三重苦がステータスに変わった
夫と出会って、2人で話した時に一番最初に言われたのが、「自分は農家で本家で長男だから」という言葉だった。
私は何を言ってるのかコイツと思いながら、そうなんだ、で?と会話が流れていったことを思い出す。
私は現在、その「農家の長男でしかも本家の嫁」という立場にある。
そして同居して、農業を一緒にやっている。
一昔前、私の親世代くらいなら聞いてことがあるフレーズで、そういう環境で暮らしている嫁は多かった。
苦労を知ってる上の世代が多かったから、結婚相手にしちゃいけないよ、という結婚したら苦労するのがわかる嫁ポジションの代名詞だったらしい。
私は都会っ子だったので、まず農家が身近にいなかったのと、本家というのがいまだに機能してると思ってもいなくて、長男なら権力者だから嫁になったって夫さえどうにかすればいいじゃないかと思っていた。
彼は姉が上にいて、末っ子長男だった。
権力なんぞなかった。
私がした苦労は、悲劇のヒロインぶって大変なのよ、よよよ、と泣く(今どき泣かないけど)そんな嫁イビリはそこまでではない。
比較的姑は優しく、義姉も優しい。
ただただ、田舎の本家の血縁との付き合いの大変さは、身に沁みた。
子どもを産んだら、産後間もないのに客間で子どもと寝て集落中にいる親戚が見にくるのに対応しなければならない。
ひたすら、この人誰だっけ、赤ちゃんにおっぱいをあげたいのにまだいるのか、早く寝たい、しんどい、を1ヶ月続けてほとんど鬱になりかけた。
なんとか壊れなかったのは、夫がそれなりに育児参加したからだ。
母乳以外のほとんどを一緒にやって、夜泣きに私が痺れを切らして起きない夫をどついて起こしてミルクを作らせて飲まさせて寝かしつけさせて、自分もやっと寝る、というその3ヶ月ほどを何一つ反論せずやり遂げた夫だから、自分もどうにか辛抱できた。
辛抱することでもなかったかもしれないと、今なら思えるけど、その当時はそんな余裕はなかった。
みんなやってきたと言われたら、そうかと言うしかない。
よそから入った人間だから。
本家としていろんな付き合いがあり、冠婚葬祭、主にお葬式は結婚して何十回と参列した。お会いしたことのない人でも、〇〇家の嫁もこの親戚のは出ないと行けないと言われるとついていくしかない。
とりわけ義父の兄弟、夫にとっては叔父たちとの付き合いが大変で、ことあるごとに手伝いにくるくらい兄弟仲が良かったのだが、コロナの時に県外から普通に来て、それを非難した途端、叔父たちは小舅の如く私の敵になりこれもまた精神をすり減らす原因になった。
私は実家の親に会いに行くことも控えていたのに、しかも通常の時でも農作業が忙しいから年に一度しか会いに行けていないのに、この差はなんなんだろうと理不尽だった。
嫁は家に入ったのだから実家より嫁に入った家の者だといわれたが、夫の姉は週末ごとに帰って来て、農産物が取れるようになると売り物にならないんでしょと、何も手伝わないのに持っていったりする。
夫の姉もよその嫁なはずだけど、そこは許すのか。結局自分たち中心の社会なんだとゲンナリした。
そんな一昔前の在り方がいまだにわたしの周りにはあって、時代は令和でアップデートされているはずなのに、私だけ江戸時代くらいの価値観に絡み取られている。
他の近所の農家の嫁もそんな感じなんだろうと思ってみんな耐えてるんだと思っていたのに、同世代の農家の嫁は別に家を建てて別居している。
親と仕事していたり、別の仕事をしていたり、スタイルは様々だと知る。
なので、私は若い割に境遇は60代、70代くらいと同じだ。
最近は新規就農したいと外からくる若い女性に農家の嫁にだけはなるな、なっても絶対別居、別の仕事ができるならその方がストレスを抱えずに済むよと言い含める。
ところが、今となっては農業がしたい人にとっては農家の嫁はそれだけで恵まれていると思われている。
やりたい農業をやるのに、審査されることも就農計画を立てることも、住む場所、農地や資本も必要ないと思われるからだ。
楽して農業できて良いですね、というふうに見られることが増えて、ああ、時代は変わったんだな、と感じた。
私が上の世代から大変だと聞いて、頑張れと励まされて同じように苦労してきた人たちはまわりからいなくなっていく。
今時の苦労だってもちろん知ってはいるけれど、そこに血縁に煩う不自由さ、やりたいことができず上の世代がいる限り何をしても口出しされるやるせなさは、新規の人には無い。
時代の狭間に取り残されてしまったような、農家で本家で長男の嫁。
そこでどれだけ足掻いて自分のやりたいようにやるかをいろいろ吹っ切って模索している。
以上、自己紹介でした。
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