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しんどい時は全面的に「気まぐれ」を許したい [日記と短歌]23,7,10



気まぐれて握手を交わす左右の手それは祈りの形であった/夏野ネコ


私、夏野ネコは筆名としてのパーソナリティですが、実体はもちろん普通の人なので家族や仕事のことで悩んだりもします。最近そのストレスが無視できず、ややもするとメンタルの安定を欠くことも多くなってきました。さてどうしようかな…

うーむ。
ゴールデンウィーク明けてからハードワークが続いていたし、ここにきて家族のこじれた問題も浮上してきて、見ないフリもできず当事者としてまぁ、いろいろ考えたり動いたりせねば、って感じゆえ、実際5月6月はタイムラインにもあまり浮上していなかった上に歌もメタメタだったわけで…。

義務というか「ねばならない」プレッシャーは思った以上に強く、職場と家族という逃亡自体がもうしんどい場は仕方ないとしても、SNSにも僅かにあるそれが「最後の藁」にならないとも限らない。Twitterもnoteも私のかけがえのないサードプレイスだから、ずっと大事にしていたいから、時に深呼吸も必要かもしれない。

やめるとかではもちろんなく!
そんな、やめるワケなんてねえぜ。いつかメンタル最低の私を救ってくれた短歌です。作歌は続けます。Twitterを通じたオンライン歌会であたらしい知己も得られそうだし、noteだって、今こうして書いているように、書くことで気持ちを安定させてくれる大切な居場所です。
なので書くし詠むし、Tweetも相変わらず気まぐれにするだろうけれど、それを手放す選択肢にも、逆説的にではあるけれど自覚的でいたいのです。それが私の大切な場所を最後の藁にするのを防いでくれると思うから。

だから、やる/やらない、書く/書かない、見る/見ない、逃げる/逃げない、やめる/やめない、読む/読まないに対してフリーになって、気ままに活動をする/しないで行こうと思ったのでした。いつやったってOK!な、これは一部休業、ていうか気まぐれ営業ですね。気まぐれなのでめっちゃ活動する事もあり得ますしね。はっははー、やるかもだ。

しんどいな?って時こそ自分に自由を許してあげないと、だって人生って苦すぎません?
そしてそんな中に滲み出る歌が、きっともう一度私を救うのだと信じます。

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