まされる事態に。
こまめに水分補給をしながらなんとか下山することができたが、道中は考え事どころか、無事に下山できるのかしか考えられない状況だった。登る前悠長にしていた自分を呪いたくなった。
よく山を登ったり散歩しているうちにアイデアが思い付くような話を耳にするが、それは道中で必死に考えているのではないのかもしれない。どちらかと言うと、その場所で自分という器を空っぽにして、雨水が溜まるように何かでその器が満たされるのを待つことに近いのかもしれない。